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マルコ・ベロッキオ監督『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』

映画試写会に行ってきました:

マルコ・ベロッキオ監督『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』2022
8月9日から、Bunkamuraなどで上映開始となります。


ザジフィルムズ35周年記念作品です。
試写会の機会をいただき、まことにありがとうございます。



『夜の外側』は、1978年3月、イタリア元首相のアルド・モーロがローマの街中で白昼堂々と誘拐され、55日間におよぶ監禁の末に殺害された事件を題材にしています。

この事件で、当時の政権与党であるキリスト教民主党の政治家たちは、実行犯である武装組織「赤い旅団」との交渉を途中で打ち切り、最終的にモーロは「赤い旅団」に「処刑」されて遺体となって家族のもとに戻されることになります。

340分に及ぶ迫力の大作ですが、荘厳なオペラ作品を彷彿とさせる冷静と激情のカタルシスが、どこかギリシャ悲劇めいていて、緊迫感のあるドラマが観客を作品世界にグイグイと引き込ませてくれます。

1960年代末から1980年代にかけて、イタリアは、武装組織によるテロリズムが日常化し、陰でマフィアが暗躍しました。このいわゆる「鉛の時代」の背景には、冷戦下において、イタリア共産党の伸長に対するアメリカやNATOによる反発と干渉があり、国際政治におけるパワーバランスの中で、内政問題はさらに不安定化を極めていったようです。

モーロ事件は鉛の時代の象徴として、その陰惨さにより世界を震撼とさせましたが、その真の恐ろしさは、国際政治という、もっと大きな闇により、真実を掘り下げようとすればするほど、光がとざされていくところにあるかもしれません。

本当の敵は、悪は、誰で、何か。

映画では、明確な答えは提示されない代替として、ベロッキオ監督がモーロ氏におわせたのは、「キリスト=殉教者」のイメージです。
中盤で、モーロがキリスト教民主党の政治家たちを背にして、磔刑の十字架をかつがせられる幻想的な場面があります。モーロの殉教者イメージを支えるのは、究極的には政治と宗教の身体性であり、荘厳なオペラを彷彿とさせるchoralを背に、モーロの遺体は感動の中で聖別される。

政治と宗教が一体化していた古代から、祝祭は供犠を求めてきた、としても、供犠の提供とは、羊の犠牲は、解決しえない闇を飲みこものであり、明かされない真実の闇はやはり闇のまま取り残されてしまった、気もします。

バチカンのローマ教皇と友人で敬虔なキリスト教徒、温厚な家庭人で大学教授の顔をもつ、良き人であったモーロ氏。こうした聖人化もまたある種のプラグマティズムなのかもしれません。聖人化のための遺体の聖別は、イタリア的現実主義による妥協の結果であったのかもしれないです。

本当の敵や悪は知らされないまま、祝祭の興奮と熱気をあげることこそ、あからさまな現実であるのかもしれない、と勝手に思いました。

日本にいると、イタリア現代史は少し遠く感じるし、お国柄もだいぶ異なるかもしれませんが、第二次世界大戦の枢軸同盟で敗戦国であった半島国家という共通項もあります。アメリカとの関係から戦後社会の発展を比較するのも興味深いかもしれません。


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