見出し画像

2020.03.25 淡々東京ぐらし #1

予定通りいけば4月1日から会社員になる。なるはずなのだが、疫病が今後どうなっていくか、まったくわからない。

***

東京五輪が一年延期されることになった。まださらに一年、五輪がらみの政治的いざこざとプロモーションに付き合わされると思うとうんざりする。

***

学生時代以来の大量の積ん読を新居に持ってきたので、しばらくは新しく本を買わなくてもよさそうだ。これでもだいぶ売ったり寄付したりしていたのだけれど。「本を買うのにかかる時間≪本を読むのにかかる時間」という法則が崩れない限り、積ん読はわたしの部屋ばかりでなくすべての積ん読者の部屋に居座り続けるのだ。南無三!

昨日は北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』を読んだ。イギリス文学を中心に、小説や映画、戯曲をフェミニスト批評の視点から鮮やかに読み解いていく、痛快な入門書だ。

同書の中に紹介されていた、カズオイシグロ『わたしを離さないで』を、わたしはまったく“読めて”いなかった。語り手のゆらぐような記憶と語り口に、靄の向こうから出てきてくれないようなもどかしさを感じていたにはいたけれど、そのもどかしさに“振り回されて”いるばかりだったのだ。

再読するときは、北村があとがきで言っているところの「探偵」として、あちこちに目を配りながら物語に分け入ってみたいと思った。

***

新居に引っ越してきてもうすぐ二十日くらいになるらしい。キッチンの狭さに一日三回悪態をつくという新しい習慣ができたが、なんだかんだ自炊は楽しくやっている。

ツナ缶とパスタにはもう幾度となく世話になっている。今のところ「ツナとたまねぎの和風パスタ」をヘビロテしている。ご存知レシピサイト「クラシル」の恩恵である。クラシル、ナディア、つくおき、クックパッド、白ごはん.com、そしてたまにレタスクラブやメーカー公式レシピサイトを周遊していれば、自然と自分の定番メニューができてくるというものだ。

市販のパスタソースももちろん好きなのだが、次第に、市販のソースにはない大ぶりな肉やシャキシャキした野菜がほしいなあという欲が出てきた。そういうわけで、最近の昼食は専ら、電子レンジでパスタを茹でつつ、IHコンロでパスタソースをこしらえるというスタイルだ。

女性だから料理ができなきゃという動機からでもなく(自分や他人を生き延びさせるための技術とジェンダー役割が結びつくのは好きではない。必要に迫られた、という理由さえあればいい)、家庭的なキャラクターをアピールしたいわけでもない(そもそも、「家庭的」でいうところの「家庭」ってなんなんだ)。ただただコスパと満足感を求めて、ちょっとだけダルそうに自炊をする。そんなもんでいいと思っている。

「料理は言語や意味以外の身体感覚を耕せるから好き」みたいなことを人に話すと、「うん……?(何言ってんだ?)」みたいな反応をもらうので、毎度申し訳なくなる。言いたいことのモヤっとした姿は頭の中にあるんだけど、言い回しがまだるっこしくて、しようがない。

***

新居で暮らし始めるにあたり、19インチの小さな液晶テレビを買ったけれど、そんなに見ていない。見たところで、NHKの「サラメシ」や「ブラタモリ」くらいである(言い換えれば、この2つの番組が好きすぎるのだ)。

で、やっぱりラジオを聴いてしまう。ラジオアプリradikoが手放せない。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」「アフター6ジャンクション」、J-WAVE「SONAR MUSIC」「SATURDAY NIGHT VIBES」は、タイムフリー聴取も含めてよく聴いている。

ラジオは、聴きながら炊事や洗濯や食事ができるし、テレビ番組よりも“元気がなくてもなんとなく聴いてて心地良い”感じがする。

この“元気がなくても”というのが自分にとっては大切なのだ。バラエティ番組のノリや人気YouTuberの喋りのような、軽躁ぎみな元気がなくちゃ行けないような街(渋谷とか)や人の集まりは、そんなに好きではない。たまになら接してもいいけど毎週末とかはきつい。

その点、ラジオはずっと気楽だ。

***

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?