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さよならを言い忘れたのは理由(わけ)がある(1)

舞台の外で演劇をすること

このnoteは、劇団なかゆび『さよなら、を言い忘れた』千秋楽までの作業日誌である。

「どうして舞台に立たないの?」
制作と名乗る上で、必ず一度は聞かれる質問である。舞台を観てまず役者が目に入る経験をしたことがある方、役者があっての舞台だと一度でも考えたことがある方には、何ら疑問のないことである。作品に関わる以上誰もが経験するであろう役者の経験が、私にはほとんどない。

どうしてだろう、とこれまでを振り返ってみる。制作を名乗るようになるまで…その前に、学生演劇祭に関わるまでを少し辿ってみる。
中学3年生、母に誘われて観に行った商業演劇に感動した私は、高校入学後なんとなく演劇部に入る。同時に入った英語部のディベート大会の準備に追われ、地区大会や冬劇祭では音響を担当。当時の顧問が京都のとある学生劇団に入っていたのを知り、後輩が出演するという京都学生演劇祭2013を観に行く。感銘を受けるも、受験勉強に集中するため演劇部を引退。
第一志望校の合否発表でそわそわしていた3月初旬、心を落ち着かせようと、Twitterで見かけたチラシ画像をもとに何故かアトリエ劇研に足を運び、全国学生演劇祭を観る。
「あ、演劇好きかも」
進路が決まらず目の前が真っ暗だった頃、合否も知らずに勢いで実行委員に応募していた。

舞台に立ちたくないというよりは、「気づけばそこにはいなかった」の方が近いかもしれない。劇団やワークショップを探すでもなく実行委員に応募した時点で、舞台の外で演劇をしようと決めていたのかもしれない。だからこそなのか、団体や作品を単位として寄り添うことはできても、舞台上からは一番遠く、むしろ客席に一番近い位置にいることが最近の悩みである。

また、学生演劇祭に飛び込んでから5年が経とうとしているが、私は今まで一度もTwitterを辞めようとしたことがない。実際、140字(あるいはリプライで280字、420字)に何を込めるかを考えている瞬間が楽しく、自分に合っているような気がする。たいていの情報は集まる。イベント全体や団体からだけではなく、自分の言葉で自分から伝えられることが強みとなるように、今日もTwitterを見ている。
広報については、また別の機会に触れたいと思う。


さて、序盤に
舞台を観てまず役者が目に入る経験をしたことがある方、役者があっての舞台だと一度でも考えたことがある
と強調したことには理由がある。

Nakayubi.-10『さよなら、を言い忘れた』のうちの一つ、『から』は無人劇である。つまり、舞台上に役者はいない。
暗闇の中、声が<私>の記憶について語る。<私>が観客とつながるために言葉が紡がれていく短編作。
音も光も、衣装も小道具も装置もある。そこにないのは、からっぽなのは「肉体」だけ。
あなたはこの作品から、何を感じるだろうか。

ぜひその五感で確かめに来てほしい。

Nakayubi.-10
『さよなら、を言い忘れた』
3月27日(金)〜29日(日)
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詳細▶︎ https://nakayubi.wordpress.com

画像:花(2020年2月6日)

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