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30代で心筋梗塞になった男の体験 8 バイパス手術 後編

30代で心筋梗塞になった私の体験を綴っています。同じような事が起こった人の参考になるように。健康な人が増えますように。

■心臓バイパス手術からの目覚め

午前9時からスタートしたバイパス手術は、午後4時くらいに終了した。もちろん、自分は全身麻酔のため寝ているうちに終わった。

今回の心臓バイパス手術は、自分の左手の血管を心臓に移植した。

そのため、起きた時には胸骨が縦30センチくらいと、左手の肘から手首までが切られて、閉じられた状態であった。

また、身体に様々な管が刺さっていて、11本来くらい繋がっていた。刺せるとこは刺しました、と言わんばかりであった。

そして、目が覚めた段階で、人工呼吸器がまだ繋がっていた。これは、手術が終わったらすぐ抜く事もあるようだが、自分は繋がったままであった。

目が覚めて、金縛りのような状態を脱したとき、とりあえず生きてて良かったと思った。手術中に何か起こるという事はとりあえず無かったのだと。

人工呼吸器はすぐに抜いてもらえた。しかしその他すごい量の管である。こんなに刺しちゃいけないだろうよ。人間に。

身体の痛みは許容範囲内であった。すぐに会話もすることができた。手術の痛みというよりは、身体が動かせない辛さのほうが大きかった。

その夜は、1時間おきに検温、血圧などを測った。相変わらずほとんど身体は拘束され、動けなかったので、寝れない→ようやく眠くなる→検温で起こされるのループであった。

辛かったが、手術自体の痛みは、まぁ何とかなるレベルだったため、痛み止めは使わなかった。これは看護師さんに褒められた。耐えられずに大騒ぎする人も多いらしい。これは若さの賜物かもしれない。そんな感じで寝たのか寝てないのかよく分からない夜を過ごした。

■手術後の経過

翌日、早速起き上がって歩くことを命じられた。寝っぱなしが何より辛かったので、起き上がれる事が大きな喜びであった。やはり、痛みでとても起き上がれない、という人も多いらしい。若さって素晴らしい。昼からは食事も出た。

とはいえ、開胸手術の翌日だけあって、動くとさすがに痛かった。そもそも首にも大量の管が刺さっている状態だ。重たくて首が痛い。せっかくなので痛み止めを使うと、眠くなる作用があったらしく眠れた。これはいい。この日は2時間おきの検温だったが、痛み止めを睡眠薬替わりに駆使して寝た。

2日目、少し歩いて、何本か管が抜けた。しかしまだ痛い。2日目くらいにはもうほとんど痛くない、とか事前の説明で聞いていたのでがっかりだ。「まだ痛いんすけど」と医師に聞くと、今日あたりが一番きつい。明日には大丈夫と言われた。

リハビリの理学療法士さんに聞いたら、5日目くらいまでは辛抱と言われた。おそらくこっちが正解だろう。先は長い。

そう思うと辛かった。この日の夜が一番辛かった気がする。寝返りもできないし。こんな手術やんなきゃ良かったと思った。1分1秒がとても長かった。

3日目、なぜか急激に身体が楽になった。医師の言ったことは本当であった。そして管もたくさん抜けて、残り3本くらいまで減って調子良くなってきた。これも若さの特権だろうか。

4日目には、集中治療室を卒業して一般病棟に移った。すでに自分でスタスタ歩けるレベルまで回復していた。

なお、バイパス手術の有名な合併症に肺炎がある。そのため痰を出さないといけない。事前の呼吸訓練を生かして頑張って痰を出していたが、もうやらなくていいと言われた。無事合併症もクリアしたようだ。

■退院へ

術後1週間で、リハビリは30分自転車に乗るところまで到達した。通常よりはるかに早いペースという。もちろん痛みはあるが、基本的にはすっかり元の生活といったところであった。

各種検査の結果も良好で、結局予定より1週間早く、術後10日目にして退院することができた。

■若さが武器に

術後10日で退院というのは通常考えられない早さらしかった。医師たちが、早く退院させてあげよう、という気持ちで進めてくれたわけだが、それについていけた自分の回復力に感謝したい。

30代で心筋梗塞になるのも不運ではあったが、ここは若さに助けられたということだ。

若さが自分を助けてくれる。年齢を重ねても、身体は若い状態をキープすれば、こういったメリットもあると言うことを学んだのであった。

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