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どんな自分で一生を終えたいか 翻訳者 山本真麻さん

山本真麻(やまもと まあさ)
 神奈川県生まれ、福岡県北九州市在住。実務・出版の英日翻訳者。訳書は『それはデートでもトキメキでもセックスでもない』(イースト・プレス)、『クソみたいな仕事から抜け出す49の秘訣』(双葉社)、『休息の科学』(TAC出版)など。福岡で出会った方言で好きなのは「ちかっぱ」と「しゃれとんしゃあ」と「~げな」。
Twitter:@martha0u0

どんな自分で一生を終えたいか

※終活(人生の最期に向けた準備)の話ではありませんので、ご安心ください。

・「自分語り」への偏愛
 インターネット上で初めて「自分語りすみません」のようなことわり文句を見たとき、純粋に驚きました。「自分語り」って悪い意味で用いられる言葉なんだ、と。面と向かって繰り出される自分語りが、ときに煙たがられるのは理解できます。聞く側が自由にタイミングを選べない点がいちばんの問題でしょう。予告なく唐突に、よく知らない人から生い立ちやら悩みを延々と聞かされても、たぶん受け止めきれません。せめて時間と心に余裕があるときに、暖かいところで腰を落ち着けて聞かせてほしい。
 だけど、それが文章になってどこかに転がされていて、こちらが好きなときに拾って読んでいいのだとしたら。本来なら知りえないはずの誰か、自分と同じ世界に確かに存在する誰かの日常や人生が詰まった「自分語り」は、私には究極のエンターテインメントであり慰めでありエネルギー源です。エッセイ、自叙伝、日記文学あたりって、言ってしまえば極上の自分語りではないでしょうか。ほかの人間は何を感じ、何を考えて生きているの? という永遠のテーマ(私にとっての)への答えでもあります。くだらないエピソードから胸が痛む体験談まで、それを自ら開示してくれる人の勇気にも感謝です。

 私はいままで、ノンフィクション書籍を共訳含めて7冊訳す機会をいただいてきました。毎回とても苦し、いえ楽しんで訳しています。ビジネス書、自己啓発書、性犯罪の本、動物の絵本などいろいろですが、毎回心から思うのは、本を1冊つくれる量の知識やアイデアをもっているってすごい。表現の乏しさに失笑しますが、でも純粋に、読者を想定したうえでまとまった量のコンテンツを文字で用意するって、そうとうなエネルギーのいる作業だと想像できます(卒論の苦しみがよみがえります)。だから、それなりのボリュームの知識や強い思いがあるならぜひ本にするべきだし、その本はぜひとも世界に拡散されるべきだと思うのです。

・きっかけはひとつの事故
 私が翻訳の道に入るきっかけをつくったのは、ある事故の報道でした。

 翻訳には子どもの頃から憧れをもっていましたが、大学の英文科を卒業後、結局は機械メーカーに就職しました。翻訳は私にはまだ早い、人生の経験値が上がらないと翻訳はできない、と思い込んでいたのです。世界中のいろいろな人の気持ちがわかるようにならないと本は訳せないだろう。50歳くらいから始めよう。それまではがむしゃらに働いて稼ぐんだ、という人生計画でした。
 会社員になって2年経った頃に、テレビで事故のことを知りました。当時の私と同じくらいの年齢、似た境遇、同じような行動をとっていた女性が犠牲となった、トンネル崩壊事故です。私も明日にでも同じような事故に遭うのだろう、いやトンネルでなくとも、明日でなくとも、気付いたときにはそうなっているのだろう、と妙に納得させられるものがありました。そして次に思ったのは、「私まだ翻訳家になっていない!」 いつか死ぬなら、「翻訳家」として死にたい。生きているあいだも、少しでも長く「翻訳家」でいたい。
 そこからは早かったです。会社を辞め、経験なし知り合いゼロの状態で突然フリーランス翻訳者になりました。とにかく一日も早く「翻訳家になる」ことで頭がいっぱいで、いま思えば、もっと計画立ててスタートを切るべきだったとは思います。運よく実務翻訳のチェックやコーディネートの仕事をもらうことができ、始めてみると実務翻訳が楽しくてのめり込み、もともとの目標を思い出してなんとか書籍翻訳の仕事を手にできたのは、しばらく後のことでした。でも、世界の人の気持ちがわかる日を待たなくて本当によかった。だってそんな日は永遠に来ないもの。

・ノンフィクションの魅力に気付く
 いまはノンフィクション書籍のお仕事をいただいていますが、もとは小説を訳したくて翻訳者を志しました。図書室に入り浸り、国内外の小説を手当たり次第に読む子どもでした。親の転勤で合計4つの小学校に通ったので、ラインナップに飽きる前に図書室が変わるという、ある意味恵まれた環境でした。怪盗ルパン全集や『赤毛のアン』シリーズが私の原点です。いつか翻訳家になりたいと初めて本気で思ったのは、YA小説『アグリーガール』(神戸万知訳、理論社)を読んだとき。異国の物語なのに、自分が通う日本の学校、自分のすぐ隣の席に登場人物たちがいるように感じられた、不思議な没入感を覚えています。

 子ども時代に小説以外ではまった読みものといえば、さくらももこさんのエッセイと家にあった弟の将棋戦略本(ストーリー仕立てでおもしろかった)くらいでしたが、19歳のときにちょっとした事件が発生します。インド系の友人にネルソン・マンデラの話を振られて「えっ、それ誰?」と返した瞬間、友だちの顔に軽蔑の色が浮かんだのです。外国で働きたい、と漠然と考えていて、夏休みをイギリスの語学学校で過ごしたときのことでした。私は外国をかなり身近に感じてきたし、知ってるつもりでいたけれど、それはあくまで小説内の世界であって、もしくは主に欧米に限られた外国であって、実在の人や出来事、リアルな世界について全然知らないじゃん! と気づいた瞬間でした。後でこっそりマンデラを調べたら、いやあ、有名人! この頃から読書の目的は、日常から離れて別世界に逃げ込むだけでなく、誰かの知識や思いを受け取り、吸収する行為にもなりました。

・声を拡散する
 本を1冊つくれるほどの思いや知識をもつ人を、私は心から尊敬します。本を書く人がもつ発信力、言葉の力、勇気にも憧れます。私はその発信源にはなれないけれど、「拡散」役になりたい。3冊目の訳書『それはデートでもトキメキでもセックスでもない』との出会いで、その思いがぐっと強くなりました。レイプの8割は顔見知りによる犯行、という衝撃的な事実を、何十人もの性被害者へのインタビューとあわせてまとめた本です。誰かが発信しなければならない事実とデータ、伝えても伝えきれないリアルな声がそこにあり、ノンフィクションを訳す重要性を肌で感じました。
 ビジネス書も好きです。知識やテクニックの拡散にはわかりやすいメリットがあるというのもモチベーションのひとつになりますし、私の好きな「自分語り」ではないとはいえ、著者の個人的なエピソードや感情は必ず差し挟まれます。やっぱりそこには、同じ世界で生活を送っている誰かの思いがあるのです。
 ほかにも、夢と興味は尽きません。ジェンダーやルッキズムにまつわる呪いを解くような本を訳したい。社会問題や性暴力をなくす「教育」ができる本を訳したい。好きな場所やものについて延々と語っちゃうマシンガントークな本もいいな。そしていちどは、究極の「自分語り」であるエッセイや自叙伝を訳したい。同じ地球に生きていながら出会うことのなかった誰かが、1冊の本になるくらい熱く語ってくれた何かを、私がもっと広められたら。

・どんな自分で一生を終えたいか
 好き勝手に「自分語り」を繰り広げてしまいました。読んでくださった方にお礼を申し上げます。まとまった量の自分語りをしてみて個人的には収穫がありました。「どんな自分で一生を終えたい?」を、しばらくアップデートしていなかったことに気付いたのです。翻訳者にはなれたけれど、課題だらけで目の前の仕事にもがくばかり。でもここからは、「どんな翻訳者として、何を訳して一生を終えたい?」の問いを軸に仕事に向き合っていきたいと思いました。胸がえぐりとられるような悲しいニュースが多い日々もあいまって、理想形の自分に早くなろうという決意を新たにしています。

 仕事や育児や何かしらに従事しているときっと誰もがそうだと思いますが、誰かのことを考えてばかりだと、自分に意識が向きづらくなります。いちど、自分の思い出や本心や苦労話にめいっぱい我が儘にスポットライトを当て、それを誰かに聞いてもらう「自分語り」は、意外にもよい効果があるのかもしれません。皆さんの自分語りもぼやきも武勇伝も、インターネット上でもどこにでもそっと置いといていただければ、読みたいタイミングで(少なくとも私は)全力で拾いにいきますし、どこかでそれに人知れず救われる人も必ずいるのだと思います。

 有益な情報をひとつも挙げられなかったので、最後に、悩んでいたときに背中を押してくれた大好きなTEDプレゼンテーションを紹介させてください。
ジャ・ジャン「100日間拒絶チャレンジで学んだこと」

 皆さんが「大好きな自分」で一生を終えられますように。

プロフィール:
山本真麻(やまもと まあさ)

 神奈川県生まれ、福岡県北九州市在住。実務・出版の英日翻訳者。訳書は『それはデートでもトキメキでもセックスでもない』(イースト・プレス)、『クソみたいな仕事から抜け出す49の秘訣』(双葉社)、『休息の科学』(TAC出版)など。福岡で出会った方言で好きなのは「ちかっぱ」と「しゃれとんしゃあ」と「~げな」。
Twitter:@martha0u0

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