想う、ということ
わたしは、想う、という行為がとても好きだ。
それをエネルギーにして生きていると言っても良いくらいに。
家族、友人、表現者、作品。
ああ、わたしはこれらのおかげで生きているな、と思えるもの。
心を寄せることで、胸の奥がきゅっとなるもの。
こんなこと書いちゃうくらいに、片思いが、好きなんだと思う。
いや片思いじゃなくて・・・ファン、というポジションが好きなのかも。
きっと、自分の中にある気持ち、ほとんど届いていない、と思う。
言葉や態度で示さないと、相手はわからないよ!ってよく聞く。
そうだなーとは思うけれど、こわくて。
伝わらなきゃいけないのかなあ。
わたしは、伝わっちゃうことよりも、想い続けることを優先したい。
もし想うことを奪われたら、生きられないよ。
想いの全部なんて知られなくていい。ずっと片思いでいい。
『tokyo tower』という映画に出てくる、こんな台詞。
「わたしは、誰と暮らしていても、
わたしが生きたいと思う人と、生きているの。」
不倫関係にあるふたりの、女性から男性への言葉。
果たしてお手本にしてよいのやら?
でもわたしはずっとずっと、この台詞に憧れている。
生活を共にするという意味で、
誰かと生きることができないわたしは、
せめて、誰かを何かを想うことに、
生きる意味を見出してもよいでしょうか。
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