ヨーガ療法前期の論文から、序文

わたしたちは何のために生まれてきたのでしょうか。その答えを教えてくれる公的教育はありません。我が国の義務教育では暗記させるばかりで、大勢の集団をたくさんのルールで縛り、わたしたちから自ら考える力を奪っています。その中で、他者より点数が良ければ優越感を持ち、他者より走るのが遅ければ劣等感を抱くような、比較のマインドを育てています。良い・悪い、優れている・劣っている、上・下、というような判断を、子どものうちから熱心に刷り込まれているのです。結果として、他者との比較の中で一喜一憂し、心を削って日々を過ごすような人が多いと感じます。自分が何のために生まれてきたのか、その大きな最終目標がわからないままにただ無闇に生きていては、この肉体と魂を無駄遣いしてしまうことになります。自分の今の状態に対する責任は、自分にあります。ですから自分はこうありたいと思うものには、自分でなるだけの力を持っているのです。
 わたしが卒業論文に「全人格を向上させるためのヨーガ」を選んだのは、まさに“自分が何のために生まれてきたのか”という問いを幼い頃から抱いて生きてきたからです。わたしは両親から虐待を受けて育ち、16歳の時にうつ病を発症しました。幼少期の頃から日常的に気分は塞ぎがちではありましたが、それまでは毎日恐怖に怯えつつも、なんとか自分を奮い立たせてがんばり続けて生きていました。しかしある日、突如として全ての気力がなくなってしまいました。その時ついに、全ての希望を失ったのです。インフルエンザに罹って心身共に疲弊している状態ではありましたが、それ以外に特に大きな出来事があったわけではありません。ただ、自分がこのまま身を粉にして、心を摩耗させてがんばり続けても、決して幸せにはなれないということに、はたと気がついたのです。生まれてからそれまで、この世で一人も信頼できる人がいませんでした。守ってくれるはずの親にすら常に責め立てられるという環境の中で、ずっと孤独で、苦しい心の内を誰にも打ち明けられず、救いを求めることができないままに16歳になった時、“自分の命は誰にも肯定されていない”ということに気がついたのでした。それは文字通りの絶望でした。何度も死のうとしましたが、うまくいきませんでした。藁にもすがる思いで駆け込んだ病院では、このような状態を気分障害だと診断されて、処方箋をもらい、薬をたくさん服用しました。しかし、根本的な命に対する問いが解決しない限り、服薬という対症療法では改善するはずもありませんでした。なんとか出口を見つけようと、心の病気に関するたくさんの本を読みましたが、良くなりませんでした。10年ほど経った頃、わたしはヨーガに出会いました。引っ越した家の近くにたまたまヨーガ教室があったのでした。そこでは主にアーサナを教わり、それから簡単な呼吸法も行ないました。週1回通い続けるうちに、わたしの心の状態はだんだんと良くなっていきました。そしてその6年後には、15年以上続いていた服薬をしなくても、日々の生活を送ることができるようになりました。何の知識もないままに、ただヨーガの体操を週1回行なうだけで、どうやっても改善しなかった長年の不調が徐々に消えてきていることに驚きました。ある日のアーサナの最中、わたしは神秘的な体験をしました。わたしの身体の全ての機能は、わたしの意思で働いているのではないということを感覚として実感したのです。もしわたしの意思によってのみ働いていたのなら、とっくに停止しているはずです。なぜなら、常に自分の命を消したいと願っていたのですから。それなのに、わたしの身体はまだ生きている。何がこの身体の機能を働かせているのでしょう。それは目に見えない何か大いなる存在の力であると感じました。わたしは“生きてきた”のではなくて、“生かされてきた”のだという強烈な、納得せざるを得ない体験でした。その体験の後、さらに深くヨーガを学びたいと思うようになり、YICを受講することにしました。こちらではわたしが心底苦しんだ病気の原因を、ヨーガの聖典からご教授いただき、本当に勉強になりました。その原因とは、間違った認知でした。以前、精神科医の大野裕先生のご著書にて認知療法を学んだつもりでいましたが、知識として文章を読むだけではわからないのだということがよくわかりました。ヨーガでは自分の身体感覚を通して智慧を入れるので、理解しやすいのです。わたしの中にあった間違った認知とは、“自分は愛されていない”というものでした。自分の命を肯定していなかったのは、他でもない自分自身だったのです。親にはひどく傷つけられ、彼らからの愛は感じられませんでしたが、それは答えではありません。わたしの命は、目に見えない大いなる存在からの愛によって、ここまで続いています。わたしは愛されていたのです。今までも、そしてこれからもです。しかし、いつもこのような感覚を持ったまま日々を過ごすことは、今のわたしにはまだ難しいです。油断すると簡単に以前のようなネガティブな感情に支配されて、自信をなくしては自分の命を否定してしまうのが現状です。日々ヨーガの実践を積み重ねて、心身を安定させ、以前のわたしと同じような苦しみを抱える人たちのお役に立てる人間になりたいと切に願っています。そのために、これからも学び続けたいと思います。ヨーガを必要としているのは、わたし個人に限りません。ヨーガの智慧は、全ての人の生命の光を、ストレートに輝かせるためにとても有用です。他者との比較の中で苦悩を増大させている現代人のQOL(生活の質)を、大幅に上げてくれることでしょう。ヨーガを学び、実践を続けることで、わたしたちはこの魂の目的を知ることができます。ヨーガの修行目的とは、”小さな個の命“を”大きな全体の命“に結びつけることです。それはつまり、全人格の向上です。YICで学ばせていただいたヨーガの智慧を、わたしなりに述べていこうと思います。

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