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白い上履きの黒い思い出

自分でもしつこいと呆れ返るのだが、未だに思い出し怒りをしてしまう事がある。

小学校二年生の時、上履きを隠された。

よくあるいじめである。

結局それは下駄箱の甲板の、死角になるようなところに隠されていたと記憶している。どこかから椅子でも持ってきてやったのだろう。まったくご苦労なことである。

誰がやったなど今更どうでもいい。私が腹を立てているのはそこから先である。

まず担任の行動が不可解だった。

何を思ったのか「靴をなくすのは名前が書いてないからだ」といい、油性マジックでつま先側にクラスと名前を大きく書いた。

書いていないということはない。靴の踵の部分に小さくあった。他の児童もそうだ。皆同じということは、おそらく学校がそう指定していたのではないか。私が特別責められるようなことではない。

不注意でなくしたわけではない。私はきちんと下駄箱の所定の位置に戻して帰った。なくなったのは何者かによって隠されたせいなのだし、死角に隠されたものに名前が書いてあろうがなかろうが、認知されなければ誰のものかも確認されようがない。論点がずれている。

そんなことは子供にもわかるのだが、言い返せなかった。

混乱していたのか、反論の隙もなかったのか、児童に威圧的であった担任に対して萎縮していたのか、そのどれもだったのかは思い出せない。

片足に「2D」、もう片足に「吉見」と書かれた上靴を見て、ひどく惨めな気分になったことだけは思い出せる。あまりにもダサい。

当然、家に帰れば家族にもその話をする。

新しい上履きを買うのもいいが、すぐに買い換えると再び同じように名前を書かれてしまうかもしれない、それではもったいないのでしばらく我慢しろ、という話になった。

上履きも安いものではない。特別裕福な家庭でもないから、それはわかるのだが、たとえば、ここで「すぐに新しいものを買うたるし、先生にはちゃんと文句いったる!」となっていれば、この歳までこんなちんけな記憶を引きずることもなかったのだと思う。

もしくは、「上履きはしばらく我慢してもらわなあかんけど、あなたがこんな扱いを受けるいわれはない」くらいの態度を要求しても罰は当たらなかったのではないか。

大人になった視点で当時の気持ちを分析してみたが、被害者だからといってそれ以上に攻撃されぬとも限らないこと、他人は思うほど他人の痛みに興味がないこと、動揺に付け込んで理不尽なことをする人間がいること、親だからといって子供の気持ちに寄り添えるわけではないこと、などへの怒りや失望や悲しみが綯い交ぜになっていた。

情報量が多すぎる。

子供の心ではそれらを感じきることも、言葉にすることもできなかったから、今までやり場もなく抱えていたのかもしれない。

今でもどう処理していいものかわからない。

この一件だけが原因ではなかろうが、自分が粗末に扱われて悲しい、寂しい、という気持ちを表現することが未だに苦手だ。

執筆活動で生計を立てるという目標を持っております!!