そして映画もつらくなった の話

映画を観るのが好き、いや好きだった

世界を教えてくれる、内省的にさせる

孤独にする、共鳴させる

夢見心地にさせる、現実を叩きつける

愛を感じる、憎しみを覚える

冒険に誘う、保守をしろという

良き自己、悪しき自己を呼ぶ

古きを紐解き、未来を掲げる


映画は書ききれないほどの多くの体験を私にさせてくれる

ライフステージの変化で映画鑑賞から離れたが、若干の余裕が出来たころBSの洋ドラからこの趣味に復帰していった

さらに余裕が出来たタイミングでニュースチェック用にしていたTwitterアカウントを映画垢にした

自分と同じベクトルの映画好きは周囲にいなかったからTwitterを通じて映画好きと語らうのは楽しかった

自分が書いた感想をポストするのも楽しいし、それ以上にみんなの感想を読むのがとても楽しい

そうして無自覚なまま映画を純粋に観るというより映画垢活動(今造った言葉っす)に重きを置いていた

でも子持ち兼業主婦で気分にムラのある私、映画を観るペースがカタツムリ以下である

さらに映画界隈はみんな博識で様々な角度から映画を観てる方がめちゃくちゃ多い、尊敬する!あと鑑賞本数レベチ!けど私はフィーリング、タイミング、そしてイケメン重視なのだ

だんだん自分の感想ポストが間違いなのでは?誰かを不快にさせるのでは?自分は映画好きじゃないのでは?と心配になってきた


そして気付いた

映画があり観たいからただ観ること

映画垢活動をするために映画を観ること

この2つがある事を(多分みんなとっくに分かってる)


あるフォロワーさんがこんなことを言っていた

映画の楽しさを共有したくて映画垢を始めたのに、感想へのいいねが嬉しくなり、さらにちゃんとした事を書かなきゃと義務を課し「なんてツイートしよう」と思いながら映画を観るようになり潮時だと思った

これには現在の私はかなり共感出来る

私も潮時なのかもと思った

そしてそんなタイミングで自分が苦手なタイプの映画をたまたま観てしまった

冒頭の自分の映画観を引用するなら、その映画は私を内省的にし悪しき自己を知覚させ孤独にした

その孤独や無力感、自分の中の悪に耐えられないしこんな気持ちになる「映画鑑賞」って怖いと思う

地獄の黙示録ファイナル・カット劇場鑑賞を最後に能動的に映画を観るのをやめた

その後にも感想ポスト数個あると思うけど家族が観てたから見ただけ、あと自分から1-2本トライしたけど集中出来なかった

そんなこんなで映画もつらくなった のお話


映画から逃げたころアイドルに出逢い、私は救われる

結局は推し事もつらくなっちゃうんだけど気付きがあり、自分なりに愛して行こうと思えているし、なぜ映画がつらくなったのか振り返るきっかけにもなった

自分の映画愛がいつ復活するかはわからない

明日かもしれないし数年先かもしれない


でも映画が私にもたらしてくれた感動は消えないし、映画鑑賞がきっかけでSNSで繋がったみなさんとの出会いは貴重で大切なご縁だと思ってる

今は映画を愛でようと思えなくても今まで愛した意味はあったと思う











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