見出し画像

EURの本

ローマ旧市街から地下鉄B線で南に20分。ローマ新都市のEUR(エウル)の起源は、ムッソリーニが1942年に開催を予定していたローマ万博。ローマ万博の開催会場として1910年代後半頃に構想が開始されたと思います。オスティア海と新都市EUR、そしてローマ中心部のヴェネツィア宮殿をつなぐ戦略ファシズム政権による大ローマ帝国再興の妄想だったようです。

イタリアの第二次世界大戦での敗戦 により、EURは廃墟化していましたが、戦後のイタリア全体の住宅不足解消の一環で1950年前後から再開発が進められ、1960年のローマ五輪の成功を極点とするモダニズム都市が花開いたのでした。その後、ローマ中心部では難しいオフィス街としての開発も進められ、今に至る大まかな経緯であったと思います。

ベルナルド・ベルトルッチの映画、『暗殺の森』の原題はIl conformista(日和見者)ですが、エウルが登場するところがなかなかに象徴的です。ファシズム期の忌まわしき思い出、といっても、歴史は禍々しい出来事の積み重ねであり、ムッソリーニの誇大妄想など、時間が経てば、一瞬の記憶でしかなくなるのかもしれない、という諦念もあるかもしれない、とすれば、古代から綿々と紡がれてきたローマ人の現実的な知恵として、あまりこだわらないほうがいいのかもしれない、という考え方、生き方なのでしょうか。残った柱の残骸も新しい建物にやくだてよう!というエコロジー精神で、戦前に沼地を一生懸命埋め立ててできたエウルの土壌の上に、花開いたイタリア合理主義の花、エウル。リノベーションってすばらしい。

エウルという街が心ひくところがあるのも、若い都市にもかかわらず抱えさせられた、都市の時間的、空間的な重層性があらわであるかもしれないですね。

いっぽう、かつての敗戦国・日本は、首都でのオリンピック開催をめぐりゆれていますが、一体どうなるんだろう。五輪都市として開発したのに五輪が開催されない、その場合はエウルみたいにやっぱり廃墟…?オリンピックがなくなって、東京の都心は廃墟になっても、そのうちまた使い回しはきくかもしれません、と思いたいです。八重洲、丸の内、六本木、新宿などなど、再開発の行方も気になります。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?