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ケンタッキーのチキンを食べながら考えること

私はケンタッキーのチキンが好きで週1回くらいは食べている。ここでは、新商品には興味があまりなく、オリジナルチキンしか殆ど食べない。あの皮と濃い味付けが好きで、ほかのお店にも似たようなものもあるが、ここの味が一番癖になっているようだ。

インコ好きとチキン好きは違うのか。

私はいつもケンタッキーのチキンを食べるときにいくらか家にいるインコのことが頭によぎる。他の鶏肉の食事の時にはそれほど考えないかもしれないが、ケンタッキーのチキンをかぶりついて食べている過程で、露見してくる骨など生々しいからかもしれない。

そして、食べた後の散骨を見ると、うちの亡くなったインコたちの骨壷にも似たようなものが入っているので、魂と肉体のことを考えてしまう。このチキンの子たちの魂には感情などあるのだろうか。
鶏は身近にいなかったので、想像するしかないがおそらく近くにいたら可愛いものだと思う。

うちの場合だと、とても懐いているインコほど、逝ってしまうのが早い。そして懐いているインコほど、この子の魂はどこに行ったのかとよく考えている。
火葬されて出てきたインコの骨はとても弱々しく、小さくて繊細で白いきれいな骨だ。母の遺骨もたしかそうだったが、小柄だったのでそれほど骨も大きくはなかったなと思い出す。

一つ一つ、骨を骨壺にいれるように大切に扱われる命と、ケンタッキーのチキンのようにただの食肉として扱われる命を比べるのは、人とそれ以外の生物と分けて考えれば納得いく考えが出てくるのかもしれない。

いつも私はケンタッキーの骨にまとわりついた肉片を綺麗に食べられないので、今年はそれを少しでも改善してみようと思う次第です。

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