キッチンで物語を聞かせて

キッチンで物語を聞かせて。
逆立ちをして話を聞かせて。ケチャップもマヨネーズも、わさびのチューブも、みんなさかさまになってきみの話を待っている。

キッチンで物語を聞かせて。
頭をしめつける悩みをゆるめて。ジャムの瓶も佃煮の瓶も、お湯につければ蓋がやさしく開いてくれる。

ひかる
ひやす
みがく
みたす
きざむ
ひたす
にがす

ゆげのゆらりゆくえ


光るフォーク
冷やすミルク
みがくシンク
満たすコップ
刻むしょうが
ひたす菜っ葉
逃がす湯気の
ゆらり行方。

スプーンやフォークやボウルの色はなに色? 
ほんとうに銀色か確かめようとのぞきこんでも、
不思議そうな僕の顔とキッチンの景色が
ぐにゃり曲がり映るばかり。
はちみつが垂れる速さ、秒速何ミリメートル? 
粉雪や花びらよりずっとずっとゆっくり、
進もうとするでもなく止まることもない。
ただそこにあり続けることの喜びと悲しみ。

ダンスフロア―に華やかな光、
まっさらなまな板は踊りがいがありそう。
会議じゃないんだ、踊るゆえに進まず、それでいい。
刻むのは白葱のリズム。
でも知ってる、そんな明るく照らされた場所や、
道いっぱいのクラスメートのおしゃべりを、
きみはいつもちょっとだけ離れたところから眺めながら歩いている。だから――

キッチンで物語を聞かせて。生活の隅っこを小さくまもって。
食卓で向かい合って言えなかったことも、
隣り合ってつぶやけば事足りることも。

まずは手を洗って、
少しだけ笑って、
もうほんのしばらくでいいからそこにいて。

泣きたかったできごとは卵とじにして、
キッチンできみの物語を聞かせて。


あちこちで鳴り始めるタイマーの電子音は
時を告げる鳥の代わり、昼下がりの森みたい。
フライパンに敷いた油が弾ける音は、
真夏の夕立の音に似ている。
あるいは劇場を揺らす拍手喝采。
この芝居の舞台装置はやけに凝っていて、
水だって炎だってはてはドライアイスまで、
惜しみなく使っていい豪勢なやつだ。

冷蔵庫が低く歌うドゥーワップ・ミュージック、
冷凍室から繰り出すペンギンのパレード。
テーブルでは右と左二枚回すレコードを
お気に召した混ぜ加減で45回転。

親なのにだとか、恋人だからとか、
そんなせりふはミキサーにかけてしまうよ。
キッチンに立つときくらい、一緒に
ただの生きる人でいられるように。

キッチンで物語を聞かせて。
あることないことないまぜにして。
おだやかな相槌と無言がほしいときも、
あわよくば次善の策がほしいときも。

まずは手を洗って、
少しだけ笑って、
もうしばらくでいいからここにいて。

今夜の白い月を砂糖で煮詰めて、
キッチンできみの物語を聞かせて。

キッチンで物語を聞かせて。逆立ちをして話を聞かせて……

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