見出し画像

アーツ前橋の問題について思うこと

 下記の文章は、自分のFacebookで今年3月27日に書いたもので、公開範囲を限定して投稿したものです。考えが未熟で、言葉が雑な部分もあるので直そうかとも思いましたが、そのままのほうがいいかなと思い至って(参照した資料URLだけこの記事の末尾に加えました)、その時に思ったこととしてnoteに載せることにしました。
 その後、4月28日の前橋市長定例記者会見で、アーツ前橋あり方検討委員会委員を組織し、今月5月下旬頃から検討を開始する(月1回9月まで)という発表がなされました(★1)。また、美術評論家連盟は、「アーツ前橋における借用作品の紛失及び前橋市の対応について」という要望書?を前橋市長へ提出、これが5月6日に同連盟の公式HPに掲載されました(★2)。
 現時点で私が思うのは、アーツ前橋で起こった問題は、非正規雇用や会計年度任用職員など雇用の問題、(芸術領域から行われる)行政批判のあり方、公共性と専門性の綱引き(公共的な場に持ち込まれた専門性であり専門的だからこそ公共性たりうるような)など、、様々な問題・課題の交錯点であるということ。そしてこれが、日本の美術界の内輪の出来事と見做されるのか、他の領域・業種にも通ずる問題として社会の助けを借りることができるのか、まだ少し希望がある状態だと感じています。
 しばらくニュースを辿るのをやめていたのですが、定例記者会見を見る限りでは、具体的な議題は決まっていないようですし、委員会もどのような形かはわかりませんが公開で行う意向があるようです。投稿した文章に書いたことですが、「問題は腑分けして考えられていくべきだけど、本当の問題はそれをどのような1つの問題として捉えるか」。私自身、これまでに少なからず交わした意見や、色々な考えを眺めながら、もう少し考え続けていたいなと思っています。(すぐ下の参照URLの後から、本題のFB投稿した文章です。)

★1 定例記者会見(4月28日開催分)の案件資料(前橋市)
(1)アーツ前橋あり方検討委員会の概要について (PDFファイル: 575.4KB)
https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/2/teirei20210428_1.pdf
※4月28日 前橋市長記者会見 https://www.youtube.com/watch?v=qsZYmEYuvP8
★2「アーツ前橋における借用作品の紛失及び前橋市の対応について」(美術評論家連盟)
https://www.aicajapan.com/wp/wp-content/uploads/statement_2021_5.pdf

アーツ前橋の問題について、備忘録的に現在思うこと(芸術制作の現場にはいない立場なので、書かなきゃよかったー!となって消してしまうかも笑)。
--
真っ先に思ったのは、この問題について、美術の専門誌が取材をした記事や報道をしてほしいということでした。会見が行われると知って、どうか美術メディアが参加していますように、、と思っていました。
それは、同じ内容でも他のメディアが発信した情報や映像で間接的に知るのとでは、伝えられることが変わってくると思ったからです。美術の専門知識を持っていたり、業界に詳しい人だからこそ読み取れることがたくさんあり、それらを踏まえた(全部明らかにしろという訳ではないけど)事実報道がされてほしい。(事件事故の速報を伝えるのは美術雑誌の仕事ではないだろうけど…でもあいトリの時とか…)
こういったことが、制度や行政、個人の資質の問題や批判としてだけ考えられるのであれば、事実報道以上に書けることは少ない。こうした構造に支えられて成立してきた業界の問題だと捉えられてこそ、だからこそ、業界の中だけでは解決できないことも知ってもらえないのではないかと考えていました。
(その後、ウェブ版美術手帖の記事をみて「NHKによると」と書いてあり若干ひきました)
もう一点感じていたのは、作品紛失の報道は、今回の「隠蔽やうそ」の報道よりも前に分かっていたことですが、あまり前者の報道や事実が広まっていなかったのだなということです。
事実報道が続く時期は特に、真意や真偽がどこにあるのかに注目が集まっていきますが(言ったとか言わなかったとか)、会見が終わり、大枠の見解・主張が出揃ったところで、明確に行政批判が加わり、事情を知った段階や興味関心によって個々の見解は分かれていくと思いました。
だからこそ、問題は腑分けして考えられていくべきだけど、本当の問題はそれをどのような1つの問題として捉えるかだと思います。ほんとうに見解が分かれるのはここではないかと(分かりにくいかもですが)。
二つの資料を読んでいて懸念されるのは、美術の専門性を盾にされたという主張と、美術に対する無理解を嘆いて行政批判をする(共感する)やり方が、二つで一つのステレオタイプのようになってしまうことです。
この後、新たなことが分かっても分からなくても、この問題を検討していくことがあるとすれば、この主張と批判を行う両者が、何を理由に資料をつくり、議論をしているのか、仔細にみていくかもしれません。そこではおそらく、「作品(紛失)」が理由にされている(まるで人質にとられているような)のではないかと感じます。
比べられることではないけれど、作品がなくなるということの辛さやもどかしさは、川崎市市民ミュージアムの被災や東大の学食の事故など、それが対岸の火事ではないことは、まだ鮮明に身に染みて感じられる時期に、目眩がする思いです。
すでに「アーツ前橋作品紛失問題」と名付けられている記事もあります。繰り返しになるけれど、複雑な問題だからこそ、問題は腑分けして考えられていくべきだけど、本当の問題はそれをどのような1つの問題として捉えるのか、、私だったら、、、と、もわもわと考えています。

「二つの資料」
「アーツ前橋を応援する会」のHP内、関連資料の項目に掲載されている資料/住友文彦「記者会見配布資料」(PDFファイル:174KB)、2021年3月25日https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view
②前橋市の報道発表資料/アーツ前橋作品紛失調査報告について(文化国際課)
https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?