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苦別

 引越しは何度も経験しているが、ここまで深く感傷的になったのは初めてだ。私はこの部屋にそれほどの強い愛着はあったのだろうか、それとも別の原因なのだろうか。片付けの最中、ふと見上げた天井の板目、歪な壁、傷だらけの柱、周囲に音、あらゆるものから色々な感情が襲ってきて引越し作業が捗らない。そもそも私は片付けが大の苦手だ。いらないモノ、いるモノの判断が瞬時に出来ない。どれも必要な気もするし、捨てたくはないし、同じ空間を過ごした全てのモノに私と魂と魂の繋がりがあるような気がする。しんどい思いで部屋の整理をして、もう住めない状態の散らかった部屋の中で茫然としている。後は転居先へ持っていくモノを段ボール箱に詰めて、不要なモノは来週の燃えるゴミの日にまとめて捨てよう。

 この部屋には独特な雰囲気があった。部屋というよりも独立した平屋の小屋なのだが、信じられないぐらい古く、おんボロであった。住んでいる私自身も大半がおんボロな時期(病気になったり、仕事を辞めたり)であったので私と部屋とのお互いの相性が良かったのだろう。近所に住む縞模様の野良猫も最初に会った頃はよそよそしかったが、餌をあげたりしていたら名前を呼ぶと付いてきてくれるぐらいに仲良くなった。掌に乗るぐらい小さくて今にも死にそうだった茶色の赤ちゃん野良猫は、今では丸々と太って近所の家で飼い猫のように扱われている。 この町は離れ小島のような土地であった。二つの川に挟まれ、大きな拘置所が断崖のようにそびえ立つ。歩いてすぐの大きな川の土手によく散歩した、寂しく暗い夜に川岸に映える電車やビルの光を独りで眺めていた。銀河のように綺麗で瞬く光の筋は、得体の知れない霊が蠢いているかのようだった。まさか一緒に眺めたり散歩をしてくれる人が現れるなんて思いもよらなかった。

 しかし、この二年間ほどでこの小屋の周囲も、あっという間に様変わりしてしまった。斜め隣に住んでいたお婆ちゃんは亡くなり、家も壊され更地になっていろんな種類の雑草が生茂っている。向かいにあった大きな青いトタン屋根でボロいのに立派に見えた元大家さんの家屋も取り壊され、跡地には真新しい無機質で細長い形の家屋が三軒も建った。銭湯も駄菓子屋もつぶれてしまった。そんな周囲の環境の変化の中、この小屋は静かに変わらずにいてくれた。ところが部屋の中では、目まぐるしい変化のある生活があった。

 もしかすると私の人生が終わるその瞬間に、最も豊かで幸福な記憶として思い出すような時期であったのかもしれない。しかし、ある時から私とこの小屋との関係性には終わりが見えた気がする。もうここに独りでは住みたくはない。私の後、この小屋には誰かが住むのだろうか、もう誰も住まないかもしれない。この小屋と共に過ごした日々を考えると涙が溢れてくる。感謝と寂しさが込み上げて胸がいっぱいになる。ここは本当に魂を持った小屋のようだ。 一緒に過ごしてくれて本当にありがとう。


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