羽化
父が、翌る日酔って帰ってきた。恐らく会社の人からの戴き物であろうカヌレを、誇らしげに右手に抱え、目を輝かせながら、何か言いたげな表情を浮かべていた。
「蝉がね、羽化(うか)してたよ」
なんだ、そんなことか。私は蝉の羽化でそこまで喜べる父の気持ちに寄り添えず、洗濯物を淡々と進めていた母と顔を見合わせた。
どうやら三中(自宅横の中学校)に、ヤンキー風の生徒2人がある一点をじぃと見つめながら、屯していたそうだ。その光景を目にした父、まっすぐ家に帰る選択肢を捨て、声をかけたらしい。すると、その2人は「あそこ、見えますか?」と、見知らぬ人からの絡みにも嫌な顔ひとつせず、斜め横の木の付け根あたりを指差した。
そこには確かに、まもなく羽化しかけている蝉の姿があった。
梅雨も明け、夏の暑さが本格化した今日この頃、蝉たちは一斉に羽化を始めるそうだ。
そういえば蝉の羽化なんて、中学校の生物以来見かけてもいないし、考えを巡らすことも久しい。夏休みも終わりかけの時期、道路に散らばる蝉の抜け殻や死骸と対面することはあっても、羽化の場面を目にすることは滅多になかった。所詮、そんなものなのかもしれない。しかし、蝉の、全体的に嗄れている、茶色ばみた胴体や四肢からは、蝉に対して「生」のイメージを持つことが難しかった。わたしにとって、蝉は「死」であった。
そんな蝉が、羽化をしている。そんなに「生」の営みを繰り広げている蝉について語る父を、わたしは不思議な気持ちで繁々と、見つめ返した。そんな父は、いま隣のソファで寝息を立てながら半裸で寝ている。幸せな人だ、つくづく思う。蝉の一瞬に、想像を馳せながらー。
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