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アントニオーニ『太陽はひとりぼっち』シノプシス

イタリアの映画監督、ミケランジェロ・アントニオーニの『太陽はひとりぼっち』1962年。


冒頭の別れ際のカップルによる会話:

Riccardo: Quando hai cominciato a non amarmi piu?

Vittoria: Non lo so.

リッカールド:僕のことをいつから愛さなくなったんだ?

ヴィットーリア:そんなの知らない。


映画の舞台となったEURはアントニオーニ『太陽はひとりぼっち』の舞台となったローマ郊外の美しきモダニズム都市。イタリア合理主義の建築家が参加したコンペの図面などが多く残されています。

EURは、『太陽はひとりぼっち』では敗戦国の戦後の経済興隆と1960年のローマ五輪を象徴する華々しい新都市としてあらわれますが、そのの起源はヴェニト・ムッソリーニがローマ帝国復興をめざし1942年の開催をめざしたローマ万博(E42)でした。

ローマ人にとって『太陽はひとりぼっち』EURを舞台とする映画の筆頭格ですが、アントニオーニ自身にとっても個人的に因縁のある町で、ファシズム大学生時代の映画批評家としての活動と濃厚に結びついています。戦後、アントニオーニ自身は、ファシスト時代の黒歴史に触れられるのを相当嫌がっていたみたいで、周りも忖度してなるべく触れないようにしていたようです。ファシズム文化研究では映画の分野でアントニオーニの名前はわりと出てきますが、アントニオーニ研究の文脈ではあまり取り沙汰されない所以かもしれません。

そんなこんなで、『太陽はひとりぼっち』で、EURの街並みが映画に登場して、そういえばアントニオーニってさ昔はさあ・・・などとつっこみをいれる仲間はいなかったのかな、とか、そもそもアイツは日和見的な性格だから、まあそんなものか、とプラクティカルな判断をなされていたのか、とか勝手に夢想してみたり。

黒歴史、などというのは自意識にすぎず、本人が気にするほど周りは気にしていないということなのかという考えもあります。

一方で、この時代に青年時代を過ごしたイタリアの文化人とっては、ファシストとしての過去とはある種の原罪で、向き合うか向き合わないかのモラルのありかたは、表現者として生きる上で大きな別れ道であったとも考えられます。罪の意識を隠蔽しながら過去をこっそりと、そしらぬふりして、のぞきみしてしまうのがアントニオーニとその作品であったと考えれば、一連の作品についても少し違った見方ができるかもしれない。

過去の風景は、読む、読まれる瞬間は現在形となり、過去を現在で隠蔽する『太陽はひとりぼっち』をはじめとしたアントニオーニのストーリは、ローマのような古い都市の構造のようです。

テッラーニのようにはやくに亡くなってしまうと色々と糾弾されるけど、ピアチェンティーニのように長生きすれば黒歴史も超克できるのかもしれませんが。建築家も映画監督も長生きしたもの勝ちなのかもしれない。

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