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現役自宅警備員、大いに語る

私の曲ではない。

林愛果さんというシンガーソングライターの『自宅警備員、コンビニに行く』という曲である。原曲はこんなに不貞腐れてはいないし、彼女の妖精のような歌声と、硝子細工のような世界にはぜひ触れて頂きたいのだが、それはそれとして。

自宅警備員とは、一日中家にこもって何もしないことを自虐的に「自宅警備をしている」と表現するネットスラングである。

高校をほとんど通わずに中退して、二十三歳でアルバイトができるようになるまで、ひきこもりだった。毎日を無為に過ごして、朝方に寝て昼か夕方に起きるという生活をしていた。

件の曲をきいて、その頃のことが思い出された。このような歌い方になったのは、決してふざけていたわけではなく(小心者なので他人様の曲でそんなことはできない)、あの時の自分が乗り移ってきたからだ。

幼い頃から自分は鈍くさく根暗だから、虐げられても仕方ないという気持ちが常にあった。ドロップアウトしてからは否定されるのが当たり前、という諦めになった。何もかも私が悪うございます、というわけだ。

社会は一度躓いた人間に厳しい。バイトの面接ひとつとっても、学校に通えないのに仕事なんかできるのか、といった疑いの目を向けられる。あからさまに否定しない人がいても、高卒認定を取ったらいいとか、専門学校だってある、頑張らなきゃ駄目だよ、という方向の話になる。

そこにいる何もない私がそのままで肯定されることはなかったし、私もそれを許してしまっていた。

自分にも世界にも生きる価値を感じなかった。

とはいうものの、なにひとつ美味い思いをせずに死ぬのも業腹だという自分もいて、小説を書いたり、絵を描いていた。

これで生活できれば、才能さえあれば、「毎日好きなことだけできて羨ましい」などと嫌味をいう奴らを見返せるのではないか。

そんなことは考えては、馬鹿げていると思い直す。

そんな努力ができるなら、社会に出る努力をするべきだ。小説で食っていける人間などほんの一握りだし、よしんばデビューできたとして、自分に書き続けることができるのか。

そもそも投稿する以前の問題として書き上がらないのだから、所詮現実逃避である。ひきこもりを脱しても執筆は続けたが、才能がないと諦めた。

音楽活動には何も期待していなかった。印税生活がしたいと口走っては見るものの、趣味の範疇を越えないと思っていたし、二十代も終わりになって始めたことなので、十代からやっている人に勝てるはずもない。

それなのに、この期に及んで「あなたには才能で仕事して欲しい」などという人がいるのである。よくもまあ他人事だと思って好き勝手なことを並べられるものだ。馬鹿げている。非常に馬鹿げている。

が、その気になってしまう私も相当の馬鹿者である。段々と正気を失ってきているのではないか。

今にして思うと、私になかったのは才能ではなくて、まとも、普通、というレールから逸脱する覚悟だった。その弱さを肯定する口実として、自分にはできないと自己暗示をかけていたのかもしれない。

他人を見返すのはやめた。

相手にするほどではないとわかってしまったからだ。彼らはただただ視野が狭い。それだけだ。狭い視野のなかで幸福に暮らしているのだから、そっとしておけばいい。

その外側にある醜いものや、ましてや美しいものについては、こちら側だけで論じよう。それを狂気というのなら、勝手にすればいい。

あの時の私はひとりだった。

もしこれを読んでいるあなたが救われたのだとしたら、あなたはもう、ひとりではない。

そして、あの時の私もひとりではなくなる。

あなたはあなたでいるだけで、私を救ってくれてもいるのだ。私の言葉がここにある理由など、それだけで充分ではないか。

少し話が脱線したような気もするが。

社会復帰して十年、バイトを掛け持ちまでしていた時期もあったのに、またしても自宅警備員になってしまった。

去年の暮れ、大掃除をしているときにカーテンの遮光裏地を処分した。本体のカーテンは自分で買ったものだが、裏地はおそらく二十年以上この家にあった。すっかりボロボロになっていた。

新しいものを買ってくるつもりで、結局そのままだ。

カーテンは白地だから光をよく通す。夜を更かしても、昼前には強制的に目が覚める。一日外に出ないことはままあるのだが、出たくないわけではなく、出る用事がないだけなのだし。

今の私には会いたい人がいる。行きたい場所もある。

やりたいことは沢山あって、少しずつ動けもしている。

光の自宅警備員、などと思いついて、ひとりでにやついた。

執筆活動で生計を立てるという目標を持っております!!