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YGNにおいでよ。

BKKへいってきた。
陣中見舞として友人がやって来てくれたのだ。川風に吹かれて三島由紀夫の暁の寺のサンセットを眺める。何もいわなくても通じる相手はありがたい。本来ならヤンゴンに来るはずであったが周りに心配されてタイで会うこととなった。世界中の観光客で賑わうバンコクは大都会。コップンカーと笑顔もまたたく間に消えてしまう。トゥクトゥクが煙をはいて縦横無尽に走る。

深夜便でヤンゴンに戻ると緑深く静かな街にホッとした。
ヤンゴンは京都に似ている。中央に大きな湖があり、その東西南北でおおよその位置がわかる。上ル下ルと表現するのもわかりやすい。いつものカフェに行くと、若者たちの心からの笑顔があった。

日本も暑いから覚悟して来て。42℃のヤンゴンからは余裕と思っていたが、モワッとした暑さはこれまた格別で、涼を求めてカフェに入る。ミラノサンド焼肉明太高菜にミラノ感は全然ないが美味。ビバ!日本。
夏休みの山手線は大混みで、駅も階段も民族大移動のようだ。駅の連絡口に降り立つと、一生かけても食べきれないほどのレストランと食べ物が並んでいる。人生は選択の連続だ。内戦のない平和な日本ではあるが、人口密度の高い車内や街中で過ごすことが、日本人にとって無我のメディテーションとなっているのかもしれない。これはミャンマーから来た技能実習生も大変であろう。

「ミャンマーへ久々に行くのがこわいの。」現地で事業を行っている方がいった。ヤンゴンは変わりませんよ、落ち着いていますと伝えるが全く変わってしまったニュースの風景をみてついていけるかわからないという。

一緒に学んだクラスメイトもミャンマーに心を寄せている。けれども彼らのミャンマーは、私が住んでいる日常とは異なっており、(それも事実であろうが)聞いていると戻るのがこわくなるほどだ。

ヤンゴンのお祖母さんのところへしばらく娘を預けようと思うの。コロナ後にやりたいことがみつからず気がふさいでいるという。
いいと思うよ。ヤンゴンにいると生きることに必死になる。電気が来てもwifiが戻っても手をたたいて喜ぶ。何でもあるマテリアルワールドでは、何が必要で、何が必要でないかがぼやけてきてしまうのだ。

涼しい自転車タクシーのサイカーから見上げる黄金のシュエタゴンパゴダは今日も輝いている。何もないようで何かがある。ヤンゴンにいて気づく豊かさもある。

暁の寺の英語名は Temple of Dawn。
夜明け前が一番暗い。素敵な景色や心からの笑顔がミャンマーにはある。それらを照らす新しい夜明けが来ることを願っている。

忌野さんバージョンもいいけれど。夢の共演 /  Akiko Yano


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