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インド旅を経てーデリーー

忘れぬうちにニューデリー編も
書き終えないと…とnoteを開くと
インドでの出来事が頭の中にぶわっと広がるー

3時間遅延の夜行列車に乗り込み
自分の席を見つけたと思ったら
おじさんが横になって寝ていた とか

日本料理も提供している
多国籍料理のお店に行って
お好み焼きを注文したら
ソースが手に入らないから手作りなもんで
味見してくれん?と頼まれる とか

小さな子どもたちや若いカップルに
インドの感想を聞かれて
特別な体験ばかりで楽しいよと伝えたら
キラキラした目でそれはよかった〜
と話しかけてくれたこと とか

他にもたくさんのよき思い出
ハードな思い出が溢れてきて
それだけでお腹いっぱいになって今に至る笑

年越す前に…ということで
2023年年末〜2024年年始で訪れた
インド旅の最後のまとめデリー

インド旅の始まり

日本から香港経由デリー入り
香港からインド行きの飛行機で
一気に空気感が変わる

私たち以外はおそらくインド人
シク教のターバンと
ヒンドゥー教の伝統衣装クルタを着た男性
華やかなサリーの女性がたくさん
それに加えてどこからか香る
スパイシーな香り

窓の外を見たら
青空に浮かぶ美しいヒマラヤの山並み

いざ憧れの地へ

遠くに見えるヒマラヤ山脈

首都デリー

旅の最初と最後に訪れた
インドの首都デリー
人口2100万人以上
中世のイスラム諸王朝やムガール帝国など
様々な歴史が積み重なる場所だ

市内の中心地へメトロを使って移動
車内はこざっぱりしていて
乗客の鮮やかな服が映える

慢性的な渋滞緩和のため
ここ20年程で急速に発展したデリーのメトロ
日本は資金面・技術面で支援していたようで
公共事業の在り方や進行管理の重要性なども
伝えた という記事を読んだ

国際的な支援のメリットはきっと大きい
その反面 他国のやり方を取り入れていくと
独自性や文化が
だんだんと画一化されてしまうのでは
と少し寂しい気持ちになる

鉄道の数時間単位の遅延
建設現場のノーヘル、ノー安全靴
足場はバンブー

これらがレイジーとかではなく
習慣やその国の当たり前が積み重なって
その国らしい景色や国民性がつくられる
インドぽいなあ とか 日本ぽいなあ 
ってやっぱり素敵なことだと思う

危険なものが安全に
不便だったものが便利に

そのポジティブな変化はよいことだけれど
知らぬ間に失なってしまったり
見過ごしてしまうモノゴトも
あるんじゃないかと思ったりする

と色々書いたけれど
本当にデリーは大渋滞
メトロのおかげでかなり助った

インディラガンディー空港
デリーのメトロ
メトロの駅看板
お姉さんのサイコパス感がかわいい
メトロ用のアプリが普及していた
紙の切符を使う人もいて
使用済みの切符は床に捨てるスタイルの模様
高架下 爆音クラクション
事故を防ぐために主に追い越すときに鳴らしていた

インドの色々

メトロから降りて街中へ

後述のラール・キラーの正面にある
チャンドニー・チョークはデリー内の目抜通りで
インドらしい混沌とした商店街が続く

伝統衣装、香辛料、宝飾品、等々の路面店
伝統菓子や屋台が立ち並び
その合間にヒンドゥー教や
イスラム教の寺院も建っていた

少し車で移動すると
ショッピングモールや
小綺麗なビリヤニ店や
コーヒーショップ
おしゃれなコスメ店

人々が行き交う賑やかな街
古きも新しきも混ざった
インドの今を感じるデリーは
とても味わい深い

チャンドニーチョーク
大気汚染でグレーの空
屋台のビジュアルが最強
お供物のお花 宗教が身近
サリー畳むの大変だろうに そんなことものともせず
床に広げまくってくれるお店の方
オールドデリー
オールドデリー
BLUE TOKAI
インドはブレンドコーヒーに
使われる豆の生産量が多いらしい
BLUE TOKAI コーヒー豆パッケージ

世界遺産ラール・キラー

タージマハルを築いたことで有名な
ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが
要塞として1600年代に建設

赤砂岩でできているため
ラール=赤い
キラー=城
と名付けられている

当時は地上の天国と謳われるほど
豪華な宮殿が並んでいたそうだが
インド大反乱の末
かつての面影はわずかしか残っていないらしい

それでも当時の皇帝の権力の大きさは
十分に感じられるほど壮大な建築物である

夜はラールキラー内で
インドの舞台を見に行った
現在のインドに至るまでの歴史を
ダンスとプロジェクションマッピングで
表現した野外ステージで
音楽や振り付け、衣装まで
インドやインドに影響を与えた近隣国の
エッセンスが散りばめられた
大大大満足の舞台だった

(しかも チケットが700円くらい 安すぎ)

ラールキラー
ラールキラーで行われた舞台


ガンジー

第一次世界大戦の後
インド独立運動の指導者であるガンジー
デリーに博物館があるというので
行ってみることにした

非暴力・不服従を理念に掲げ
ヒンドゥーとイスラムの融和を通して
インド統一を目指したが
第二次世界大戦後、インドとパキスタンが
分離独立することとなり
翌年ヒンドゥー信者に暗殺される

とても劇的な生涯だったようだけれど
ヒンドゥーの階級制度に切り込んだり
イギリスの服従にも臆せずに対抗したりと
インドのお札にもガンジーが描かれるほど
今のインドを作った重要人物

彼が民衆と関わりながら活動したのが
よく分かる写真の展示が多く
とても印象的だった

受付のおじさまに
日本から来たことを伝えると
展示室に見せたいものがあるからと
紹介してくれたのは
藤井日達という日本人僧侶が
ガンジーのもとを訪れた際に贈った置き物
見ざる言わざる聞かざる 
こんな繋がりがあったのかと驚き

教科書の切り取られた情報だけだと
知ることができない諸々に
触れることができてよかった

国立ガンディー博物館
イギリス留学後
商社の弁護士として南アフリカに赴任
人種差別を経験し、社会活動の道を歩み始めた
塩の行進 
暴力ではない形でのイギリスへの抗議

終わりに

多くの人に愛されている民族衣装
スパイシー感強めの食
唯一無二の街の姿
奥深い歴史と文化
宗教をベースにした生き方
人との近しい距離感

どれをとっても自分の生活圏内にはない
新鮮なものばかりだった

この国がとても気になる存在になり
半年以上インド関連の書籍や記事
映像なんかを漁って
旅の後もかなりの充実感

新たな視野、視点を与えてくれた
インドに感謝、感激🇮🇳
また訪れることができますように


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