悪い記憶は一瞬で蘇る。

家に新聞拡張員が勧誘(セールス)に来た。
何年振りだろうか、もう15年以上は彼らに会っていなかったので、
「新文拡張員」という存在をすっかり忘れていた。

トントンとドアをノックされ、
私は「はい、どちらさま?」と答えたら、、、、返事がない。
返事をしない、名を名乗らないのは大概に悪徳セールスなので普段は無視するのだが、今回は、もう一度ノックしてきて「こんにちは」と言うではないか。(どちらさまと名を聞いてるのに、「こんにちは」と・・)

私は一瞬に「もしかして!?」と、若い頃に散々嫌な気持ちを味わった「新聞拡張員」の存在を思い出した。

私も歳を重ねて多少は肝が据わったので、今ならビクビクしないで強い態度で追い返せるぞ!という変な好奇心が沸き起こり、ドアの横に付いている小窓を開けた。顔を見た瞬間、すぐに「あいつらだ!」と気づいた。なんとなく彼らが身にまとう雰囲気(オーラ?)は似ているのだ。案の定「近所の(ここを強調)、新聞屋です」と笑顔で言ってきた。続けざまに「旦那さんですか?」とにこやかに口元は笑ってはいるが、死んだ魚のような目をして小窓の側まで近寄ってきた。最初に起きた好奇心では、軽い雑談でもして話のネタにでもしてやろうかと思ったのだが、その得体のしれない素性や作り笑顔(下心が隠された)卑屈な心がにじみ出た身なりや体の姿勢を見て、声を交わすのが嫌になった。小窓をそっと閉め、大きな声で「うちはけっこうです!」と言った。彼らは一度断られたぐらいで簡単に諦めないので、その後もドアの向こうで何か声を発していたが、もう聞くのも嫌だったので玄関から自分の部屋に戻った。

若い頃に住んでいたアパートで何度も繰り返された彼らとのやり取りの記憶が鮮明に蘇ってきた。当時は今ほど新聞業界が斜陽でもなかったので拡張員の数も多かったのだろう。ノックされて「引っ越しの挨拶です。」と言うので、ドアを開けてみたら「あの~近所の新聞屋にわたくし引っ越してきまして・・」(※後に彼らの使う常套文句だと知る)片足を玄関の内側にグイっと入れこみ、いくらこちらが断っても外に出ようとせず、私が無理やりドアを閉めようとして喧嘩になったこともあった。こちらが邪険に断ったら、去り際に暴言を吐いてドアを蹴っていった奴もいた。何よりも印象的なのは、彼らの身にまとっている「闇のオーラ」のようなものの強烈さだ。ヤクザのような緊張感のある本物のアウトローともまた違う種類の、社会や人間を全く信じていないような、何かを恨んでいるような惨めさと哀れさが彼らの姿にはにじみ出ていた。

インターネットの普及などで新聞を読む人は格段に減り、おそらく当時の拡張員の大部分は失業してしまったのだろう。そう考えると可哀想な人たちであるし、あのような職業を生んだ新聞販売のシステム自体に大きな責任があって、彼らも被害者のようなものなのだろう。職業に貴賤は無いのだろうが、日常的に嘘をついたり毎日のように人から邪険に扱われるような仕事をしていては、心を正常に清く保つことなんてよっぽどの精神の持ち主ではないかぎり無理なことだろう。

新聞拡張員ほど極端ではないが、新自由主義経済が複雑高度に蔓延して富の分配機能が極端に偏り、一部の者が利益を独占して多くの単純労働者を生むチェーン展開の小売り店や飲食店が増え、労働者は階層化して固定され、派遣労働など中世の奴隷のような搾取の構造が生まれ、劣悪で非人間的な待遇で働かされる人が増えている。自由競争の名の下に競争は激化、自己責任論が蔓延、建前の表面的な顔や態度と、裏の隠された顔が同居するのが日常化、姿の見えない複雑化された巨大悪、弱い者同士が監視し合って笑顔で脅迫しあうようなSNSに翻弄され、政治は腐りきり、不信感が増大して男と女、右派と左派、至る所で二極に分かれて罵り合う。思想は深まるどころか原理主義のように単純に先鋭化して他排主義、ネットでは匿名でリンチする相手を探しだして袋叩き、、、

ああ、これからの世界はどうなっていくのだろうか。

彼ら(新聞拡張員)のような哀れな仕事を生み出しておいて、偉そうにしていた新聞社も、もはや権威も失い旧時代の産物になりつつある。何十年か後には、失われた社会の闇の現象の一つとして、彼らの姿を記憶に留めていこう。


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