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「笑える」という教養


「そんなもの知って何になるの?」

僕はこの言葉を発したことがない。なぜなら、それが何にもならくても、それが無意味だとは限らないからだ。

顕著なのが、受験における古文や社会の知識である。たしかにこれからの人生で、「白き灰がちになりてわろしー!わろしー!」なんて発する場面はほぼゼロに近いだろう。そんなものを知っても人生で使う場面がない、というのは納得できる。

しかし使う場面はないが、使う場面を作ることが可能になることは確かだ。もしくは、誰かが作った場面に対して反応できるかどうかも、である。例えばあなたに好きな子がいたとする。その子とご飯を食べようとどこかのお店に入った時、混雑した店の中にはママ会であろう人たちが2/3の席を占め、残りの1/3は会社の飲み会かなにか、男女が入り混じったグループであるとする。その時彼女が放った「うわ、55年体制じゃん」にあなたは反応できるであろうか?その女の子の発言に対応できるかどうかで、あなたの評価は著しく変わっていくかもしれない。「え、なに?」という男と、「俺たち日本新党だな!ww」とツッコめる男、どちらの評価が高いかは、言うまでもない。こんなことを言う女の子は嫌だ、と思うなら、その後ご飯に行かなければいいだろう。

歴史などの勉強のみではなく、エンタメや豆知識、雑学も同様と言えるだろう。僕はLiLicoがアニメを見て日本語を勉強したことを知っている。以前知り合いで、ドラマやバラエティを見て韓国語を学んだ人がいた。僕はすかさず「LiLicoが日本語学んだ方法と同じっすね」と言ったら、まるで僕の発言は白紙にされたかのように、誰も反応しなかったことを鮮明に覚えている。

しかし重要なのは、「知らないことが悪」ではない、ということだ。教養は強要するものではない、あれ、ダジャレ言っちゃったね。ここで「しかるねこ」風に

おあとがよろしくなーい!

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