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「わ、本物のお遍路さんだ」 12フィートの木材を持ってあるく21日目

2020年4月8日(水)

晴れ。気温21℃。体温36.3℃。木材の長辺2774mm

朝、ホテルを出る時、清掃員のおばちゃんが木材を指差しながら「それ、何に使うんですか?」と聞いてきた。

「持ち運ぶために使うんです。」
「え?」
「何かに使うんじゃなくて?」
「持ち運ぶだけですね。」
「はあ。」

何に使うかと言われると、持って歩くことにしか使わないのでそうとしか言いようがない。「それをアートだと思ってやってます」という言葉は添えておく。

大体みんな腑に落ちない顔をする。世の中いろんな人がいるわね、というような表情を浮かべておばちゃんは、窓を拭きに持ち場へ戻った。

そういえば昨晩利用したこのホテルは、現代美術の作家が手掛けたらしい作品や壁画が飾られているホテルだった。

新潟の越後妻有トリエンナーレの会場になっている新潟県の十日町では、アートという単語を出すと「ああ、そうだと思ったわ」みたいな反応が多かったが、瀬戸内国際芸術祭の地であるこの高松では、そういう反応にはならなかった。


そうそう、私は木材を持って唯一歩くことを遠慮したい地があった。それが四国である。

なぜかというと、四国には「お遍路さん」という伝統的な文化が存在しているからであった。白装束に身を包み、杖を持って88箇所巡りをする、という文化。お遍路さんがあることによって、大荷物を持って歩いている人に対して疑問よりも「頑張れ」という温かな雰囲気が流れる場所。今まで、私が木材を持って歩いている話をすると「私もお遍路さんをしたことがあるんです。」という話になることが度々あった。「お遍路さん」とはどうしても差別化したかったので、その聖地に足を運ぶと、お遍路さんの概念として見られてしまうという懸念があり、四国は避けたい地である。

しかし今回の社会情勢を顧みてもそんな事は言っていられない。むしろこんな機会でなければ歩かなかったのだから、実際に歩いてその違いを見つければいいじゃないか、と自分に言ってみる。

歩き始めると、さすが四国、本州よりも気温が2、3℃高いことを体感で気づいた。毎度19℃で暑い、暑いと喚きながら歩いてきたのだから、それより暑かったらすぐに気づく。
ただ風の強さもあってか、夏を感じるほどに暑いわけではなかった。山なりがイラストで描かれるイメージ図のような三角山だった。一つ一つが大きい。岐阜のような山脈で囲まれた地域と比べると山一つ一つが独立して存在しているような感じだ。

そして自然か人工かわからないが池が多い。

そして不思議なことに、晴れているのに空気が霞みがかったように感じる。近くにあるように見える山も霞がかっている。このような見え方は、私が歩いてきた他の都府県では見られなかった。四国独特の現象なのだろうか。


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写真:写真だとわかりづらいかもしれないが若干霞がかっている。

そして兵庫と比べて、予想した通り、全く人とすれ違わなくなった。人の様子がない。たまに下校時間の中学生が自転車で通り過ぎるくらいになっていた。

今日泊まる宿の近くも、1km圏内に飲食店やコンビニが見当たらなかった。

なるほど、ここからは気候と食糧調達との勝負だな、とグッと息を飲んだ。

お遍路さんですか?と聞かれた時の言葉も考えておかないと、と思った。何より香川から愛媛に向かうのはお遍路さんを逆走することになる。

遠目にお遍路さんらしき、杖を持った大荷物の人が歩いていた。「わ、本物だ。」私は少しお遍路さんに隠れるようにしながら見過ごした。私の木材も杖になったらいいのに。あまりに大きくて、そしてむしろ私の足を引っ張る。杖として支えられたことはない。引きずられるためだけのものだ。朝、清掃のおばちゃんが疑問に思ったのも納得だ。

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