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「自己紹介」




はじめまして!

さわだちあきです。
兵庫県神戸市で生まれ、宝塚市で育ち現在神戸市に主人と娘(12歳小学6年生)と一緒に住んでいます。

現在イノチグラス目育士となり神戸市東灘区を拠点にそして各地出張しながら活動しています。
きっかけはイノチグラスのヘビーユーザーだったこと。
イノチグラスをかけてから自身の心も身体も変化があった事から、もっと目の事知りたい。もっとメガネの事、身体の事を知りたいという気持ちが湧き出て!イノチグラスの目育士になりました。

イノチグラスおつくりに興味がおありで、お急ぎの方はこちらをご覧ください。

今後私がやっていきたいことは、以下の通りです。


● いのちを大切にする社会を創る
いのちを大切にする社会を創るには?
健康であれば地球と同調した選択が出来る。
そう考え、イネイト整体中崎町を立ち上げグラノーラ屋さんラ・グランダ・ファミリオを立ち上げました。
健康を手にし、人間の心の変容こそがお互いのいのちを守り合い大切にする世の中を創ると考えます。

● 学びの場を創る
育ちを妨げない、環境を整える。
人と人が分かり合うためには、相手の体の特徴を知ることは必要不可欠だとイノチグラスに関わり強く思うようになりました。
その人とコミュニケーションを取るのに、その人の背景を良く知る事が大切なように相手がどのような身体を持っているかを知る事、自分がどのような身体を持っているか知る事が大切なのです。自分の事を知る学びの場の創造、イノチグラスおつくりの際にそう思っています。


自己紹介

子供のころから、福祉に関わる仕事をするんじゃないかな、と思っていました。
小学生の時に、なかよし学級(特別支援学級)の教室にトランポリンがあって、それで遊びたくてよくそのクラスに通っていました。そのクラスにいた女の子と仲良くなり、学校から帰ってからも一緒に遊んでいました。その子のお母さんに「ちあきちゃん、大きくなったらこの子たちが出来る仕事をつくってあげてね。助けてあげてね」って言われていて。それがずっと心に残っているのです。

中学生の頃からはボランティア活動に参加する日々でした。色んな団体に所属して活動していました。英語が好きだったので高校生の時に1年間アメリカへ留学し、一度目の結婚では駐在に着いて行き、中国北京に4年半住みました。

中国から帰国後、親の仕事である輸出入業を手伝いはじめ1年ほどで会社が清算となります。再度同じ仕事をわたしが別会社をたて直し始めることになりました。

更に父の癌が見つかり実質お手伝いではじめたつもりの仕事を代表として受け継ぐことになり色々なストレスを抱え身体に症状が出ていました。顎関節症や肌荒れなど。皮膚科に行っても、産婦人科に行っても、歯科に行っても解決しないような症状でした。その時にたまたま受けたイネイト整体・むつう整体(むつう、無刺激、無接触の脳幹を活性化する波動療法です。)20年あった肩こりが一度の施術でなくなったのです。その後、一つ一つの症状が自然に解決していきました。驚きと感動からイネイト整体の施術場所を大阪の曽根崎新地ではじめました。

大阪中崎町にて

その後二度目の結婚、出産を機に大阪中崎町に引っ越します。
大阪中崎町でイネイト整体(イネイト整体大阪中崎町)を続けました。
現在10歳になる娘をマクロビオティックの考え方から3歳までお米と野菜だけで育てました。一般に販売されているスナック菓子が健康を害する事があると知り、市販のお菓子も与えませんでした。大きくなるにつれ社会との接点も出来、「おやつ」を欲しがる時期になり出来るだけ安心安全なものを自分で用意したいと思っていた矢先の事です。グラノーラに出会いました。


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お店の名前はLa Garanda Familo、エスペラント語で大家族です。
自分のこと(美味しいグラノーラが食べたい)、
地域の事(保存食の製造で防災に貢献)、
世界の事(民衆交易を取り入れる事で貧困地域の支援)
を一度に取り入れた商品作りをする事で、
持続可能な社会の創造に貢献出来ると考えたのです。


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娘の教育については色々な選択肢の中選びきれずにいました。手元で育てるつもりがグラノーラ屋さんが忙しくなり幼稚園に入れることになりました。

おかげさまでグラノーラ屋さんもその時に起こっていたグラノーラブームに乗り忙しくなっていたところでした。日経プラスワンのグラノーラランキング第二位。日本で製造されているものでは第一位になったのもこの頃です。


幼稚園では思っていた以上の成長をとげる娘を見て、その幼稚園が新しく創立する小学校に入学する事を決めていました。


入学式の一カ月前に、その学校が創立されないことが決まりました。本当にお世話になった先生たちが責められるような事ばかり報道されている様子をどうにかしたいとテレビの取材を受けました。残念ながら取材は切り取られ意図とは違う見せ方になった報道に耐えられず、大阪を出ようと考えます。移住先を探しましたが、ここだと思うところは見つかりませんでした。


娘は急遽公立の小学校に通うことになりました。幼稚園の時の学びと小学校の学びの差に戸惑った娘は小学校に行く事をやめました。


本当の教育ってなんだろう?


学びを続けるための手法を色々と探し試しました。戸塚ヨットスクールもその中のひとつでした。戸塚先生の子供たちに対する思いは「脳幹を強くする」という生きる根幹から来るものでした。自然から自立を学ぶ。大きく共鳴したわたしは娘を月に一度ヨットスクールまで連れて行って連れて帰るという事を続けていました。


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そんな時に、La Granda Familioのグラノーラを気に入って下さった、障がい者の就労支援をしている社長さんが「うちでもやらしてほしい。」と申し出がありました。子供のころからの願い、「ちあきちゃん、大きくなったらこの子たちが出来る仕事をつくってあげてね。助けてあげてね」と言われたことを実現するために是非ともと話がとんとん拍子に進みました。

最初は自分の店ともう一つの店舗として話が進みましたが、LaGrandaFamilio本店と障がい者就労支援のお店と区別をすると差別が生まれるかもしれないと思い、製造も販売も全てお任せすることにしました。



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お店から離れ、大阪からも離れて、娘が係わった全ての学びの場からも離れました。引っ越した先、神戸では娘も環境が変わることで喜んで小学校に通う事になりました。


このタイミングでイノチグラスに出会い、その後イノチグラス目育士となります。


イノチグラスとの出会い。

そしてわたしに起こった事。



La Granda Familio 大家族プロジェクト続行中

全世界が大家族であることを思い出す。
全ての人が同じく踏みしめる大地の子供として本当の繋がりを思い出した時、今日経験している、今だけ、自分だけ、お金だけの勝者の幻想の幸福感から、全ての人がただ在りてあるそのままの幸福の只中が始まる。
そして、全ての命、この星、この宇宙を「La Granda Familio」ととらえた時、大宇宙の叡智の時代が始まる。それは、新たな試みでも、未知の領域でもなく私達の祖先の叡智だ。La Granda Familio はエスペラント語で「大家族」。


イネイト整体、
La Granda Familio グラノーラ、
そしてイノチグラス


共通することろがあります。

知らないうちに変容する環境をつくるという事です。
イネイト整体は身体の環境。
グラノーラは食べる環境。
イノチグラスは眼鏡で環境。

変容したいと願う。
もちろん私もそうです。
ですが、目指すものが変容そのものとなり真の変容は手に出来ない。
作用反作用が働くからです。

真の幸せ、健康を手に入れ地球の周波数と共鳴する。
無意識のうちに変容が起きる環境をつくりたい。
それがわたしの一番の願いです。



ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
何処かでお会い出来る事を楽しみにしております。


イノチグラスを手にしたいあなたへ


〇イノチグラスルーム神戸(神戸市東灘区)
〇出張にて

イノチグラスおつくりしています。

詳細はこちらをどうぞお読みください。

https://peraichi.com/landing_pages/view/sawadachiaki

測定のお申込みはフォームから
https://ws.formzu.net/fgen/S44033688/




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