風呂場の正しい過ごし方 【元部長】

 この原稿を書いている時点では新年を迎えてちょうど10日目となる。
 年末の風物詩といえば、まあ世間一般で言われているあたりでいくと紅白歌合戦とか、ゆず湯、大掃除、年越しそばとかになると思うのだけれど、もっと可愛げのない、哀愁漂う回答といえば、「ああ今年もあっという間に終わってしまったなあ、という漠然とした悲壮感」ではないだろうか。

 今年も多分に漏れず、12月に入ったくらいから「もう2022年も終わりですね」とか「今年もあっという間ですね」みたいな文言を巷で(つまりテレビやラジオ、日常会話や世間の意見として)聞きまくったのだけれど、よく考えればこうも毎年、師走に入るや日本中の津々浦々で同じようなセリフが生産され続けるのはなかなか興味深いような気もする。もう相手は聞き飽きたかもしれないけれど、それでもさらに念押ししたくなるほど、今年はあっという間でしたね、ということなのだろう。2022年の日本で飛び交った無数の「今年も早かったね」のうち、いくつかは僕の口から発せられたものだ。

 よく聞く話だけれど、大人になると時間の経過はどんどん早くなるという。「『30になるのはあっという間』はマジ」と書いてあるのをどこかで見た。僕はまだ30でないからその意見に対して私見を述べることはできないけど、少なくとも「高校生活の三年間はあっという間」はマジだった。そして大学生活のうちの始めの三年は、それに輪をかけるようにあっという間だった(コロナ禍という原因はあるが、それにしても。)

 「時間は逃げるべくして逃げるのです。もしそれが大切な時間なら、あなたのハートがそれを掴んでおくことなど造作もないのです」。これは高名な劇作家とかベンチャー企業の創業者とかの名言じゃなくて、今僕がそれっぽくでっち上げた言葉だけど、要するに僕が思うのは、時間があっという間に逃げていってしまうのは自然の摂理とかじゃなくて、大部分はこちらに非があるんじゃないか、ということだ。だって、やろうと思えば時間なんていくらでも引き伸ばせる。かなりな奇行には違いないけど、たとえば朝から晩まで時計の針を眺め続けていたら、1日はうんざりする程長いだろう。スキーとボーリングとカラオケと飲み会を1日に組み込んでしまえば、その日もかなり長い1日になるはずだ。こういう現実離れした仮定をするとアホらしくなってくるけれど、つまり(さっきから単刀直入に書けよって話だけど)、ルーティン的な行動から外れてしまえば、そこにはゆったりとした時間が流れている、ということです。

 じゃあどうすればいいの?ってことになるけれど、僕としてはこの題材で評論テイストな文章を書きたい気分じゃないので一般論には立ち寄らないが(だって、考えても楽しくなさそうだし)、個人的な日頃のこころがけをちょっと紹介したい。
 僕の基本方針は「なるたけ頭を動かしていよう」の一言に尽きる。たとえば駅から自宅へ帰るときも自転車はあまり使わない。散歩しがら思索を巡らす哲学者、または数学者はいても、代わりに自転車に乗る人は(きっと)いないように、歩きの方が間違いなくモノを考えるのには向いている。歩きながらは雲の形を観察してもいいし、夕焼けを反射する国道にしみじみ心打たれてもいいし、寒さにイラついて冬が寒い理由に思いを馳せてもいい。それと、こんな時に考えるのは切迫した現実からはうんと離れた事柄の方がいい。どうしても考えなきゃいけないこと─つまり受動的な思考─ではなくて、能動的な、得てしてどうでもいい考え事をする。そうした個人的な、自分と対面する思考の時間はゆったりと流れる。

 文章から動画へ、長尺のものはなるべく短く、という現代のムーブメントは、もうかなり明らかに、「日常生活の中の(能動的な)思考」の衰退を物語っている。動画を見るとき、われわれは「何もしない」。僕もそんなに人のことは言えないけど、イヤホンが手放せず、ずっと音楽や動画、もしくはSNSに浸って暮らしている状態は、なにも思考をしないという意味で、まるで脊髄反射だけで生きているようなものだと思う。でも、考えること、もしくは自分と向き合うことに嫌気が差すと、バーチャルな情報を受け続けることによって自分の思考をシャットアウトする、という手段を取りがちだ。僕もその状態に陥ることがしばしばある。

 なんだがまとまりがない文章になってしまいました。でも一応エッセイということで大目に見てくれるとありがたいです。大雑把に言ってしまえば、風呂場で浴槽に浸かっている間、タイルのマス目の数を数えてみたり、曇った鏡に絵を描いてみたり、水面に波紋を作って遊んだりするとなんかいいよね、ということだ。そうした時間は確実にゆっくりと流れるし、しかも現代ではかなり貴重だから。「待ち合わせに少し早く着いて、なんとなく手持ち無沙汰なあの時間は、人生における小確幸(小さいけれど確かな幸せ)の一つだ」。これは僕の創作じゃなくて、村上春樹のエッセイの一節だ(出典と正確な文言は忘れてしまったけれど)。僕はそんな時間に、スマホを見ないように心に留めて過ごしている。
 
 

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