想う、ということ

画像3

わたしは、想う、という行為がとても好きだ。
それをエネルギーにして生きていると言っても良いくらいに。

家族、友人、表現者、作品。
ああ、わたしはこれらのおかげで生きているな、と思えるもの。
心を寄せることで、胸の奥がきゅっとなるもの。



画像2

こんなこと書いちゃうくらいに、片思いが、好きなんだと思う。
いや片思いじゃなくて・・・ファン、というポジションが好きなのかも。

きっと、自分の中にある気持ち、ほとんど届いていない、と思う。

言葉や態度で示さないと、相手はわからないよ!ってよく聞く。
そうだなーとは思うけれど、こわくて。

伝わらなきゃいけないのかなあ。
わたしは、伝わっちゃうことよりも、想い続けることを優先したい。
もし想うことを奪われたら、生きられないよ。
想いの全部なんて知られなくていい。ずっと片思いでいい。



画像3

『tokyo tower』という映画に出てくる、こんな台詞。

「わたしは、誰と暮らしていても、
 わたしが生きたいと思う人と、生きているの。」

不倫関係にあるふたりの、女性から男性への言葉。
果たしてお手本にしてよいのやら?
でもわたしはずっとずっと、この台詞に憧れている。

生活を共にするという意味で、
誰かと生きることができないわたしは、
せめて、誰かを何かを想うことに、
生きる意味を見出してもよいでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?