(50)日のエヌー

コメダ珈琲のお会計。合計金額は2人で3300円だった。後にもこの先にも2度とない経験だと思う。
N男は、先にレジに行き4000円を出して会計をした。
C子は受け取るか・受け取らないかを試す気持ちで、会計後にN男に2000円を渡す。無言でそれを受け取るN男。そして、少し迷って500円玉をC子に渡し、200円を自分の財布にしまったのだった…。
店員さんのうあっ!ていうひいた目線。C子もひいた。
200円を自分の手元に残すのがみみっちい。だったら最初から別会計にされたほうがマシだった。C子は、すごく辱めをうけた気持ちになった。

N男も気まずくなったのかはわからないが、その後もN男の不可解な行動は続いた。C子は夜勤の仕事があったので、家で支度をして30分ほどで家を出るので、職場まで送ってほしかった。N男もまだC子と一緒にいてくれると甘えていた。
しかし、N男は「風邪っぽいから早めに休みたい…」とごにょごにょとして乗り気でなさそうだった。
風邪っぽいなんて、嘘だよなと直感的にC子にはわかってしまう。まず風邪っぽいなら、C子は大丈夫か確認するのが、普通だ。それにさっきカツサンドをガッツリ食べて、コメダ珈琲のあの大きいアイスコーヒーを飲み干した後に説得力なんてない。

SPY×FAMILYのアニメが好きだと言うので、コミック全巻を持っているC子が貸そうとすると、持ち帰るのをやんわりと拒否する。「持って帰っても読む時間がないから…」とN男は言う。エガちゃんねる観る時間はあるのに、漫画読む時間がないなんて有り得ない。C子の私物を自分の家に置いておきたくないんだと、気付いてしまう。けれど、C子は何も言わなかった。2人でいる事に慣れるのに、まだ時間が必要なんだろうと思う事にした。
C子が支度している間、N男はつまらなそうにパラパラとコミックを捲っているだけで会話もない。

職場までの道のりも行きと変わらず、普通に会話をして手を繋いで楽しい時間のような気がしてはいた。
C子はバイバイする時に「仕事が落ち着いたら夜LINEするね!」と元気よく言って別れた。
それなのに1時間後にN男から「ガソリンを入れて帰ったから遅くなった。いま家に着いたよ。」と素っ気ない内容のLINEが先に届いた。
ガソリンのくだりは果たして必要なのだろうか。遠回しにガソリン代の事を言われているのだろうとC子は感じた。
C子は仕事が落ち着いてから、「昨日今日たくさん運転してくれてありがとう」と早めの時間に返信を送ったが、N男から返信はなかった。

C子は当初との異変をジワジワと感じていた。
初めて会った日もその前のメッセージからもC子に甘えてほしい、守ってあげたい、そう言って交際を申込んだのはN男のほうだったのに。
釣った魚に餌はやらない主義なのか。LINEの回数もかわいいと好きの回数もどんどん減っていった。その頻度の減り方は、本当にあからさま過ぎた。
C子は最初から何も変わらず接していたし、N男の話を否定した事もなかったし、N男もC子の話を否定しているわけではなかった。2人でいれば、それなりに楽しい。でも、恋人同士ってこんなんだっけ。こんなにつまらなかったっけ。C子が大人の恋愛に慣れていないだけなのか。でも、考えても無駄だ。相手の気持ちなんて、推測の域でしか想像できない。でも、なんでこんなに虚しいんだろう。不安な気持ちになるんだろう。

【25日目】
C子とN男は毎日1通ずつ、長いメッセージをやり取りして、3週間。やっと2人が初めて会う日が来た。
3週間の間、本当にたくさんの事を話したとC子は思う。N男にC子と同じ名前の妹がいる事、C子のアプリのハンドルネームももう1人の妹とほぼ同じ事。N男とC子、2人とも母親を早く亡くした事。人との繋がりをお互いに大事に思っている事。N男は、C子が突拍子のない事を言っても、引いたり否定する素振りはなかった。C子は、N男と考え方が違うなと思っても、そういう考え方もあるし、私はこう思っているという伝え方をした。1日に1通の日記のようなやり取りが、C子には2人の信頼関係に思えていた。
でも、まさかメッセージのやり取りだけで、恋をする事なんてもちろんない。でも、アプリのプロフィールの写真通りで、メッセージ通りに穏やかな人だったら、好きになるかも知れない。恋をするのかも知れなかった。

衝撃が走る運命の出会いなんて、C子は信じていない。一目惚れした相手に、長い間振り回されて傷付いてボロボロになった事もある。運命=エターナルラブではないと、C子は結論づけていた。逆に、恋愛感情がなくとも長く一緒にいれるパートナーもいるのではないかともC子は思う。恋をしているという自覚がなくとも、ヒトとしての相性が良ければ、愛は芽生えるのかも知れない。一生を共にする人=本物の運命なら、それはきっと日常から生まれてくるとC子は思う。

でも、愛ってなんだよともC子は思う。たくさんの男と付き合ってきたけど、本当に平和で幸せが続いた恋は片手で数えても余ってしまう程度しかなかった。その大事な恋も、C子自身が壊してしまった。長く付き合っても、誠意のない別れ方で深く傷を負った事もある。

それに年齢を重ねるに連れ、何故かC子は片想いばかりしていた。C子は近年の大きな1年半の長い片想いで、恋愛について学んだ事が2つある。1つは「そのままの相手を受け入れる事」、もう1つは「必要な時に相手を手放す事」だ。それが、愛なんじゃないかとC子は思っていた。2つの考えは矛盾していると思う。でも、C子はその時10個も歳下の男の人に恋をしていたのだ。何の接点もないところから、知り合い以上の関係になれた事は、我ながらすごい熱意だったと振り返ってC子は思っていた。
相手からは何も貰わずに、与えたいだけの優しさと気持ちを伝える事ができた事が、C子の幸せだった。その人の希望になりたかった。この先何が起きても、あんなにアホみたいに自分の事を好きでいてくれた人間がいた事が、いつか相手を助ける時が来ると何故か信じていたのだ。もう2度と相手と接点を持つ事がない今になっても、C子のその気持ちには微塵の曇りもない。本当に大好きで、愛していた人。
最期は、相手がC子の事を煩わしくなって、とてもひどい終わり方をしたけれど、それもC子はすんなりと受け入れた。決してヤケになったのではなく、冷静に1つ1つ、その日のうちに相手との全ての繋がりを棄ててしまったほどだった。そして、その時に傷付いた事さえも、最終的にその人との大切な思い出に変わっていった。永遠の別れを受け入れる事ができたのは、それが相手の望んだ事だったから。でも、そんな恋は、この1つで充分だった。

もし、この先の人生も一緒に過ごす事ができる相手が、この世界のどこかにいるのなら穏やかに過ごしたい。お互いがお互いをちゃんと好きで、讃えあって尊敬し合ってなければ、家族にはなれない。

遅刻してきたC子を駅前の本屋で待っていたN男を見た時、その普通っぽさがC子は良いなと思った。
アプリの写真ともメッセージとも違和感はなかった。
運命があるとしたら、こんな風にゆっくり始まる気が、その時のC子にはしていたのだ。

待っててくれてありがとう。
読んでくださってありがとう。
続きます。




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