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脳の可塑性について

脳の可塑性、この言葉は多くの人に希望を与えたことだろう。人の脳というのは状況に対して最適化されるようプログラミングされている、まるで機械学習のようにだ。極端な例を挙げると脳の半分を切除した人がもう半分の脳でその機能を補った話がある。この様に脳というのは我々の想像以上に柔軟性に富んだものである訳だ。

先週の木曜日のこと、Twitterのフォロワーのキャスをベッドで寝そべりながら聞いていた時、ふとこれまでに経験したことないくらいに鮮明な立体的なイメージが左脳後頭部当たりでイメージ出来ていることに気が付いた。

普段と違った感覚からくる違和感に気付いた瞬間私は無意識にそれが視空間認識に関する能力の覚醒であることを直観した。その直観の源泉にはアインシュタインの左脳後頭部のグリア細胞に関する知識があるのだろう。

その瞬間から僕は外を歩くことにした、空間認識能力が実際に芽生えたかどうかを判断する上で人混みというのは最高の判断材料であると思ったからだ。

結果としては僕の読みは当たっていた。実際に人混みの中であってもスムーズに歩けたし普段ならぶつかりそうになっているはずの場面でもスルっと障害物や通行人を避けて通れるようになっていたからだ。

なぜ唐突にこの能力が開花したのだろうか。一般的に空間認識能力というのは幼少期の教育がすべてで大人になってから伸ばすのは難しいと言われている。

僕の推測ではあるが、人が変わる瞬間というのは普段の訓練、外部からの強制力の二通りがあると考える。どんなに頭がいい人だってどんなに絵が上手い人だって欠かさず練習を行っていたように、訓練は能力を伸ばす上で大切なことだ、所謂努力である。一方で、訓練というのは生来的に備わっている何かを伸ばす営みに過ぎない。後天的に何かしらの能力を覚醒させるには何かしらの外発的要因が必要となるのだと考える。

僕はこれまで内発的な要因に従って図形を勉強し続けていた。具体的には有機化学の立体化学、無機化学の群論(結晶の対称性)、数学の図形の性質とベクトル、力学全般等々だ。しかし、それだけでは一向に能力は伸びず、実際公務員試験の本番(地方上級ではない方)でやらかしてしまった。原因は明確で、現象に対する鮮明なイメージが不足していたが故に細かい知識が抜け落ち、出題者の罠にまんまとかかってしまったのだ。

そのとき、自分の中である一種の危機感が芽生えた。このままでは、いかなる試験に対しても不利になる、自動車の運転はどうする、仕事で資料作ったり成分分析するときに困るのではなど様々な不安が脳内を過った。この不安や焦りが生理的な反応に繋がり、脳内のシナプスを刺激して視空間認識を司る後頭葉が活性化したのではないだろうか。

空間認識能力に目覚めてからの数学はこれまでとは全く違ったものであった。数式とグラフが瞬時に結びつき、これまで脳内で点在していた定理や公式が一気に繋がり、脳内でネットワークを構築し、結晶構造や有機物の分子構造をイメージ出来るようになった。有機化学という学問は立体的なイメージ抜きには成り立たないものなんだと瞬時に理解したし、その状態で本質など理解できるはずがなかったのだと漸く気付いたのだ。

今ではダイオキシン類の化学構造も脳内でイメージ出来るし文字から図形をイメージする処理もこれまでに比べれば比較的スムーズに行えている。端的に言うと見える世界がより豊かになったということだ。

その一方で一度により複雑な事象をイメージ出来ることが可能になっただけ動作が少しのろくなってしまったのを感じてしまう。イメージしようとするとどうしても処理する能力が犠牲になってしまうのだ。知覚統合と処理速度には負の相関があるとのことだが、正にその通りである。非言語的に深くイメージしようとするとどうしても処理する速度は落ちてしまうのだ。一方である動作に対する必然的帰結(例えば水を強く出したら服が濡れてしまうなど)を思いえがくことが出来るようになり、これまでに比べると軽率な行動が減った。レジで料金を支払う時の手順もグッとスムーズになった。

これまでの自分が見ていた世界の狭さを反省しつつ、これからは豊かな世界を楽しんでいこうと思う。




余談だけど、二次元の美少女イラストを見ているときに想像力を働かせるととても楽しい。

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