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転機に気付け!風に乗れ! Vol.22 変化は突然やって来る

話は随分と飛ぶ。
約1~2年前から、わたしの人生は、また大きな転機を迎えた。

再婚してから約15年は、わたしの人生の中では、凪の海をゆったりと船旅しているような期間だった。
それは、主人のおかげだ。

もちろん、子どもの成長に伴い、あらゆることはあったし、わたしも仕事とプライベートの両立で、暇だったわけではない。
海外旅行にも沢山行った。
子育てに関しても貴重な体験をした。

ただ、大きな変化や転機があったかというと、そうではなかったと、この1~2年の大変化を振り返ると、そのように思うわけだ。

慣れたことの延長線上、もしくは、自分のいる環境下で起こることに対しての取り組みで、惰性でも動けるような状態だった。

世の中自体が大きく変化した。
これは、もう完全にパラダイムシフトだ。
新型ウイルスの世界的パンデミックが起こった。

近未来10年で移行していくであろうとされていたオンライン化が、異常な速度で進んだ。

一時期は、海外に容易に行けなくなった。

夜中遅くまでやっていた飲み屋街が、ゴーストタウンと化してしまった時期もあり、人々が家で過ごす時間が増えた。

「風の時代にもうすぐ突入するから、今までと全く違う価値観になる。もっと自由に、ライトに生きていこう。」
と、スピリチュアルな人たちが、みんな声を揃えて言い出した。

個人的には、イタリア留学していた娘が帰国となり、二週間、自宅で隔離生活も送った。

その前後から、今まで付き合いのなかった昔の友だちと、頻繁にコミュニケーションをとる仲になり、その友だちの繋がりから、新たな層の友だちが沢山出来た。

そして、昨年2021年の12月31日、思いもかけないことが起こった。

その日、わたしは、朝からおせち料理の準備をする予定だった。
前日までに全ての材料を揃えて、下ごしらえまで済ませていたので、はりきって起きようとしたけれど、身体が思うように動かない。
というのは、急に腰と背中に激痛が走った。
なんとか起き上がり、色々な作業をしようとするも、まともに身体が動かないので、直立したまま、ゆっくりと色々な作業をすすめていた。

お料理も、座ったままやったり、主人に手伝ってもらいながら、なんとかやっていた。

ここ数年来、お正月は、うちに、父や母、妹を招待していた。
7人分のお料理の用意をしていた真っ最中、母から電話がかかってきた。

「明日、多分、ぱぱとわたしは行けない。ヒロコだけ行く。ごめんね、、、、
ぱぱが、かなり体調悪くて、、、」

わたしは、びっくりした。
明らかにただならぬ様子だった。
わたしは、身近な人の、心や身体の痛みを、感じる特殊な第六感があるので、
今朝からの急な不調が、父のことだったとこの時ピンと来た。
そうだと気づいた途端、背中の痛みが治った。

しかし、その日の夜に、腰痛がひどくなり、なんだか内臓にまでひびくような痛みがドンとのしかかった。

その時、また母から電話があった。
「ぱぱが大変なことになってる。救急搬送してもらいたいけれど、今新型ウイルスの感染拡大で、病院の受け入れが厳しいらしい。
とにかく、今は、かなりしんどそうだけど、意識もあるし、話すことも出来るから、明日、ぱぱのお友だちのお医者さんに、電話するわ。」

わたしは、ショックを受けた。
いつまでも、両親は元気にいてくれると思い込んでいたけれど、こういったことは、突然やって来るのだということを思い知った。

しかも、父は、まだ72歳だったので、予想だにしていなかった。

父は、年明け3日間は、なんとか家で養生していたが、自らすぐに入院したいと言って、友だちのお医者様に手配してもらい、救急病院に入院した。
医者や病院嫌いの父が、自分から病院に行くと言ったほどに、辛かったのだろう。

病院に着くと、すぐに胃カメラで検査があり、
わたしたち家族に、担当医から、確定ではないけれど、胃がんが進行しているし、検査をちゃんとして、本当に癌なら相当な末期癌で、半年持たないかもしれないと、宣告された。

わたしと母、妹は、号泣した。
なぜ、今まで、気づいてあげられなかったのか、後悔しかなかった。

その後の検査で、進行性の癌が確定され、同時に、胆管が炎症により機能していないので、すぐに簡単な手術をすると言われた。

しかし、その手術の時に、すでに免疫力が低下しすぎていた父は、感染症にかかり、結局は、そのせいで、1ヶ月足らずで他界した。

大切な人の突然の死は、わたしに、相当なダメージを与えた。
何を食べても砂を噛んでるように味がしなかった。
もっと父を大切にしたかった。
優しい言葉をかけたかった。
たくさんの後悔があった。

そして、わたしも妹も、母も、あまりにも家や会社のことを何も知らず、父一人で全てをやっていたことに初めて気付かされた。

事業をわたしが継承することになったが、何から手をつけていいやら、本当に困惑した。

ただ、パソコンやデスクを妹と一緒に隅々までチェックすると、完璧なまでに、整理されていて、何とかわたしたちでやっていけると思えた。

その時に、父の不言実行の偉大さを思い知った。
何も言わずにわたしたちが困らないように、資料もお金もきっちりと残してくれていた。

父の死は、私にとって、大きな気づきを与え、物事の見え方を変えてくれるキッカケだった。

父の死は悲しかったけれど、会社のこと、家のこと、相続のことで、追われる日々が続いたので、悲しんでばかりはいられず、こんな言い方は、変かもしれないけれど、やる気のスイッチを入れざるをえなかった。

父の死以来、わたしの生活は一変した。
一つの幕を閉じた後の新しいスタートだった。






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