大嫌いな自分のことを守ってくれる人がいるなんて
タイトルは尾上陽さんの『はっきり言って』からの引用だ。自分の歌以上に今の自分であるような気がして、よく口ずさんでいる。
この歌に出会う直前、自分の身の置き場について、思うことがあった。
それについて書いては消してを三日ほど繰り返していたのだが、何を書いても冷静さを欠いた内容になってしまったのでやめてしまった。
結論だけ示す。私は自分らしくいさせてくれる人の側にいたい。
他人に愛されるには、まず自分が自分を好きになることだと信じてきた。繊細さが欠点であるなら図太くなるべきだと苦しんできた。居場所を得るには取り引きが必要なのだと思いこんでいた。私の感じる息苦しさ、窮屈さは他の人も感じていて、跳ね除けられないのは自分の弱さだと責めていた。
それはすべて間違いだ。
私がどれほど自己嫌悪にまみれていようと、私に価値を認めて大切に扱ってくれる人はいた。たとえそれが、ある側面のみを見た美しい誤解であったとしても。
私が大事にしているものを、上手に手放せないものを、決して馬鹿にはせず、それがあるからあなただといってくれる人を、私は心から大切に思っている。
それならその人が大切にするのが私という存在だったとして、それを汚したり傷つけたりすることは、私自身にも許されていないのだ。
私が私自身を愛することは、私の責務である。
あなたが私を守ってくれるように、私もあなたを守りたい。
……少し前の自分なら、そんな恥ずかしいこと、と呆れるだろうけど。
執筆活動で生計を立てるという目標を持っております!!