大阪の嫌なところ

大阪こてこて風味のTVタレントという存在がいる。

彼らはお昼の関西ローカル番組などに複数人がセットで登場する。司会役、おばちゃん役、知識人役などなど、それぞれに与えられた役割や求められているキャラクターがはっきりとしていて、コテコテの大阪空気が予定調和の吉本新喜劇のように醸し出される。

街に繰り出すレポーター役のタレントは、大阪感覚の権化のような立ち振る舞いをする。大阪人の多くはそれを暗黙のルール継承や様式美(「お笑い」という価値観)と捉えるのだろうか。街の人々はタレントの言動に対して寛容な対応をする、喜んで受け入れている。おそらく大阪人の大多数が「お笑い芸人」や大阪的なノリをリスペクトする土地柄なのだろう。街中でのタレントの態度や言動は、関東で育った私にはびっくりしてしまうような差別発言に聞こえることもあるし、大阪的な野次馬根性がとても気持ちが悪い。

上沼恵美子やハイヒールモモコなど、大阪の清濁合わせた欲情や世話焼き人情を象徴するような濃さがある。彼らを理解しないと大阪ではやっていけないような気もするので我慢して観察しているのだが、どうにも好きになれない。

大阪の政治、橋本元知事や吉村現知事らも、基本的にこの大阪ローカルTVの番組の内で繰り広げられているような大阪感覚によって運営され、支えられて成り立っているようだ。

馬鹿みたいに阪神タイガースを応援する人達も「阪神に熱狂する周辺の人達と張り合って、積極的に同化する大阪コテコテなワタシ。」に酔っているだけな気もする。まあ、どんな動機で応援しようと自由で、他人がとやかく言うのは野暮だけど、関東人の私からすると甲子園球場は兵庫県だし大阪より神戸に近いのに、何で大阪人は自分の球団だと思っているのだろうか、、。大阪市内には他の球団があるのに。

関東でも関西でも(日本に限らず世界中で)、世論や人間の意識にメディアが与える影響力は非常に強いが、ここまで特徴的になっている原因は、それを求める「大阪文化」の現れなのだろうか。

面白いと思うのが、この大阪コテコテ意識とタレントの威光は、神戸や京都や奈良ではおそらく通用しないところだ。むしろ関東人よりも大阪的世界観を蔑むような意識があるのかも知れない。

「関西」と一口に括れない多様さがある。だからこそ大阪はより大阪的に濃くなったのだろう。大阪コテコテなタレントも実は出身が大阪ではなくその周辺地域の場合が多い。誰もがその土地や文化風土に馴染んで何かを演じている、演じているからこそ表面上は誇張されて濃くなる。笑いが起きる。それに笑えない私のような人間は、どうしたら良いものか。きっと馴染む必要などは無いのだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?