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「私たち」とは誰か——ブラジル先住民と問う、環境と社会とアイデンティティ

みなさん、こんにちは。牛ラボマガジンです。牛ラボマガジンでは「牛」を中心としながらも、食や社会、それに環境など、様々な領域を横断して、たくさんのことを考えていきたいと思っています。

今回は、この社会に生きる私たち一人ひとりのアイデンティティ(「私」とは誰か、「私」とは何か)の問題と、私たちを取り巻く環境、山や川、海など特に自然環境へ耳を傾ける、声を聴く才について考えてみたいと思います。

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震災や新型コロナなどをきっかけとして、社会のあり方そのものがひっくり返るのではないかと思うような経験をしたここ数年の間に、日本でも急速に「環境」に対する関心が高まってきました。ブームのように「SDGs」というワードが商品の広告やテレビ番組にも溢れるようになり、これまでごく限られた消費者のあいだでのみ意識的に追究されてた、商品を選ぶ際の「環境にいい」という基準ですが、今では多くの人が選択するようになりました。
たとえば商品提供の場面において、店側がプラスチックのカップの使用を極力やめたり、買い物袋の持参を推奨することが日常になりました。また、ファーマーズマーケットで生産者の顔を見ながら、スーパーには並ばないような採れたての野菜や不揃いの野菜を購入したり、都市近郊の市民農園が人気になったりするなど、楽しみながら普段の生活の中で部分的に地産地消や自給を実現することが可能になっています。生活風景が環境に配慮した日常に少しずつ変わってきたのを感じます。
それでも環境問題は依然深刻で、毎年のように各地で甚大な被害を出す巨大台風や豪風災害は、都市的な生活とそれを支える産業による環境破壊が原因との指摘もあります。小手先だけの対応では不十分で、根本的な変革が必要だという訴えも強くあります。


こうした問題と「私」にとっての日常、「私たち」にとっての日常を考える際、「私たち」とひとことに言ってもそれは誰なのでしょうか? どこからどこまでが「私たち」なのでしょうか?日本人?現代人?都市部の住民?地方の住人?もちろん場面や話し手によって「私たち」ということばが指すと想定される範囲は異なると思います。だからこそ、文脈によって自在に伸び縮みするこの曖昧な「私たち」が誰を含むのかについて考えることで、そこに含まれる「私」や「私」を取り巻いているものが見えてくるのではないかと思うのです。

ひとりのブラジル先住民から見た世界

環境活動家であり、現代の思想家の一人でもある、「私たち」と同時代に生きるブラジルの先住民アクティヴィスト、アイウトン・クレナッキは、『世界の終わりを先延ばしするためのアイディアー人新世という大惨事の中で』という本の中で重要な示唆を与えてくれます。

アイウトンは、ブラジル南東のミナス・ジェライス州の東端、ドセ川渓谷と呼ばれる地域に住むクレナッキ族という先住民の一員です。クレナッキ族が住むドセ川渓谷は、ブラジル大西洋岸に沿って広く分布していた大森林地帯「マタ・アトランチカ」の一部で、熱帯雨林や常緑広葉樹林からな成っていましたが、ポルトガル人が植民を開始した16世紀以降、人の手による開発によって、自然環境も、先住民の生活や文化も、時には生命も脅かされてきました。 
アイウトンが生まれた1950年代前半は、ドセ川渓谷にも、木材の切り出しや農地の開墾、そして鉱山開発といった開発の波が暴力的に押し寄せてこようとしていた時期でした。アイウトンはクレナッキ族の居留地とは川の反対岸で生まれますが、それは白人が家畜を飼育するためにクレナッキ族の居留地を侵略していたためでした。

白人の侵略から逃れる過程でアイウトンは、サンパウロの補習校(短期間で高校までの卒業資格を得られる学校)へ通い、文字を覚えます。その後、全国工業職業訓練機関(SENAI)で印刷とジャーナリズムのコースを修了し、白人たちの思考や社会、経済、政治についての知識、その歴史的視点について理解を深めていきました。同時に、自らを含む先住民が何世代も語り継いできた智恵や歴史についても、さまざまに考えを巡らせました。「古来の土地から切り離された感覚」が、彼自身をアイデンティティの模索に向かわせたと、2013年末のインタビューで語っています。

“およそ600kmを流れるドセ川のほとりで暮らす私たちの生活は、ドセ川という「ワトゥ」によって支えられてきました”

“私たちクレナッキ族が「ワトゥ」、つまり「われらの祖父」と呼ぶドセ川は、経済学者たちが言う資源などではなく、人なのです” 

“しかしその川は、鉱山の選鉱・精錬過程で発生する鉱滓を溜めるダムから流れ出した有毒物質によって完全に汚染されてしまいました。私たちは、昏睡状態に陥った「われらの祖父」である川に寄り添うしかなくなり、孤児のような気持ちになりました”。私たちの暮らしをとことん打ちのめし、私たちの世界を文字通り終わらせてしまったこの犯罪ーあれは事故(*1)などとは呼べませんーから1年半が経ちました。”

(*1)2015年11月5日、ブラジルのヴァレー社(鉄鉱石の生産・販売シェアが世界一)と英豪複合企業BHPビリトン社(世界最大の鉱業会社)の合弁会社サマルコが運営する鉱滓ダム(こうさいダム:鉱山の選鉱・精錬工程で発生する鉱滓を水分と固形物とに分離し、その固形物を堆積させる施設)の決壊により、4370万立方メートルの猛毒の泥がドセ川に流出し、集落を壊滅させ、死者を出した事故を指す。ちなみに、2019年にもヴァレー社が所有する別の鉱山ダムが決壊、さらに大規模な環境大惨事を引き起こしている。

「人類」ということば

アイウトンは私たちに投げかけます。

“私たちはここ2000〜3000年の間に、どのように人類という概念を作り上げてきたのだろうか”
“私たちがしでかした多くの誤った選択の根っこにはこの概念があり、それは暴力の使用を正当化するのに使われているのではないか?”、“私たちは本当に、ひとつの人類なのでしょうか?”

大学や、20世紀に登場した、世界銀行、米州機構(OAS )、国際連合(UN)、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)など、このような国際機関や機構は、「人類」なるものを想定して設計され、維持されてきました。それらによる決定が「人類」に奉仕するものであるとされているため、正当であると見なされ、受け入れられています。しかし、土地とのつながりを強く持つ先住民にとってはしばしば悪いもの、損失をもたらすもの、先住民自身がもつ発明力や想像力、存在や自由を制限してきたのではないかとアイウトンは指摘します。
自分自身を「人類クラブ」の一員なのだと思う意識は、人類に奉仕する目的であるとされるある決定に対して自発的に服従するという状態を生み出します。

私たちは二つの側面で、生まれたときから無意識、無自覚のうちにアイウトンの言うこの「人類クラブ」の一員にされ、思考停止にさせられているといえないでしょうか。
一つ目の側面は、自然に人格を見出し自らの家族と捉え、土地とのつながりを強くもち、独自の生活を送ってきた彼ら先住民らの文化や世界を壊す善意の加害者としての側面。二つ目は、私たち自身が「人類クラブ」における常識を無自覚に当たり前のものとして受け入れることで、私たち自身が土地とのつながりから切り離され、もっと豊かでありえたかもしれない世界を知らずに過ごしているという被害者的な側面です。

善意の加害者の側面

日本政府は政府開発援助の名目で、ブラジルでの大カラジャス計画(鉱山開発)や日伯セラード農業開発協力事業などに多額の資金や技術を提供しています。私は、こうした政府開発援助について学校で習ったとき、遠く離れた貧しい国の成長と繁栄のために日本が資金や技術の援助を行うことで救いの手を差し伸べることが、非常に尊く、誇らしいことだと受け止めていました。しかしながら、地球の反対側で暮らす私たちが、政府開発援助の枠組みや世界銀行などを通しての融資によって、直接ないし間接的に先住民を居住地から追いやり、自然破壊に手を貸しているという側面があったと言われると、何を価値として良いのか戸惑ってしまいます。
もし、先住民が従来の生活や文化を存続することにこだわり守り抜こうとすることに対して、私たちが「だからずっと貧しいままなのだ」、「変わってこそ彼らは幸せになれるのだ」と思うのだとしたら、文明による便利さを享受する代わりに、見える世界——見ている世界——だけが正解でそれ以外の世界は存在しない、もしくは、ひどく遅れていて、風変わりで不安定で危険な世界だと思い込んでいる面があるのではないでしょうか。私たちは、「私たち」とは一体誰なのか、「人類クラブ」的なフィルターで物事を見ていないか、自分自身に問い直してみる必要があるのではないでしょうか。
そして先住民の苦境が今、気候変動や地球温暖化という形で地球上の住民全員に降りかかる危機となっていることを思うと、「人ごと」が巡り巡って「我がこと」になっているのではないかと思います。

無自覚な被害者の側面

“近代化は、都市部で必要とされる労働力を供給するため、農村と森から人々を追い出しました。そして、追い出された人々は、それまで属していた集団や自分の出身地から引き抜かれ、人類という名のジューサーの中に放り込まれたのです。先祖との記憶の深いつながりを絶たれ、自らのアイデンティティを支える参照点を失ってしまえば、私たちが共に暮らすこの異常な世界で、人々は頭がおかしくなってしまうでしょう。”

かつて生活の一部、自分の世界を構成する一部としてあった川や森、慣れ親しんだ風景は遠く意識の後景へと退き、均質化された「人」と「人」と「人」の間で、私たちは自分が何者なのか、本当は何を大事にして生きていきたいのか、心の声を聞くこと、自分の心の色を見つめることすらままならなくなっています。
無限に似通った「人」と「人」と「人」の洪水に、熱っぽく無機質に降り注ぐプロパガンダ的(あるいはコマーシャル的)な声や政治的なことから距離を置く人であったとしても「人」と「人」と「人」の間を湿っぽくすり抜け、何かを絡め取っていく—— “それが普通”、 “常識”とされる——風に、染まりたくないのに染まり、染まらなければ不安になり、染まったら染まったで居心地が悪くなり、とはいえやはり染まることにとりあえず安心してしまうのが、「参照点」 を失った私たちの——少なくとも私の——なんとか生き延びる術になっているのではないかと思います。

“私たちの子どもたちは、幼い頃から、あなたはお客様である、と教え込まれます。消費者ほど媚びへつらわれる存在はありません。あまりにも媚びへつらわれるものだから、しまいには馬鹿になり、涎を垂らしているのです。ですから、なぜ市民になる必要があるのでしょうか。市民として振る舞い、他者と出会うリスクを冒しながら生きる必要などあるのでしょうか。”

”消費者であることに満足しているのに、批判的かつ意識的でいられるものでしょうか。消費者という概念は、多くの意味にあふれた大地、さまざまな宇宙観に開かれた大地で暮らすという経験を否定するものです。”

「参照点」を失った私たちは、映像やイメージによって巧みに目先の欲望を作り出され(= 涎を誘発され)、ちょっと手を伸ばせば手に入るところに「商品」を置かれ、対価を支払えるだけの努力としての労働に勤しむことで、心の虚しさを埋めているのかもしれません。「商品」は、モノに限らず、体験であったり、ライフスタイル一式であったり、それらを総合したステータスであったりします。一つひとつを手に入れ、「自分」の理想形が完成したとき、心は満たされるのかもしれませんし、満たすべくどこかへ邁進している過程が幸せだと思うかもしれません。
でも、それがこの世界の中で絶対に正しい行為だと言い切れるでしょうか。もし少しでも疑問に思ったとしたら、自分が位置する座標を別の次元に置き替えてみたらどうでしょうか。
たとえばアイウトンの言う「人類クラブ」ではないところに。たとえば川を祖父と敬い、対話し大切にする感覚をもつ世界に。ブラジルの先住民に限らず、日本の先住民が紡ぎ守ってきた世界に。世界の入り口は、先住民に限らず、土の声を聞く農家、海の声を聞く漁師、木の声を聞く木工職人など。少し周りを見渡せば、ふと立ち止まり空を仰ぎ風を読むようなことが、みなさんのすぐ近くにあるはずです。

先住民の抵抗と私の一歩

ブラジル先住民は、「われわれはみな同じである」という考えを受け入れず、自分たちの主体性を拡大することで抵抗してきました。ブラジルにはまだ、およそ250の民族が互いに違いを主張しつつ存在し、150以上の言語や方言を話しています。彼らは彼らの世界を終わらせようとした植民地化に今なお抵抗することで自己満足している者たちのコーラスに加わらずに乗り越えていく戦略や、「私たちという自称人類」が持つ虚栄心を取り除く方法、そして、世界の終わりを先延ばしにする方法を教えてくれます。

 “先住民たちはまだしっかりと生きていて、物語を語り、歌い、旅をし、話をしています。「人類クラブ」の中で学ぶ以上のことを教えてくれる民族の物語が、山のようにあります。”

アイウトンや、アイウトンを通じて知る先住民の世界、考え方、抵抗の歴史、姿勢に励まされながら、私も、「私たち」という人称が指す範囲を組み替え、窮屈で破壊的な囲いの中から一歩、外へ出てみたいと思うのです。この本は、そこから一歩踏み出そうとする新しい「私たち」の冒険のお供として、私たちの心を支え、行きたかった場所へと導いてくれると思います。

最後に、この本の中で私がいちばん好きな箇所を引いて終わりたいと思います。

 “私たちは、自分が生み出せる自由の中で、自分の主体性を生きようではありませんか。その自由を市場に売りに出してはなりません。そして、自然がこれほどまであからさまに攻撃されているのですから、せめて自分の主体性やヴィジョン、生命についての想いを守り抜きましょう。私たちは絶対にみな同じではありませんし、ここにいる私たち一人一人が星座のようにそれぞれ異なる存在であると知るのは、すばらしいことです。私たちがこの空間を共有できているということ、そして、その空間を一緒に旅しているということは、私たちがみな同じであることを意味しません。私たちそれぞれの違いによって、互いを惹きつけ合うことができるということを意味しているのです。そしてそのことが、人生の道標となるはずです。
多様性を持つこと。ひとつの生き方しか持たない人類の生き方ではなく、多様な生き方を。なぜなら、すべてを均質化するような今までの生き方は、生きる喜びを奪うものでしかなかったのですから。”

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(執筆:野呂 美紗貴、編集:山本文弥)