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すべては名前をつけることからはじまる

 NHKのネーミングバラエティ「日本人のおなまえっ!」2020年5月21日の放映を見ました。
  今私たちが直面している社会危機のもととなっている新型コロナウイルスは、WHOが命名した『COVID-19』という正式名称をもっていますが、この名前の付け方についての考察をゲストコメンテーターと一緒に紐解くという内容でした。
 タイトルは『感染症のおなまえ』
 今回のように世界規模で伝染病が広まった際に、最初にWHOが行う重要な仕事のひとつとしてあるのが、「名称をつける」ということだそうです。


 最初は「へー?」と思ったのですが、すぐに、「もしや、これは私が考えていることかも」と気が付きました。
 そう、私が考えていて、なにか企画するにあたり、いつも人にアドバイスしていることが、まさに「(最初に)名前をつける、固有名詞化しょう!」ということなのです。
 「認識」の第一歩で、その「認識」の仕方で、人々の意識内に定着し、後のその人々の行動・考え方に大きく影響するからです。

番組はまさに同じことを言っているのではと、身を乗り出しました。

番組の佳境は、アメリカ国籍で日系の研究者が登場し、過去の伝染病でのネーミングにおいて、人類が誤ってきた歴史を紐解くところでした。
例)
・「豚ウイルス」と名付けたことによって、ある国では、豚が大量処分された。
・「MERS」(中東呼吸器症候群)と、発祥地として名前が付けられて、世界的な風評被害、他のエリアからの差別をこうむった中東の国々など。
また、今回の新型コロナウイルスについては、アメリカが、その発生地と報道された土地の名前をとり、「中国ウイルス」「武漢ウイルス」との名づけに固執し、中国と激しく対立。WHOに対して対策関連の国際会議に参加する条件として、『COVID-19』ではなく上記の名前を採用することと主張して、それが認められなかったら協力はできないと言うスタンスを貫き、結果、共同声明が発表できなかったということも知りました。
 また、ゲストの宮崎美子さんは、地域の名前がもとで名称化された病気の例として「水俣病」をあげ、この話我々にをより身近に引き寄せてくれました(宮崎さんは熊本県出身なので、同県の水俣市に悪いイメージが定着していることに心を痛めていたと想像します)。

 さて、こうして、「ネーミング次第で、動物や個人、地域などに思わぬ被害を及ぼしてしまうので、ネーミング時にはそれらを考えることが大切だ」、ということで、どうも前述の日系アメリカ人の方が、特に「MERS」の時の反省を踏まえて、ネーミング・ルールをWHO内に設けたような話でした。番組は、そのような背景を丁寧に説明して、今の『COVID-19』となった命名の理由を教えてくれました。

さて、このように、「名前の決め方」は、とても大切であることを示されたわけですが、整理して考えると、その意義は2つあると思います。

1つ目は、内容はどうであれ「名前をつけること」。これは番組の中では、「見える化」であるとも言われていました。
2つ目は、その名前をつけるにあたっての注意。これは、先のルールに到った具体的な事例として伝えてくれてました。

以下思うところを記します。

1) 名前付けの大事さ・・・名前がないこととは、コミュニケーションできないということ。そして、意識されてない。認識されてないということ。

例をあげます。

 千葉市の千葉市動物公園には、ハシビロコウは2羽いて、以前は足のどちらに認識タグがつけられているかで、職員の間で「右」「左」と呼ばれておるだけでした。観客用のお名前はなかったのですね。


 それが私が半年間特別講座を受け持たせていただいた神田外語大学の羽鳥ゼミにおいて「動物アイドル総選挙」を企画・実施した結果、千葉市動物公園一の人気者に選ばれました。

 その流れで今度は、半年後に第二弾として動物公園の職員の手によって市民に対するネーミング募集が行われた結果、雄は「じっと」クン、雌は「しずか」ちゃんと愛称も決まり、認知度を爆発的に伸ばし集客につながりました。
 当時、メディアが報道してくれています。
●しくみについて
アイドル動物総選挙↓千葉日報さん
https://www.chibanippo.co.jp/news/local/156479

●結果について
「ハシビロコウに名前」↓ 産経新聞さん
https://www.sankei.com/region/news/140430/rgn1404300080-n1.html

 このように、名前をつけるということ、これ自体が価値を高める、または当らな価値を創出する可能性を秘めています。


 千葉市では、他にも、千葉市稲毛にある「市民ギャラリー」の池には色とりどりの鯉がいて、元館長が一匹一匹に名前をつけていて、パンフで紹介していますから可能性を感じています。

 もうひとつ好例がありました。


 佐賀でのこと。
 いまだに語り継がれている(?)伝説の人気まちあるき『恵比須・化け猫・河童伝説 佐賀のお城下ナイトウォークツアー』も 実施する際に最もインスパイアされたのが、ある商店街(県庁通り商店連盟)で、通称「猫おじさん」といわれる一人のプランナーが、商店街にいる野良猫に一匹づつ名前をつけてPRに活用していた、という事実でした。
「路地裏の猫、副招く?! ちょうちん手にナイトツアー」朝日デジタル↓
http://www.asahi.com/special/080804/SEB201012140014.html

そう、すべては名前をつけることからはじまる!
日常にただ単に「在る」ものも、名前を付けることで、意味合いが生じ、他と差別化され、触れる者や見る者に愛着を沸かせる。
新たな価値を作りだす第一歩と言えましょう。

2) 名前つけにおける注意
 番組では、「動物、地域、個人」などにちなんだ名前をつけることに警鐘を鳴らしていました。一方で、良いネーミングはそれ自体がすでに、我々人間がやろうとしていることを代弁することもあるかと思います。
 私が「警鐘を鳴らす」という意味で、いい例だと思うのは、番組の主旨である「伝染病」ではないのですが、「中2病」と「五月病」です。
 これらは、それにかかりやすいタイミングなどをあらかじめ顕在化して、周囲の注意をうながす働きを担っていると思うがどうでしょうか?


「中2病」などは、そもそも病気というより、その年齢での行動思考傾向ですね。それを「病気」として名づけているところも面白みがあります。
名前が付いたことで、「あー、あいつ、中二病だし、ま、しかたないなぁ~」とか(笑)。極端と思われる彼らの行動がいわゆる「大目に見られる」時などにも使われているし、面白がられてリラックスしたコミュニケーションが産み出されていると言えます。
 中学2年時という、一定期間の時期限定をしめしているので、それが、ある人たちを永遠に「レッテル」づけして指しているわけではないところで救われるでしょう。思春期まっただ中である子供たちに見られがちなメンタリティの傾向であって、当の本人たちにも自虐的にも使われていますね。


 「五月病」は、新入社員を受け入れる側などは、ゴールデンウィーク後に、一番メンタルでケアしないといけないという気持ちを興させてくれるから、これなどはよいネーミングなのではないでしょうか。(最近では、同様の問題は5月から一年中に広がっていますが、やはりそれでも私などは、5月を迎えるゴールデンウィーク前には特にこの言葉を思い出して、気を引き締めています)

以上、雑感でした。
上記2つの視点に加えて、3つ目「効果的な名前の付け方」というのも書いて考察したいのですが、この点については、クリエイティブ系の話に突入しちゃうので、今日はこのあたりで。

みなさま、良い一日を。最後まで読んでいただきありがとうございました。


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