ジャン・ルノワール『ピクニック』とヴァカンス法:フランス総選挙によせて(2)
海から戻ってきた子供が、真っ黒に焼けた顔に白い歯をかがやかせるのを見るにつけ、季節の微細さを感じます。
大人になると、季節の変化なんて、暑いか寒いか、低気圧か高気圧か、くらいしか感知しませんからね。それにひきかえ、子供の日焼けした肌の色のグラデーションがあまりにも細かくて、そこに、こまやかな経験や記憶や思いが刻まれたのだろうな、と、お母さんは今日も勝手に妄想します。
それはともかく。
フランス総選挙の記憶も薄れ、革命記念日もすぎ、いつのまにか梅雨もあけました。パリ五輪も目前ですが。
やっぱり、しつこくフロン・ポピュレールです。
これだけは書きとどめておきたい!
1936年「ヴァカンス法」の成立とフランス映画について。
「フロン・ポピュレール」内閣により1936年に成立したヴァカンス法は、すべての労働者が2週間のヴァカンス取得の権利をもつというものでした。
そんなフロン・ポピュレールの時代観を映像化したのが、フランス映画界の巨匠、ジャン・ルノワール監督(1894-1979)です。
ジャン・ルノワール監督。
古今東西、もっとも著名な画家の一人であるオーギュスト・ルノワールを父に持ち、パリと南仏で育ちます。
1920年代半ばから監督業を始めますが、父の遺産である絵画を売って製作費を賄った、というところに、スーパーお坊っちゃまぶりを発揮しています。
父譲りの豊かな空間感覚を、自然や官能への渇望あふれる華やかな画面に結実させ、数々の名作を残しました。映画批評家アンドレ・バザンの支持をうけ、1950年代後半以降のヌーヴェルヴァーグ世代に多大な影響を与えた点で、映画史的でも重要です。たぶん。
そんなジャンルノ監督ですが。1930年代には、フロン・ポピュレールの活動に参画していたことで知られています。
とくに、フロン・ポピュレールへの連帯が、左派運動への共感を背景に、1936年の『人生はわれらのもの』と1938年の『ラ・マルセイエーズ』を製作しています。
とはいえ、個人的には、ジャンルノ監督作品中で、フロン・ポピュレールが掲げたフランス的ヴァカンス精神を、もっとも理想的なかたちで映像化していたのは、むしろ、政治色をほとんど見せない、40分の掌編的フィルム、『ピクニック』ではなかったか、と、勝手に思っています。
映画『ピクニック』は、1936年のひと夏で撮影が行われました。
1860年夏のある日、パリに住む商店主一家の郊外への日帰り旅、として設定されています。映画の原作となっているのはギィ・ド・モーパッサンの1881年に出版された短編です。
木々を通して降り注ぐ陽光と、草上の昼食、セーヌの水面を泡立てながら滑るカヌー、水辺の草むらで繰り広げられる男女の恋の鞘当て。都会生活に倦怠を覚える母と娘は、ピクニックシートで寝そべる夫たちをよそに、いかにもスポーツマン的なカヌー乗りたちの誘惑の手にやすやすと引き込まれていきます。
『ピクニック』の映像は、白黒であるにもかかわらず、まさに父オーギュストの印象派の絵画平面をそのまま立体化したかのようにも見えます。白黒映画が、ここまで色彩を豊かに描けるものなのだ、という感動をあらためさせてくれます。色は光であるということを思わされます。
1936年のヴァカンス法の成立が、資本社会の発達とともに、都市化のもたらす過密や不衛生問題などを背景とする激烈な労働運動を背景としていることを考えれば、牧歌的な『ピクニック』のヴァカンスとそれを単純に比較すべきではないかもしれません。
とはいえ、ジャンルノ監督が『ピクニック』を通して表象化した自然の官能性は、もっと普遍的な「ヴァカンス」への集合的なイメージ、もしかしたら擬似的な記憶、を秘めているようにも見えます。
そもそもvacancyを語義とするであろう「ヴァカンス」が指し示すのはからっぽの時空であり、そこに広がるのは、夏の広い空と白い雲のような、まさに空的なありかたです。暖かな空の下で、水辺の草の上にねころがり、自然の親密さに隠れて恋を楽しむ。『ピクニック』の人物たちが体現するのは、牧神の午後的なヴァカンスの根本的なあり方なのかな、とも思います。
セーヌは川であり海であり、川面の向こうに広い海面を眺める、というのは、毎年恒例のパリ・プラージュの伝統にも言えることではないかとも思います。『ピクニック』のセーヌ河畔は、海への開放であり、旅を通じた人間という自然の解放であったのかもしれません。そこに、「ヴァカンス」が、どんな社会状況の人間であっても共有する、からっぽさの価値みたいなものがある気がします。よくわかりませんが。『フレンチカンカン』とか『草の上の昼食』とかの濃密な能天気さが、そのあたりにも通じるでしょうか。。
ちなみに、オール屋外ロケであった『ピクニック』は、天候不順など諸事情で撮影はひと夏で終えることはできなかったようです。時が過ぎ、ルノワールは渡米してしまい、最終的に未公開のまま一般公開に至ったのは10年後の1946年だったようです。
それと、主演の娘アンリエット役を演じた女優、シルヴィ・バタイユは、ジョルジュ・バタイユとジャック・ラカンと結婚歴があります。可憐なアンリエット嬢の実際の結婚相手が、あの、バタイユとラカンか、、、と考えると、そこもなんだか、心の底をえぐられる感じがします。
ローマ神話的な神々の空間として対置された解放された自然がある種の楽園であるとすれば、それもまた、一興ですね。
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