プレゼン作りに向き合うとこうなる
久しぶりにこういうこと書くなあと思いながらパソコンカタカタさせています。
今週末に久しぶりにプレゼンの依頼が入った。わたしからするとただのプレゼンではない。志プレゼンというものだ。わたしはこのプレゼンをつくるときにいつも同じような問いと向き合い続けなければならない。その問いに向き合った状態でその場に立たなければ、いくら素敵なことを話しても、誰の心にも響かない、自分の持っている以上の力は発揮されない、それを知っている。
「なぜ自分は生きているのか」
ここ最近はその問いに向き合っているふりをしていたと思う。
わたしはこの問いに高校生の時にぶつかった。あのときは問いというよりただ自分を責めたてていたと思う。生きることをあきらめたくてしょうがなかった。自分がいかに弱い人間で死ぬことができないということを抱えながら生活していた。
大学時代もいろいろな活動をしながらも、人から期待されるたびに怖くて泣いていた。自分の人生を生きるとは何かと考え始めるようになる。
今また、生きることをあきらめたくないなという気持ちが強く出てきた。
生きることというのは自分にとって、起こることに魂をぶつけ続ける感じ。
多分ここに自分がなぜ生きているかに繋がるものがあるんだと思う。
少し話は変わるが、
最近感じた気づきは、行動ばかりしている人が別に魅力的に見えるわけではないってことだ。
ここ一カ月でたくさん行動している人に出逢った、お話をした。それが積み重なって自分の中の違和感として出てきた。
わたしが魅力的だと感じる人は行動している人でも、特に生を感じられる人なのだろう。
どんなにかっこわるくても汚くても、不器用でも、ひどいことをしてもその人から本当に生み出てくるものならば美しいと思う。
そういった瞬間に出逢うと自分の心が動かされる、そこにまた出逢いたい。
私は生きることをあきらめないし、もっとギリギリを攻めていきたい。
この心持であれればきっとプレゼンは大丈夫。
もっと前なら常にこの状態だったのに、ここ最近行動ばかりでニコニコしてばかりで忘れてしまいそうだった。すごくいいタイミングでプレゼンの機会をもらえて本当に良かった。
あと、おまけで書くと
わたしはこの世に生まれてきた一人ひとりに生まれてきた役割があると思っている。あなたの役割って何だろうか。一緒に向き合えたらうれしいなって思うから、悶々としている方はよかったら連絡ください。
中学の時からずっと思っている
「人の痛みの分かる人間になりたい」
自分の役割はこのあたりにあると思っている、だからこれからもいっぱい痛いことに飛び込んだり、飛び込ませられたりしたいと思う。
そんなぼやきのnote
ニコニコ明るいのもわたしだけど、多分わたしの本質はこっちだなあと。