お金と消しゴムと名前の特徴

お金の特徴は三つある。

一つ目は、誰でも使えるということ。例えば、お金でカップ麺を買う。プレゼントを買う。月の一部を買う。つまり、眺める物にする。(だからプレゼントをもらった相手はそれを見えるようにしていないといけない。)
二つ目は、特定の人たちを囲い込むこと。例えば、ライブに行く。レンタルスペースを借りる。Netflixなどのサブスクをする。つまり、体験を味わう。
三つ目は、自分で確かめるということ。例えば、貯金の総額は、自分のこれからの自由な時間を確かめている。後輩に奢るジュースの金額は、先輩と後輩の位置関係を確かめている。ネット配信中の投げ銭の金額は、自分が相手に期待する度合いを確かめている。つまり、つながりに気づく。

お金は、眺める物にするために誰でも使える。
お金は、体験を味わうために特定の人たちを囲い込む。
お金は、つながりに気づくために自分で確かめる。

これは例えば消しゴムでも同じである。
消しゴムは、空白を目に見えるようにするためにどの人でも使える。
消しゴムは、練り消しを作ったことがある体験をその人たちだけで共有できる。
消しゴムは、その減り具合でこれまで勉強に励んできた努力に気づく。

以上のように、消しゴムの特徴はお金の特徴でもある。つまり、お金はモノと変わらない。違うように思えるのは、記号と意味範囲のズレの度合いによる。「お金」と聞けば、まず誰もが紙幣を思い浮かべる。一方で「消しゴム」と聞けば、MONOや、カドケシ、よく消える系消しゴム、などなどと複数以上を思い浮かべる。しかし「お金」と言ってもビットコインもある。このように、お金と消しゴムには、相対的な違いしかない。ただ、記号と意味が一対一である方が、人々の記憶に残りやすく、浸透しやすいだけである。いつでも誰でも同じように思い出せること、これがいわゆる「お金」の信用である。「消しゴム」はあまり信用されなかったに過ぎない。

お金と消しゴムは両方とも触れられるモノである。それでは反対に触れられないモノはどうだろうか。
それは例えば、名前である。

名前は、誰からも視認されるように名札になる。
名前は、「福山雅治みたい」と言われてあたかもそういう人になる。
名前は、自分の名前を思い起こすことで自分の人生を過ごした気になる。

名前は消しゴムよりも信用が少ない。誰もが「福山雅治」という名前を聞いて、明確にその姿を思い出せるわけではないし、思い出せても頭で考えたイメージがどれほど似ているのかもわからない。

名前と消しゴムとお金は、相対的な信用度の違いがあるものの、同じ特徴を持つ。ただそのモノ自体の変化で比べてみると、別のことがみえてくる。

お金では、カップ麺を買うように、その形が別の形に変わっている。
消しゴムでは、削れていくようにその形が無くなっていく。
名前では、「福山雅治の人」になれるように新しい形として現れる。

これらはそれぞれ、意味の相対的な度合いを生み出している特性につながる。
お金は、別の形に変わるよう入れ替わっただけであるため、「お金」のイメージに影響を受けない。
消しゴムは、形が無くなってしまうため別のものを買わざるを得ず、「消しゴム」のイメージは複数以上になる。
名前は、新しい形として現れるが、それはある人の思考の飛躍によっているため、各人が抱く本当のイメージは分からない。よって、「名前」のイメージは多様になる。

まとめる。
モノには三つの特性があり、それが意味の相対的な違いの度合いを生み出し、浸透範囲に影響する。
三つの特性のうち入れ替える特性は、単一のイメージが維持されやすく、最も広く拡がる。
形が別ものになる特性は、イメージが複数化しやすく、拡がりはイマイチである。
思考の飛躍で形を生み出す特性は、イメージが多様であり、拡がることは滅多にない。

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