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にれの木台を歩いた記録

地図ラーの会を始めたばかりの頃、自分の地元を歩いた記録が発掘された。場所は千葉市花見川区朝日ヶ丘。2017年4月のレポートを改めて(初心にかえって)掲載しておく。

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2017.4.16

カシミール3Dというソフトを購入したときから、もう歩きたくて歩きたくてウズウズが止まらなかった、地元のスリバチ歩き。ずっと忙しくて時間が取れなかったけど、ようやく家から2キロまでの旅に出かけることができた。

カシミール3Dスーパー地形

ルートはこの地図の①を出発して②まで。ちょうど朝日ヶ丘中学校から東大グラウンドまでの、地図上のブルーグレーの低地部分だ。①の東側は小高くなっていて、そこを水源にして地図の左端にある花見川まで、きっと流れがあったに違いない。その痕跡を見つけるのが目的となる。

一応、この地区の古い地図を図書館で見たんだけど、①と②の中間にあるにれの木台団地が昭和58年(1983年)頃の完成だから、それ以前は「原野」という感じで人が住んでいたようには見えない。

でも、この低地の辺りは団地が林立しているものの、道路が不自然に蛇行しているから、ある時期まではきっと川が流れていたのだろう。平地に街を作るのなら、こんな風にはならない。

A~Jの順に川跡をたどった

さて、能書きはそのくらいにして、①から出発することにしよう。

A地点の坂道

まずはA地点は、色々な細い流れが集まって大きな流れになったと思われる場所。実は我が家もこの坂道だらけの中にあり、平坦な場所がないようなところだ。

B地点の公園は坂道の途中

B地点も色々な方向から流れが集まっているような地形だ。公園はその坂道を利用して作られていて、かなり急な坂が多くなっている。この流れがCの方に向かっている。

C地点にある朝日ヶ丘中学校

C地点は朝日ヶ丘中学校の正門を通る桜並木。この道の蛇行は水の流れそのもののようにみ見える。

平和交通のバス通り

D地点は平和交通のバス通りに出たところ。バス通りも急な坂道になっており、蛇行の具合から見てこの先の交差点で2つの流れが合流した感じだ。

にれの木台中央公園

E地点も三方からの流れが合流した感じで、ここにはにれの木台中央公園がある。ここからは緩やかな坂道となり、流れの幅が広がったように見える。

道路と団地は段差がある

F地点は左右に団地の建物がある。その団地は道路よりも高い位置にあり、ここが崖のようになっていたことをうかがわせる。

団地沿いの道路

G地点は流れが緩やかにカーブしている。

高台の脇を走る川跡

H地点では高台が迫っていて、ここにも多方面からの流れが合流しているようだ。ところが、ここで流れのイメージは一旦住宅地の家の塊の中に消えてしまう。おそらく、水の流れがなくなったか、暗渠化されてここに住宅地が開発されたか、いずれにしても平坦で低い部分ではあるけれど、道路という形では続いていない。

ここで川跡はドンツキになる

I地点では道路に阻まれて、流れが止まっているように見える。ここはソーシャルアパートメント新検見川のあるところで、ここで流れはどこにも行かれなくなっている。

盛り土によって造られたと思われる道路
おそらく自然の段差ではないはず

ところがJ地点をよく見ると、この新検見川駅から続く道路は、道路だけが高くなっていることがわかる。その道路の底にあたる部分がJの文字の箇所なのだが、ここはおそらく盛り土がおこなわれたのだろう。道路の西側にある東大グラウンドがかなり低い位置にあることから、ここはそういう解釈になると思う。

以上のように、A地点からJ地点まで、流れがあったと思われるルートを歩いてみたが、水の痕跡はなかった。でも、H地点にあった暗渠のような場所や、蛇行した坂道が多く低地では直線の道路がほとんどないことから、この流れは東大グラウンドを通って、花見川の方向に進んだことだろう。

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こんな具合いで、何もないようなところを調べて歩くという、今の地図ラーの原点がここにある。川歩き、もしくは川跡歩きの習性は、その後の津田沼の暗渠、養老川、四万十川、天塩川踏破へと暴走を続けることになる。

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