集団としての知性はどうやってつくられるか
虫が苦手なのになぜかこのところ虫にまつわる投稿が続いております。
今読んでいるミツバチの話があまりに面白いので少し書いておこうと思いまして。
「ミツバチハッチ」でも「ミツバチマーヤ」でもありません。(昭和生まれにしかわからない)
本のタイトルはこれです。
「ハチはなぜ大量死したのか」
ローワン・ジェイコブセン
敬愛する福岡伸一先生の本の中で、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の現代版として紹介されていた本です。
2006年、北半球から4分の1のハチが消えたことについて書かれています(のはずですがまだ3分の1も読んでいないので断言できません)。
ちなみにミツバチがいなくなれば私たちの食卓は非常事態になります。
いつものようにバリューブックスで注文し、届いてみると表紙はドアップのハチの写真。すぐさまブックカバーをさせていただいて読んでおります。(ジャポニカ学習帳がNGだった、虫NGの私)
さて。
ハチが社会性昆虫というのは知られていると思う。なんかみんなで協力して生きてるんだなあ、というのは私も知っていた。
たしか小学校のとき、教科書でハチのダンスの話を読んだ。子供なりに感心した記憶がある。
それから最近「ゆる生態学ラジオ」で聞いた話。たしか敵が侵入するとみんなで団子になって取り囲み、発熱して焼き殺してしまうとか。真ん中になれば熱で自分も死んでしまうんだけど、余命の短いものたちが自らその役割を果たして巣にいる子供たちを守る、みたいな。
なんかハチってすごいんだな、とは思っていた。
だからミツバチハッチとかミツバチマーヤとか、ハチが主人公のアニメができたのかしら。
ハチの知性。
ただ、ハチ一匹一匹が賢い、というものではないらしい。
個々のハチはいわば脳細胞であって、コロニー全体が脳、一つの知性であると。
このハチの「集団としての知性」が、世界的なハチの大量死とどう関わるのかがこれから語られると思うのだけれど、私の栞はまだまだそこまでいってない。
でも、その集団がどんなふうに機能しているかの話がまず面白いのだ。
コロニー5万匹のうち、4万9千匹以上は子供が産めない働きバチ。
働きバチが全部メスっていうのも知らなかった。
たまにオスが生まれるが彼らは働くことはなく、他のコロニーの女王蜂を目指して外へ出て行く。相手が見つからないと巣に戻って居候を続けるが、秋になると追い出されて死ぬらしい。なんか、なんともいえないね。
働きバチには色々な仕事がある。
花粉の採集、花蜜の採集、巣板の建設、巣の防御、子育て、女王の世話。
これらをうまく分担してコロニーを運営している。
〈ある若い蜂の日記から〉
育房で育てられ、さなぎからかえった若いハチは早速仕事にかかる。
育房の掃除係から始めて、次に子供の世話係。口からローヤルゼリーをベビーベッドに吐き出して、蜂児を育てる。
10日目ぐらいになると、事態は一気に進む。
こうして、育児蜂は受取人に昇進し、その後外勤蜂からのリクルートを受け採餌係に昇進する。そしてその役目の中で、数週間の命を終える。
このしくみがすごい。
蜜の受取係が足りないことを判断し、それをスカウトするしくみ。伝達方法。
蜜の採集係が足りないことを判断し、それをスカウトするしくみ。伝達方法。
常に全体のバランスを見ながら、運営がうまくいくように調整している。
注目すべきなのは、これを上から見ている誰かが仕切っているわけではないということだ。
ハチのコロニーには統率者はいない。
上から全体を見て指示する者はいない。
「女王蜂」は統率をするのではなく、ただ生殖を担当するだけだ。
ではどうやってこのバランスを保っているのかというと、個々の判断による。
周りの状況を見て、今自分がどうすべきかを、個々が判断して行動する。
「どうすべきか」というのは全体の運営のため、つまり次世代を育てるために自分がどうすべきかということだ。
これを誰かが統率することなく、個々の判断で営んでいることがすごいと思う。
個々の判断は間違うこともある。そういうときは、誰かが注意したり、フォローしたり、あるいは自然なフィードバックが働き、全体の運営の均衡が保たれていく。
これが蜜蜂の「集団としての知性」だ。
中央集権的ではない。
個々の自由な判断、経験とパターン認識、本能とフィードバックループ。
これにより、一匹ではなし得ない見識ある決定ができる。
次世代は守られ、育ち、種が生き続ける。
中央集権的な知性にばかり注意を払いがちな人間社会より、蜜蜂の社会の方が優れた行動ができているように思う。
これを読んで思い出した話がある。
ひとつの受精卵から始まる生命体。細胞分裂を繰り返しながら徐々に細胞が分化して心臓や肺や筋肉や骨になり、体が形作られていく。
私は始めからその役割が決まっているんだと思っていた。できた瞬間から、この細胞は心臓に、この細胞は筋肉に、と。何かが司令を出して分化が起こるんだと思っていた。
ところがそうじゃないらしい。
細胞は生まれたときには何も決まっていない。何になるかは自由だ。
細胞たちは、となりの細胞と話をしながら何になるかを決めるそうだ。
「君が心臓になるなら僕は筋肉になるよ」というふうに。
周りとコミュニケーションをとり、自分の道を決める。
それができずに、自分が何者かわからず、ただただ増え続けてしまう細胞がある。
それががん細胞。
この話を読んだ時、鳥肌が立った。
ちなみに、福岡伸一先生の本です。
福岡先生の本は、本当に感動するんです。
サイエンス本でありながら、同時に文学のような美しさがあります。
そしてそこから次々と興味が広がり積読生活に突入しているのが今の私です。
あ、福岡先生の名前が出たら急に丁寧語になってしまった。
というわけで、まだ3分の1も読んでいない本のレビューでした!