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平安貴族が現代に来たら、案外うまくやるかもしれない

はじめに

 平安時代といえば、今から約1000年前の時代だ。実際には400年くらい期間があるので少々乱暴な言い方だけれども、おそらく平安時代で一番有名な貴族、藤原道長の活動期間がおおよそ1000年前くらいなので、イメージとしては間違っていないと思う。
 そんな時代の平安貴族が現代に来たら、と想像してみてほしい。

 その状況に近いマンガはある。たとえば、「ヒカルの碁」の藤原佐為や、「いいね!光源氏くん」の光源氏や頭中将などがそうだろう。彼らは現代の便利な道具類に驚き戸惑いはすれど、案外自然と馴染んでいく。

 そりゃあマンガだもの、と思うかもしれない。しかし、もし本当に平安貴族がタイムスリップして現代に来たとして、案外うまくやるんじゃないかと私は思うのだ。
 いやいや文化も道具も環境も違うのに……、と思うかもしれない。しかし、環境や道具については「慣れ」でどうにかなるところもあると思う。もちろん個人差はあるだろうけれど、異なる文化の国に留学して、徐々に慣れていくようなイメージだ。
 重要なのは、「価値観」だ。価値観というものはその人に深く根差しているものだから、周囲と大きく乖離があればあるほど生きにくくなる。

 その点で平安貴族と私たちの価値観は、意外と変わらない部分も多いのでは、と私は考えている。

SNSでの恋愛は、平安時代に似ている。


 SNS恋愛、というのは最近では珍しくないことだろう。

 ネットでしかやりとりがなかった人のことを好きになってしまうことがある。Facebookなら顔や本当のプロフィールもある程度わかるのかもしれないが、Twitter上の関係などだと、相手の情報は文字でのやり取りとアイコンだけということもあるだろう。ネットでのやり取りを重ねるうちに相手のことを好きになり、だんだん会いたくなって、思い切ってオフ会の約束を取り付けてみる。恋愛抜きの友達関係としても、そういう知り合い方も増えてきたのではないだろうか。
 こうして書いてみると、非常に現代らしい現象に思える。

 しかし私は、SNS上の恋愛というのは、平安時代の恋愛に似ているのではないかと思うのである。

 平安時代は、結婚するまで男女が直接顔を合わせることはなかった。逆に言えば、顔を見るイコール結婚なので、「逢ふ」「見る」という古語の現代語訳の中には「結婚する」という意味もある。当時は、顔を知らない相手と恋愛をすることが必然の世の中であった。
 平安の世で顔を知らない相手と恋愛するために必須だったのがふみと「和歌」である。平安貴族たちは、文と和歌のやり取りによって、恋の気分を盛り上げ、結婚するに至るまで気持ちを盛り上げていく。

 文や和歌の内容は、相手の内面を知るための数少ない手がかりである。ここで量られるのは常識や流行を知っているか、賢いか、気が利くか、そういう点が主だろうか。
 文や和歌で知ることができるのは、書かれている事柄についてだけではない。文に使う紙、焚きしめた香の匂い、一緒に贈られる花、筆跡……これらの情報を総合判断して、恋する彼/彼女の実像をイメージしていくのである。ただし、文は姫付きの女房が代筆していることも多いため、本人が書いたという確証は取れない。それでも素晴らしい文ならば、少なくともそのような有能な女房がいるという点でプラス評価になるわけだ。男性側だって、送る前にアドバイスをもらったり添削してもらったりしてから送る貴族だっていたはずだ。
 恐らく、妄想や虚構を多分に含んだ相手のイメージは実際よりも、自分の理想に近づけて美化されたものになるだろう。

 ――さて、これは平安時代の話だが、いっぽうの現代はどうだろう。

 まずは先に述べた通り、SNS恋愛では顔を知らない相手と恋をするというのが共通点だ。今の世の中お手紙でアナログに文通する人も少ないだろうから、平安時代の文の役割を果たしているのはDM(ダイレクト・メッセージ)やメールなどのツールになる。SNSで香りは伝えられないが、香に似た役割のものはある。アイコンと、写真である。
 アイコンと写真、文字だけのやり取り。それだけの情報から感じる漠然とした情報で量れること……端的にいうと「センスがいいか」「フィーリングが合うか」の二点が大きいのではないだろうか。そして、この二点をとっかかりにするのは、平安時代の人も同じだと思う。文のやりとりや、言葉の選び方、香りの選び方は、「センス」が問われるものである。「好みや趣味(フィーリング)が合うか」という点でも重要だ。
 先の二点に加えて、「流行を抑えているか」というポイントを気にする人もいるかもしれない。これも平安時代も同じだろう。和歌でも、「今は紀貫之きのつらゆき風に詠むのが流行り」など、その時期の流行というのがあるのだ。
 代筆の件も、完全な他人事ではない。LINEやDMだって、目の前にその人がいないわけだから。相手からの連絡が来たときに、たまたま一緒にいた友だちに、
ねえ、返事ってこれで変じゃないかな!?
と聞いてアドバイスをしてもらっているかもしれないし、もしかしたら本人からケータイを取り上げた代わりの誰かが文字を打ち込んでいるかも知れないのである。
 相談しているところなんて見えないから、相手にわからないのは平安時代と変わらない。

 数少ない情報から相手の事を想像して恋が燃え上がるのもSNS恋愛あるあるではないだろうか。
 SNS恋愛での片思い時代は、空き時間に相手のTwitterやらインスタやらをついついチェックしたり、過去に遡ってみたり、相手のフォロワーをチェックしてみたりしたくなるものだと思う。あまりやりすぎると「ネットストーカー」になってしまうが、そういう欲が出るのは普通の範囲内のことだと個人的には思う。
 平安時代でこの現象に近いのは、合法覗きとして有名な「垣間見」である。与えられる情報だけでは満足できない! 相手の情報は自分で深掘りしたい。もうちょっと具体的に言うなら、「オフショットを見せてください」という欲である。
 相手のことが好きだからこそ知りたくなってしまう気持ちは平安時代も現代も同じだろう。

 学校の授業で平安時代の文化を習ったときに、

顔も知らないのに恋愛したり、代筆かもしれないのにやりとり続けるのって、平安時代って変だなあ!

と思っていたあなた。実は変ではないのである。強いて言うなら、そういう恋をするかしないかの選択権が現代にはあって、平安時代にはないといえるかもしれない。が、一度恋してしまったら選択も何も関係ない。相手の姿が見えないからこそ、恋が楽しいこともある。それを私たちは理解できるし、平安時代の人もまた、私たちの気持ちを理解できるのではないかと思うのだ。

バズった人・お金を払ってバズった人・タダで炎上した人


 こんな話がある。 

 Aさんが書いた詩を、有名な音楽系インフルエンサーに歌にしました。Aさんはそれを聞いてとても喜びました。その話はバズりました。
 そのことを聞いたBさんはうらやましく思って、別のインフルエンサーにお金を払って自分の詩を歌にしてもらい、いろんなところで歌ってもらいました。Bさんの場合は有償でやってもらったということも世間の知るところにはなりましたが、それもまた「わざわざ有料でやってもらうなんて熱心だなあ」と、バズりました。
 さらにそのことを聞いたCさんはBさんをうらやましく思って、また別のインフルエンサーに「俺の詩を歌ってくれよ!!」と無理に迫って無償で歌わせました。そのケチさを世間の人に笑われる形で広まり、バズというよりは炎上してしまいました。

 まとめると、インフルエンサーに自分の作品を使われて自然にバズった人と、その噂を聞いてインフルエンサーに有償で自分の作品を使ってもらい、その経緯に興味を持たれる形でバズった人と、さらにその噂を聞いてインフルエンサーに無理やり自分の作品を使わせ、そのケチさで炎上した人がいたよという話。

 これは、いつ、どの媒体で、誰についての話だろうか。

 実は『方丈記ほうじょうき』で有名な鴨長明かものちょうめいの別著作無名抄むみょうしょうに答えがある。
 まずはあらすじから。(和歌の内容など細かい部分はあえて省略している。)

 ある時、和歌の名人源俊頼みなもとのとしよりが、藤原忠実(えらい人)のところに呼ばれていた時、そこに訪れた傀儡師くぐつしが「神歌」として俊頼の和歌を歌った。俊頼はそれを聞いて、「この俊頼も名人の域に達したのだなあ」と言った。すばらしいことだ(←これは鴨長明の感想)。
 そのことを聞いた永縁ようえん僧正はうらやましく思って、琵琶びわ法師たちに色々と物を与えるなどして自分が詠んだ和歌をあちこちで歌わせた。それを聞いた当時の人々は、僧正を「滅多にいない数寄者すきもの」と褒めた。
 その話を聞いた道因どういん法師は、永縁僧正をうらやましく思ったのか、物を与えもせずに盲目の僧たちに自分の和歌を「歌え歌え」と無理に歌わせて、世間の人に笑われた。

 「傀儡師」というのは、当時の放浪の旅芸人のような人々だが、貴族にも市政の人たちにも人気があったようで、実質インフルエンサーみたいなポジションだと思う。その傀儡子が、俊頼の作った和歌を「神歌」にして歌ったのである。
 「神歌」というのは、名前の通り神に捧げる歌なので、名誉なことだと俊頼は喜んだ。

 永縁は、その話を聞いて和歌詠みとしてうらやましく思い、神ではないが「仏」にゆかりのある「琵琶法師」に自分の和歌を歌って広めてくれるように頼む。有名になりたいというよりは「神聖なもの(神仏)」つながりということで、これも名誉のため。琵琶法師は『平家物語』を広めたことで有名だが、傀儡師と比較すると市井寄りなのかなというところ。
 わざわざお金をかけてそうしてもらったという経緯が噂になって、「あいつは数寄者だなあ」と評判になる。「数寄者」というのは、「芸道に熱心な人」のこと。ニュアンス的には「プロ・スペシャリスト」というよりは「オタク」に近い感じ。実力よりも芸道への気持ちの熱量があふれている人について言っていると思う。オタク風に言えば、「ある分野へのクソデカ感情を抱いている人」ともいえる。この場合、永縁は和歌へのクソデカ感情を抱いているということ。

 同じく最後に出てくる道因法師も別の説話で「数寄者」と言われるほど、和歌に熱心なおじさんである。実は百人一首に入っていたりもする(思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり)。だから和歌詠みとしての実力はある人。ただ、ドケチで有名だったそうで、この話のほかにもドケチな逸話が残っている。
 話を戻そう。永縁僧正はお金を使って名誉を得ようとしたが、道因はお金を払わずに同じことをしようとして、それを笑われたということである。

タダで何図々しいこと言ってんだコイツwww

みたいなイメージ。「盲目の僧侶」というのは、おそらく琵琶法師のことかと思われるが、原文の書き方に差がある(※現代だと差別用語に抵触する言い方)のでちょっとグレードの低い琵琶法師か、「自分、琵琶のプロではないんですけど……」なレベルの人だったのかもしれないと私は解釈した。
 道因、鴨長明にオチにされてしまう。

(※ちなみに「和歌を歌として歌わせる意味」は、現代でもまだ研究対象になっているようではっきりしたことは断言できない。強いて言えば神仏へ捧げる価値のあるものとして認められるという名誉と、どうやら歌にしてもらうことで、著作権を主張しやすくなるという利点はあったらしい。)

 そういうわけでこれは平安時代の話だったわけだけれど、AさんBさんCさんの世間話として聞けば現代でも十分ありうる話じゃないかと思うのだ。

「好き」は1000年経っても伝わる


 あなたは法性寺ほっしょうじ入道前にゅうどうさきの関白かんぱく太政大臣だじょうだいじんという人を知っているだろうか。

 百人一首「わたの原漕ぎ出でて見れば久方の 雲ゐにまがふ沖つ白波」の作者で、あまりに名前が長いので読み札には二行で書かれている。和歌や具体的な名前は覚えてなくても、やたら長い名前があったということを覚えている方はいるかもしれない。
 この長い名前のお方は、院政期の摂関家(貴族の中でも特に偉い家)のトップであった藤原忠通ふじわらのただみちである。歴史的には、保元の乱の中心人物の一人として有名。また、百人一首に選ばれている通り、和歌も上手いし、漢詩も上手で、ついでに字がめっちゃ上手いことでも知られている。何気に貴族として万能人なのだ。
 そんな忠通さんが、こんな漢詩を書いている。

賦覆盆子
夏来偏愛覆盆子 他事又無楽不窮
味似金丹旁感美 色分青草只呈紅
真珠萬顆周墻下 寒火一鑪孤盞中
酌酒言詩歌舞処 満盈珍物自愁空

出典:本朝無題詩

 ここに出てくる覆盆子ふくぼんしというのはイチゴのこと。
 ちょっと正確な書き下しに自信がないので、ざっくりとした訳を。

イチゴを詩にする

夏が来ると、ただただイチゴを愛す
イチゴに比べたらほかのことなんて全然楽しみではないくらいだ

味は不老不死の薬に似て完璧な美味であり
色は青々とした草の中に際立って紅色が映える

真珠のようなたくさんの実が家の垣根に実り
寒々とした火が炉の中に灯るように盃に置かれる

酒を飲み、詩を詠み、歌舞を興じる中に
器にいっぱい盛られたこの貴重なものを見ると愁いも消え去るのだ

 ……と、全行でイチゴを賛美している。もはやちょっとしたイチゴ過激派である。
 さらに超訳してみよう。

1行目→夏といえばイチゴ!! いや、むしろ夏=イチゴでほかのことはどうでもいい。
2行目→味は不老不死の薬くらい美味しいです。食べたことあるのかって? いや、不老不死の薬はイチゴの味ですから。色も緑の草の中に紅色がすごくきれいに映える。最高。
3行目→家の垣根に真珠のような実がたくさん実るんですよ。そしてそれが盃に集められると、その紅の塊はもはや炉の中の火。凍えるような火。美しい。
4行目→酒宴中にイチゴがあってごらんなさい。ストレスや不安なんて消し飛びますよ。

 惜しみなくイチゴを賛美している中でも、特に「寒々しい火」にたとえているのが詩人らしいところだと思う。暖かい光ではなく、きりっと冴えた光というイメージが伝わってくる。

 実は私はイチゴが嫌いなのだが、それでもこの詩を読むと、(この人イチゴめっちゃ好きなんだな……)というのはよくわかるし、何だかおいしそう……というか神聖な果物に思える。
 好きなものを語る人を見ると、こちらも楽しい。学校の先生の授業も、「この先生ってホントにこの教科が好きなんだなあ」と思える先生の授業は不思議と楽しいものだ。
 それは時代を超えても同じである。ただ「イチゴっていいよね」と言うだけにとどまらず、漢詩という芸術的方法を用いてイチゴを全力で推し、賛美しているのを見るだけで、こちらもにっこりしてしまう。

「好き」という気持ちは、1000年経ってもこんなに伝わる。

平安時代も女性は自分のためにおしゃれする


 女性が髪型を変えたり、ネイルや化粧を派手めにしたりすると、「そういうの男受け悪いよ〜」という余計な一言を言われてイヤな思いをした、という話を以前はよく見かけた。

 派手なリップを塗るのも自分のためだし、攻撃力高めのネイルにするのも自分のため。会社におしゃれな服を着てきたって、別にデートするからではない。そういう気持ちは、私もよくわかる。一昨年、アラサーにして初めて髪のインナーカラーをピンクに染めたが、別に誰に見せるためではない。自分で自分の髪が素敵になったところを見たかったからだ。
 「メイクは女の武装」と言う人もいる。それは誰かに見られることを前提としている言葉のように見えるが、それだけではない。誰に見られていなくたって、自分の士気を上げ、気力を回復させる意味もある。ポケモンで喩えるなら、「私の攻撃力がぐーんと上がった」「私の体力が回復した」みたいな感じである。

 これは一見、古い価値観から男女平等になったからこそ生まれた現代的な価値観に思える。

 しかし、自分のために着飾るという価値観は、平安時代から存在するものなのだ。

 『枕草子』の「心ときめきするもの」という章段において、清少納言がはっきり書いている。ここでの「心ときめきするもの」、とは諸説あるけれども、辞書には「胸がワクワクするもの」という訳が当てられている。現代語の「ときめく」に近い感覚で理解しても大丈夫だと思う。
 まずは原文。

頭洗ひ、化粧じて、香ばしうしみたる衣など着たる。殊に見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。

『枕草子』第29段

 これをざっくり訳すと、

 髪を洗ってお化粧して、良い香りのする服を着ているとき。特に見る人がいなくても、私の心の中は「いとをかし」だわ。

という感じ。
 清少納言は、「誰に見られていなくたっておしゃれをしているときは胸がときめく!」と言っている。そして、心の中は「いとをかし」とも。ここでの「いとをかし」は敢えて訳さず、言葉のままに受け止めておきたい。

 これの前にも、「よき薫物たきものたきて、一人したる」とも書いている。これを訳すと「良い香をいて、一人で寝ること」であるが、もう少し砕いて訳すと

「枕や布団に好きな香りの香水を吹きかけて、ひとり良い香りに包まれて寝るの!」

という感じ。
 平安時代、たとえば和歌の「ひとり寝」は寂しいものだという前提で使われていると言っても過言ではないだろう。現代でも「ひとり寝の夜」と聞くと、ちょっと寂しい感じがするかもしれない。しかし、この場合は「一人が正解」なのである。一人だから、好きな香りを堪能してリラックスしながら寝ることができるのだ。
 清少納言が「一人の時間」を大切に、楽しく思っていることがわかる。

 清少納言だけがこういう価値観を持っていたのでは、という指摘もあるかもしれない。けれども、やはり、平安時代でも自分のためにおしゃれを楽しむという感覚が存在したからこそ、『枕草子』は宮中でも広く受け入れられたのではないだろうか。

 平安時代は男尊女卑のイメージが強い、という人も少なくないだろう。何か時代遅れの価値観を目にすると、「平安時代かよ!」なんていうツッコミをしていることもある。
 実際、平安時代女性に男性と同じだけの権利があったとは言えない。だから、その見方も間違いではない。しかし、すべての女性が男性に縛られて、虐げられて生きていたわけではない。宮中で、ときには女性の方が力を持つこともあったり、家を相続するのが女子であったり、理不尽なことがあれば裁判を起こして戦うこともあったりした。
 私たちが思っているよりもずっと、平安時代の女性の心は自由で強かったのかもしれない。

 そうそう、清少納言と言えば、「紙活」をする女子に通じるものもある。

「紙」と私と清少納言

 「紙活」と一概に言っても色々あるけれども、たとえばきれいな紙やシールを集めておしゃれな紙モノ工作やコラージュアートを楽しむ活動のことである。
 かくいう私も「紙」が好きだ。
 綺麗な紙を見たら集めてしまうし、お菓子の箱や封筒、果てはストッキングの袋の中に入ってる厚紙も好き。チラシも好きだし、ノートも好き。色画用紙や包装紙も好きだ。最近はコラージュアートに凝っているので、シールもよく集めている。だから、我が家にはいろんな紙があって、どう考えても捨てた方が片付くのだが、もったいなくてなかなか捨てられない。

 特に好きなのが、コピー用紙だ。 真っ白でシワひとつないコピー用紙。

 小学生のころ、自由帳にお絵描きをしたり漫画を描いたりしてよく遊んでいた。夏休みになると時間がたっぷりあるので、近所のおばあさんが経営している文房具屋さんに弟と手をつないで通っていた。自由帳を二、三冊買って、そこに好きなようにお絵描きしていた。お小遣いで買う自由帳は私たちにとっては高級品で、何を描こうかいつもワクワクしていた。
 中学生になると、自由帳では物足りなくなる。無印良品のらくがき帳や、文房具コーナーに売っている大きなサイズのらくがき帳を使って漫画を描いたけど、あれはちょっと色がくすんでいたり、紙が薄かったりして、滲んだり裏写りしてしまうのが難点だった。そんな時に親に許可をとって分けてもらったのが、コピー用紙だ。
 コピー用紙に目をつけたのは、漫画雑誌についていた「漫画の描き方」という小冊子で「漫画を描くのはコピー用紙でも」みたいなことが書いてあって、なるほどと思ったのだ。コピー用紙も決して厚みがあるわけではない。けど、らくがき帳よりは紙がしっかりしているし、そもそも印刷用に作られたものなので、あまり裏写りしない。
 けれども当時、コピー用紙は割高だし、もちろんコピー・プリントアウトのために買っている物なので、子供が遊びで使うのはNGであった。だから、絵を描くためのコピー用紙は月10枚くらいまでという決まりで支給された。そのため、メインで使用していたのはあいかわらずらくがき帳だったが、絵を描いたのを塗ったり、切ってイラストカードを作ったりするのにコピー用紙を使用した。
 今でもコピー用紙を手に取ると、「特別な紙」という感じがする。もう大人だし、コピー用紙はいつでも買える。あの分厚い塊全部に漫画を描いても良いのだけれど、あの白さを見るとなんだかもったいない気がしてなかなか消費できない。

 平安時代、紙は今よりとてもとても貴重だった。清少納言は枕草子で、

世の中の腹立だしうむつかしう、かた時あるべき心地もせで、ただいづちもいづちも行きもしなばやと思ふに、ただの紙のいと白う清げなるに、よき筆、白き色紙、みちくに紙など得つれば、こよなうなぐさみて、さはれ、かくてしばしも生きてありぬべかんめりとなむおぼゆる。

『枕草子』第262段

と述べている。ざっくり訳すと、

「世の中が腹立たしくて、煩わしくて、生きてるのもしんどくて、どこかに行ってしまいたいと思う時でも、白くて美しいただの紙に、上等な筆と白い色紙、陸奥紙が手に入ったら、気持ちがすっかり慰められて、もうちょっと生きていてもいいなと思えるの」

という感じだ。

 この気持ち、紙が簡単に手に入る現代に生きる私だけれどもすごくよくわかるのである。そして、もし平安時代に紙が容易に手に入ったとしても、清少納言はそう思うのだろうなとも。
 私も、大人になって日常の細かなストレスや、自分の手ではどうにもできないやるせない思いにさいなまれたり、生きていることが漠然としんどかったり息苦しかったりすることがある。けれど、きれいな紙が入手出来たら、その紙に何を書こうか、何に使おうか思いを馳せ、大げさでなく本当に、もう少し生きていけるなと思えるのだ。

 紙はいい。紙は楽しい。清少納言もきっと現代に来たならば、たくさんのきれいな紙に目を輝かせてくれるのだろう。
 似てる、なんて言うと歴史上の偉大な随筆家に失礼かもしれないけれど、気持ちに共感できることが嬉しいし、理解者を得たような気分になる。「そうなの、そうだよね」と両手で握手したいと思う。

おわりに

 
 SNS恋愛は、平安時代に似ている。
 趣味であっても、イチゴであっても、「好き」の気持ちはきっと今と変わらないし、同じ趣味の人の「好き語り」は自分ごとのように理解できる。
 誰が見ていなくても、おしゃれをすると何よりも自分が嬉しくなる。その感覚は平安時代も現代も同じ。だとしたら、私たちは、平安時代の女性たちとも普通にガールズトークができるんじゃないだろうか。きっとできると思う。
 平安時代は、遠いものではない。1000年以上前の人たちと私たちは、たしかに同じ心を持っているのだ。

 『徒然草』で兼好法師は、

ひとり、ともしびのもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

『徒然草』第13段

と書いている。

「一人の夜、明かりの下に書物を広げて、知らない世界の人を友とすることは、これ以上なく楽しいことである。」

 私たちは、想像力をもって「見ぬ世の人を友とする」ことができる。『枕草子』や『源氏物語』、説話集の中に時代を超えた友がいるかもしれない。

 その出会いを楽しみに、私はこの現代で古典を読んでいる。

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