日本がいまだ競争力をもつのはどの産業で、その理由は?

清源

また日本人が一人、ノーベル賞を受賞した。今年10月、米国籍日本人科学者の真鍋淑郎さんがドイツの科学者クラウス・ハッセルマンさんと共に2021年のノーベル物理学賞を受賞した。これは2000~2021年の期間中、21人目の日本人(日系も含む)ノーベル賞受賞者 である。2001年には、日本は50年間で30個のノーベル賞を獲得するというスローガンを掲げている。

しかし、中国人の日本人に対するほとんどの認知はいまだ「失われた30年」に集中していて、特に中国が2010年にGDPで日本を超え、世界第二位の経済大国となった後、国内の日本に対する研究課題は低迷期に入ってさえいる。

かつて長く日本に留学し、仕事をしていた中国の学者李海燕氏は日本について言及したとき、日本経済は2005年以降、「高精軟遠」の発展段階に進化していると語った。「高精」とは日本経済がさらに一歩ハイテク化へ向かって発展していることを指し、「軟」は日本のソフトパワーが強化され始めたことで、日本にいる留学生数も、ノーベル賞受賞者も、日本へやってきた観光客数も顕著に増加している。「遠」は日本企業のグローバル化レベルがさらに一歩向上したことを指している。

2019年に新天皇が即位し、日本は正式に「令和」の時代へと入った。一年後、李海燕の著作『平成時代の日本経済を回顧する』が出版され、そのなかで「平成時代の日本は実際には少なからずの改革を行い、明治維新以来、三度目の開国と言っても良いだろう。しかもこれは、2005年以前に完成している」と記されている。

日本の「没落」が喧噪される中で、すでにひそかに自己変革が行われており、制度上において欧米諸国により近い国となっている。

日本企業(中国)研究院との対話の中で、李海燕は平成時代を経た後の日本経済について、日本企業のイノベーション発展の根源、そして日本の発展が中国に与えた影響など、自著に関わる話題を語った。「中国は10年後、人口減少・高齢化・農村人口の過疎など日本の平成時代に出現した一部の問題と重なる問題が起きる可能性が高く、これらの問題は最終的にはどのみち直面しなければならないもので、日本のこうした方面への対応は成功であっても、失敗であっても、中国に参考資料を提供してくれる」。

貧困・廉価からハイエンドへと向かい、人口構造もまた重要な変革期に直面している時期に、日本経済と日本企業は中国により多くの啓示をもたらしてくれると李海燕は考えている。「結局のところ、日本の長期的発展はまずは科学者に依存し、その後は優秀なエンジニアに、最後にようやく優秀な熟練労働者に依存する。これは決して取り違えてはならない」。

インタビュー

聞き手(Q):日本企業(中国)研究院

回答者:李海燕

Q:なぜ過去のものである日本の「平成時代」が、われわれが回顧し、思考するに値するのでしょうか。あなたのお書きになった『平成時代の日本経済を回顧する』という本の狙いは何だったのですか?

李海燕:一部の観念において、平成という時代は、中国人は日本に対し、相対的に否定の態度をとっています。しかし実際には、われわれが日本全体のこの時期の発展を細かに分析にして明らかにしていくならば、その時代にも今までの優勢産業が依然として保持されていたことが分かります。世界のIT業界の勃興、日本の人口減少など、国内外の多くの方面で不利な要素を抱えるなかで、こうした発展の基盤となるものを維持できたのは、客観的に見て容易なことではなく、これが一つの基本的な出発点となりました。

二番目の要素として、中国では10年後に、平成時代に起きたことが再度繰り返される可能性が高く、日本はわれわれよりも30年先を行っています。例えば中国の人口問題、高齢化問題、産業構造の重要な調整、企業のグローバル化は遅かれ早かれ直面しなければいけないものです。さらに都市と農村の格差問題は、かつて日本人は60年代から農村から都市へと出稼ぎに行きはじめ、農村には高齢者と女性と子供が残されましたが、これはわれわれの80年代、90年代の都市・農村構造と同じです。さらには日本の知的所有権や環境保護意識の向上などがあり、最終的に中国企業もまたこの道を歩まねばなりません。また、現在みんなが中国の不動産に問題が起き、明らかに黄金期は過去のものとなったと言っていますが、それならばこれから後、われわれはどのように発展していくのでしょうか? 日本はとても良い参考資料を提供してくれます。

Q:平成時代には、日本の産業と企業にどのような変化があったのでしょうか?

李海燕:この時期には日本の国内外の環境に巨大な変化が起き、日本の経済分野の変化は「四つの化」で形容できます。

まずは「転化」で、日本の全産業のレベルが全面的に欧米先進国に追いついたのは1980年代後期で、これ以前、造船業・鉄鋼・自動車・工作機械は80年代初め、ひいてはそれよりも前に世界一の地位にいました。その後、日本の半導体の生産量が世界一となり、一人あたりのGDPは米国を超えました。平成時代に入った後も、日本人の平均寿命が世界一となり、これは日本が全体の医療レベル、生活レベル、環境、治安などの方面でも、世界のトップレベルに達したことを意味しています。この時の日本は追いあげ型国家から成熟した先進国へと変わり、この30年は転化の30年と言うことができます。

次に「分化」です。平成時代の日本経済の成長率は平均わずか1%でしたが、これは日本の発展の停滞を意味しているのではなく、まさにこの時期に日本企業の技術・管理・グローバル化のレベルは大幅に向上しています。この時期の日本企業は多くの激しい国内外の競争の中で破れ去りましたが、どの業界にも競争力を上げた企業があります。例えば半導体業界では、半導体メモリ(DRAM)を生産する企業が平成時代にすべて打ち負かされましたが、半導体業界の川上である半導体生産設備は、日本の全体実力は完全にアメリカと拮抗していて、半導体原料方面では依然として世界第一位です。

三番目は「進化」で、日本はずっと先進国に学んでいて、古代には中国に、明治維新前後にはオランダや西洋に、第二次大戦後には米国に学んできて、日本のゆっくりとした進化は停まったことがありません。小売り業を例にとると、これはハイテク業界とはいえませんが、平成時代に日本の小売業の進化は顕著でした。90年代の日本は、ドラッグストアとコンビニエンスストアが拡張する一方で、10年間で日本最大のドラック・コスメ店企業の利潤は500%以上増加しました。商品は安く、24時間営業で、ユニークな店内配置により、コンビニエンスストアはこの時期の新小売り業態に顕著な商業モデルの革新をもたらしました。現在、日本の実体商業は世界でも最高レベルに達しています。

四番目は「グローバル化」です。平成の30年間は、日本が全面的にグローバル化した時代でした。この期間中、日本のほとんどすべての大・中型企業はグローバル化配置を完成させました。多くの人は日本の80年代の経済バブル、海外のM&Aの失敗に興味津々ですが、日本の対外投資やM&Aのシナリオは止まることはありません。日本は苦しい90年代を経て、海外でのM&Aを着実に進め、2000年から日本の対外的なM&A金額は安定して十数年間増え続けています。

この期間中、日本は隠れた移民大国でもあり、30年間、日本に留学する外国人学生の数、日本の永住権を得た外国人の数、日本国籍を得た外国人の数はずっと増え続け、特に2010年以降、日本に観光にやってくる外国人は毎年増え続けました。

Q:現在からみると、日本はどういった産業や分野でいまだ優勢的地位を保持しているのでしょうか。

李海燕:この問題を語るためには、視野を少し広げるといいと思います。欧米は日本よりも早い時期に発展し、特に欧州は今日に至るまで、依然として世界に影響力をもつ産業や企業が多くあり、欧米や日本が労働コストや為替コストという優勢を失い、高い環境保護コストを負担するという背景のもとで、いまだ競争力を保持できている産業があることを観察・思考するのはとてもおもしろいことだと思います。日本のあらゆる現代産業はすべて欧米を模倣したもので、さらに自分なりの進化や改造を加え、その進化は品質がより安定し、価格がより安いというふたつの方面に見ることができます。典型的なのは伝統工業分野で、日本は比較的早い時期に欧米に追いつきました。こうした工業は自動車、エレベーター産業、工作機械、半導体生産設備などが代表的なものですが、その特徴とは、長期的な技術の安定が必要なことで、高度な技術があわさって長期的安定を生む一方で、製品が生産されてから後も、産業の技術進歩が相対的に安定していました。

さらに化学工業、医薬品分野などでは、日本を含む先進国には大量の研究開発の基礎があり、同時に彼らは特許を申請するとは限らず、この種の分野では通常彼らは長期的に他に先んじた地位を保持しています。結局のところ、一つの国の競争力と品質力を最終的に決めるのは、やはり基礎研究への投入です。化学工業分野でとても面白い現象があります。日本の半導体原料は今にいたるまで世界一の競争力をもちますが、半導体原料は本質的にすべて化学工業製品なのです。

機械加工類の製品は、通常は懸命に真似すればよく、発展途上国も先進国からよい工作加工設備を買い、基幹原材料を買えば、こうした産業は基本的にすぐに追いつくことができます。しかし基幹部品などの複雑で耐久性のあるハイエンド工業品の加工は、往々にしてより精密で、より耐久性のある設備と技術が必要で、こうしたものはみな長期的な蓄積の結果であり、そのために中国は今日でもいまだ欧米や日本に追いつくことができません。加えて化学工業、バイオ医薬などの分野でも、日本の多くの企業は設備を売らず、特許を公開せずにおり、こうした分野もまた、他国が模倣したり、追いつき追い越したりすのが難しいものです。

Q:平成時代に日本の電子業界は相対的に衰退したのに、どうして自動車業界はより競争力を増したのでしょうか?

李海燕:私は『平成時代の日本経済を回顧する』の中で比較的詳しくこの問題に対する自分なりの理解を述べています。簡単にいえば、背後にある製造ロジックと発展経路が異なるからです。1990年代以降、モジュール化が製造業に与えた影響は非常に大きなものでした。家電とノートパソコンはどちらも典型的なモジュール化が非常に際立つ産業です。おおざっぱに言えば、主だったいくつかのモジュールを買いさえすれば、安定的に生産を開始することができ、発展途上の経済体もこの方法で迅速に垂直的国際分業に参加でき、台湾のIT産業はこのようにして勃興したものです。日本の電子業界の衰退の一つの大きな原因は、水平国際分業のメインストリームとは立場を異にし、大企業はみな自分で垂直分業のシステムをつくりあげようとしたため、時代の潮流の衝撃で後れを取ったからです。

しかし自動車業界は異なり、伝統的なガソリン自動車の部品は2万点ほどあって、それを組み立てるのはとても複雑な工程で、基本的にモジュール化がとても難しく、後発者がすぐに真似ることも難しいのです。そのため、今日に至るまで、伝統的ガソリン自動車のみならず、工作機械や光学機器などの複雑で精密な製品は、日本企業は依然として強大な競争力をもっています。

しかし別の方面では、モジュール化のレベルからいうと、新エネルギー車とインターネット時代のその他の製品は似ているところがあり、現在の趨勢からみると、自動車は交通機能をもち電池を使用する電子製品へと変化する可能性があり、すでに「未来の自動車は走るコンピューターだ」という説もあります。そのために、現在日本の自動車業界のライバルは他の自動車企業だけではなく、完全に異なる業界、あるいは新興企業なのです。

日本は実際には、すでに準備を初めています。例えばトヨタは固体電池技術方面で1000項目を超える特許を持ち、さらに自動運転があり、トヨタが持つ自動運転の特許は米国のグーグル社に次ぐ世界第二位です。この点は軽視されがちです。日本の自動車産業が今後競争力を維持できるかどうかは、彼らのモデルチェンジの速度をみる必要があるのです。

Q:日本企業からすれば、今までの発展からどのような経験と教訓を得ることができるのでしょうか。今後の核心的競争力とは何ですか?

李海燕:私が日本の100年余りの発展の歴史を研究して得た一つの重要な教訓とは、一つの企業が新規事業を始めるのは、ちょっと育成すればよく、早いうちに市場に出して、なるべく早くそれを試練にさらす必要があり、新規事業をある部門(事業部)の中でずっと「温めて」いてはいけないということです。ソニーや松下などはかつて輝かしい日本の企業でしたが、いつでも自分ですべてを行い、いつでも企業内部で垂直分業するのを好んでいて、新規事業を企業内部の一部門として取り扱っていたため、こうした新規事業は企業内部にあって、常に発展することができませんでした。企業が後に相対的に衰退し、競争力のある新製品を開発することができなくなったのは、これが重要な原因ではないかと私は考えています。

一つの企業のDNAはとても重要なものです。ここでいうDNAとは、最初はある市場の中で独立して生存していた企業であったか、それとも大企業の中の一つの部門であったかということを指します。デンソーは1949年にトヨタ自動車から分離した会社で、当初はたった5人の企業でしたが、現在はすでに世界で二番目の自動車部品メーカーとなっています。これがずっとトヨタの内部で部品製作を担当していたならば、今日の成功を想像するのは難しいでしょう。

この角度からみると、日本企業が現在のやり方を変えなければ、新しい時代を切り開くのはとても難しいでしょう。

しかし、別の方面からいうと、日本という国もまた常に前進しており、中国が学ぶに値する経験は多いともいえます。日本の核心的競争力とは何か? 中国人はいつでも日本の職人魂について語りますが、私は日本の長期発展はまずは科学者に、その後は優秀なエンジニアに、最後にようやく優秀な熟練労働者に依存すると考えています。これは絶対に取り違えてはいけません。日本のとても低レベルからスタートし、欧米に追いつき追い越し、今日まで国際競争のうえで優勢を保っている産業は、本質的にはすべてこうしたものに依存してます。

日本が国際的に「准一流」の地位にいる業界の例を挙げてみましょう。製薬産業は、日本もまた大国といえますが、日本最大の製薬企業は、特に新薬開発分野では、米国、スイスの製薬会社と比べると明らかな差があり、英国・フランス・ドイツと並んで第二陣営にいるといえます。どうして日本の製薬企業が数十年追い上げても、第一陣営に入ることができないのか。それは結局、製薬、とくに新薬開発は科学・独創・基礎研究の蓄積に大きく依存していて、時間が必要とされているからで、日本はこの方面における蓄積の時間がまだ足りないからです。現在、日本は2000年以後、平均して毎年1人ノーベル賞受賞者がいて、とても優れた成績だと中国人はしばしば言いますが、これは2000年以前の数十年の蓄積の後はじめて手にすることができた成果であり、ノーベル賞の数だけで論じれば、日本は米国に比べると見劣りがし、それは米国がすでに100年余りの蓄積があるからで、日本はたった数十年に過ぎません。そのため、日本の科学・独創・基礎研究の蓄積がある程度に達したとき、日本は製薬・バイオなどの業界で本当の意味で米国に追いついたと言えるでしょう。

40年近い努力を経て、中国の一部の伝統製造産業はすでに欧米や日本に追いつき、ひいては追い越してさえいますが、製薬やバイオなどの分野では、中国はアメリカはもちろんのこと、日本や欧州との差はとても大きく、その理由はここにあるのです。


李海燕氏プロフィール:

1997年、日本の一橋大学に入って学び、修士課程修了後、日本の大型銀行や基金に勤務。2010年に帰国し、大型金融機関で投資やM&A方面の仕事に従事。長期的に日本の明治維新以後の産業発展史や技術革新史を研究している。現在、北京城士科技有限公司に勤務し、産業発展とカーボンニュートラルを一つの視野に入れて関連研究を行っている。

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