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【歴史紹介】化学史① 火の獲得~錬金術の基礎まで【やってみた】

ゴールデンウィークが始まりますね。今年は外出自粛の要請もあるので、家でゆっくり過ごされる方も多いかと思います。

時間に余裕があるし、何か新しい分野のことも知ってみようかな、歴史なんか丁度よさそう。そう思う方もおられるかと思います。

せっかくなので世界史や日本史以外にも触れてみるのはどうでしょうか?

というわけで化学の歴史の紹介をしていきます。今回は錬金術が始まる手前までやります。
火の扱い方を発見して、鉱石から金属をゲット出来るようになり、その後錬金術の基礎となる考えが登場するというのが今回の大まかな内容です。4元素説というものが錬金術の基礎の1つにありまして、これが2000年ほど人類の化学の標準的な考え方になっていきます。
世界史と被る部分もあるので、その部分はざっと説明します。

最初の発見


最初の大きな発見は火の制御方法です。石器時代の狩猟採集をしていた時期です。何万年前かははっきりとは分かっていませんが、20万年以上前の出来事とされています。乾燥させた木の上で乾燥させた木を細かく削り、これをこすることで火をおこしました。
火を獲得してからいくらか時間が経ち、農業をする人々が出現しました。紀元前8000年頃のことです。初期の文明が誕生しました。狩猟採集の移動型の生活から、農業の定住型へ生活様式が変わることで、様々な変化が起こりました。小さな集団がいくつも集まり、都市が形成されたり、家がより耐久性を持つようになったりしました。

金属の利用と新たな発見


そのうち、装飾品として金属を扱うようになりました。この時代は石器時代です。見渡す限り大自然のなかで、金属は独特の光沢を持ち、珍しい色をしていました。鉱石から金属を取り出すということはできなかったので、たまに出てくる単体の金属のみが金属として目に映っていたようです。ひと際異彩を放つこの存在は人の目を強く引き付けたのでしょう。
余談ですが、金属はあちこち探して手に入れていたようで、ギリシア語の探すから派生してメタルと名前がついたようです。
金属を扱うようになってから、真珠などの装飾品にはない展性という性質が発見されました。叩いても割れず、伸びるため、より複雑な形の装飾品が作られるようになります。加工することで、鋭利な刃を作れるだろうと想像した人物がいたかもしれません。ただ、まだまだ希少な素材であるため、道具として使用できるまでにはもう少し時間がかかりました。

鉱石から金属を取り出そう


紀元前4000年頃、現在のエジプトのシナイ半島か現在イランがあるシュメール東方の山岳で青い石から銅を取り出せることが発見されました。どうやって発見されたかはいまだに謎とされています。青い石を含む地面の上で焚き火をしたことがきっかけかもしれません。青い石を木の焚き火で熱することで銅を獲得できるようになりました。
銅を大量に作れるようになってから、銅は普及していきます。大きな都市ではありふれた材料になっていきました。紀元前3200年前とされる銅製のフライパンがエジプトで発見されています。
この後、紀元前3000年までに銅-スズの合金が作られるようになりました。青銅と呼ばれます。どうやって発見したのかはやはり謎とされています。
鉱石から金属を取り出したり金属を合金にしたりする技術を冶金といいます。
紀元前2000年頃までには青銅は武器にも使われるほど普及しました。
このあたりの時代は青銅器時代と呼ばれます。
この後鉄器時代が始まりますが、青銅器時代では鉄は貴重品でした。この時代に取れる鉄は隕石のかけらからとれるのみでした。
鉱石から鉄を取り出す技術は紀元前1500年頃にアナトリア半島で発見されたのではないかといわれています。紀元前1280年には、ヒッタイト王が鉄鉱山を持つ地方の太守へあてた手紙に、鉄の製法がはっきりと記されていました。
せっかくなので鉄の精錬で起こる化学反応をご紹介します。
鉄鉱石は化学式で表すとFe2O3です。これが一酸化炭素と反応することで酸素を奪われ、Fe3O4、FeO、Feと順番に変わっていきます。この反応を起こすのに必要とされている温度が1500度ほどです。この時代に扱える火の温度はおよそ800度ほどでした。そのため空気を送り、燃焼をより激しくすることで、頑張って温度を上げていました。
ちなみに純粋な鉄は錬鉄と呼ばれ、そこまで硬くはないです。ただ、この方法で作られた鉄の表面は木炭から炭素を奪って鉄-炭素の合金になります。これは青銅よりも硬く、切れ味は長持ちしました。
このあたりを鉄器時代と呼びます。
この後ギリシアで化学が発達していきます。

最初の化学理論


紀元前600年までにギリシア人は宇宙の性質や構成物について興味を持つようになりました。これは現在では化学理論と呼ばれるものです。ギリシア人は化学理論を最初に取り扱った人々です。タレスがこの理論を取り扱った最初のヒトとされています。

タレスは、
私たちが目にしている物はすべて基本となる物質のとある一面を見ているのみである。そのため、目の前の物質を他の物質に変えられるのではないか。
と考えました。
こうすることで神の御業だと受け入れざるを得なかった、身の周りで起こる不可思議な出来事などの未知のものを考えられるようになり、これにより宇宙について理解できるようになると思ったのかもしれません。
すべての元になる物質、元素と呼ばれるものが何か分かれば宇宙のこともわかるだろうということです。
そして元素は水だろうと考えました。水は私たちの生活に欠かせないものであり、水蒸気などの様々なものに変化できることから水を元素と考えたようです。
その後、元素は空気や火、土ではないかと色々考えられました。ただ、どれも一つに定める決定的な要素はありません。元素は土だと主張したエンペドクレスは、一つの妥協案を出します。元素は1つである必要はあるのか。むしろこの4つであっても問題はないだろうということです。これは4元素説と呼ばれています。この4元素説はアリストテレスによって支持されました。アリストテレスは、元素は目に見えたり、触れたりするものではないとしました。実際の水や空気、火、土は元素に最も近い存在だとしています。元素とは、二対の相反する性質、温と冷、乾と湿の組み合わせだとしました。組み合わせは全部で6通りですが、一つの性質は反対の性質とくっつくことはできないため、結果として元素は4つになるとしました。この後2000年ほどは4元素説が化学を支配するようになります。
エンペドクレスとほぼ同じ時代にレウキッポスという人物が、物質は無限に分割できるかという問題に取り組んでいました。目に見えない大きさでは物質は分割できるかという疑問を持った最初のヒトのようです。
最終的にはこれ以上分割できないものになると主張をしました。これを弟子のデモクリトスがアトモスと命名しました。原子を指すアトムの語源です。
デモクリトスは、原子は形や大きさが異なり、この違いが各元素を異なった性質にしている。物質は異なる元素の原子の混合物であり、この割合を変えることで他の物質に変えられる。
と主張しました。原子論と呼ばれます。
この主張はアリストテレスには受け入れられなかったため、原子論は以後2000年ほど歴史の影に隠れました。紆余曲折を経て、ルクレティウスという詩人が原子論の内容を詩にしたことで後世に原子論はしっかりと伝わりました。

終わりに


化学的にはこれ以降第一次十字軍が出征するまでは特に発展することなく時が流れていきます。次回は4元素説をはじめとしたギリシアの理論とエジプトの化学が出会い、錬金術が生まれるところからやっていきます。

最後までお読み頂きありがとうございます。 次回を楽しみにお待ちください!