【藤井風】もう誰も傷つかなくていい〜荒れた風界隈に思うこと〜
最近、風界隈が荒れまくってて悲しい。
これを見て見ぬふりもできるし、「みんな愛を持って接しようね」と綺麗な言葉で片付けることもできる。
それでも、私は知りたかった。
なんでこんなことになってしまったのか。それがわからなければ、今後どんな言葉を発しても無意味な気がしてしまったからだ。
色々調べてわかった流れを見ると、暴風が吹きまくってた。
悲しくなるほど、悪い意味で。
しかも、単なる海外ファンへの「いいね問題」ではなく、昔から藤井風を応援してきた日本ファン(風民)の苦悩と悲しみが詰まっていた。
順を追って説明してみる。
1) 海外ファン増加による変化
事の始まりは、最近になって藤井風の海外ファンが増え、自分たちを「kazetarian (カゼタリアン)」というファンネームで呼ぶようになったことだ。そして、海外ファンたちが藤井風の画像や動画を自由に使い始めたことに対して、これまで藤井風のSNS上での画像や動画の使用ルールを守ってきた日本ファン(風民)がザワザワし始める。
2) カゼタリアンに対するモヤモヤ
藤井風が「where’s my Kazetarians at ?? 💚」「i love you kazetarians for real」と海外ファン「kazetarians」について言及。そもそも「kazetarians」というワードを知らない日本ファンにとっては、「kazetarian」が何のことか分からず混乱した。さらに、「i love you kazetarians」も、海外ファンだけに向けた言葉なの?とモヤモヤすることに。追い打ちをかけるように、海外ファンが藤井風に反応してもらったことに対して喜んだり、リプ欄で「WE WON」などと盛り上がっていることにも心を痛める。
3) カゼタリアンへのいいね騒動
藤井風が海外ファンのツイートに「いいね」を押す。日本ファンのツイートにはほとんど「いいね」しないのに、海外ファンのツイートにだけ「いいね」をしたことに対して、悲しむ声が続出。これによって、日本ファンと海外ファンの軋轢がさらに強まる。
4) SNS上の使用ルール撤廃と公式発表がもたらした波紋
「SNS上の藤井風の画像・動画の使用ルールを巡って、藤井風ファン同士で争うことをやめてほしい」との旨が、藤井風アプリ内でずっずさんにより伝えられる。それによって、藤井風本人が酷く傷ついていると。
これを受けて、SNS上の使用ルールが撤廃され、自由化された。そして、「みんな藤井風を悲しませたくない」の一心で、「ファン同士も仲良くしようね」で丸く収まるはずだった。
ところが、これが思わぬ波紋を生むことになる。
そもそもの大前提として、藤井風の日本ファンは、これまでSNS上における藤井風の画像や動画の使用ルールをきっちり守ってきたという経緯がある。そういう中で、「インスタのストーリーはシェアNG」みたいな独自ルールが生まれたり、「愛と思いやりを持って、常識の範囲内で楽しもうね」という暗黙の了解が成り立っていた。
それが、今回の発表によって、これまでルールをきちんと守ってきた日本ファンが、自分たちが蔑ろにされたような気持ちになってしまったのだ。
タイミングも悪かった。
海外ファンが目に見えて増えてきて、藤井風が海外ファンに積極的に「いいね」をしていた流れもあり、今回の突然のルール撤廃や、「ファン同士で争わないで通達」は、海外ファンを贔屓しているようにも見えてしまった。
この一連の流れによって、一部ファンがTwitterから離れる・去る事態が発生した。
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経緯はここまで。
これだけ見ても、単なる日本ファン(風民)と海外ファン(カゼタリアン)の対立ではなく、これまで培った風民の文化やルール、個々人の想いなどの事情が複雑に絡み合っていることがわかる。
要点は、大きく分けて二つ。
1) 自由化によって生まれた軋轢と、ファンが感じた疎外感。
まず、SNS上における藤井風の画像・動画の使用ルール。
公式から「自由」と通達されたけど、これ自体が問題だったわけじゃない。問題なのは、これまで必死でルールを守ってきた一部ファンへの配慮が足りなかったことだと思っている。
前述通り、日本ファンは明確なルールがない中でも、みんなが試行錯誤しながら、時に指摘し合いながら、必死でルールを守ってきた。
それについては一切触れられず、「SNS上の藤井風の画像や動画の使用ルールについてファン同士で争わないで」とだけ公式から言われたら、日本ファンがモヤモヤしてしまう気持ちもわかる。
そして、「藤井風が傷ついている」なんて言われたら、ファンとしてはもう何もできない。この言葉はファンが一番聞きたくない言葉だし、これを言われてしまったら、行き場のない想いを抱えながら傷つくしかない。
ファン同士で争うのはもちろん良くない。それはわかってる。
だけど、これまでルールをきちんと守ってきたファンの気持ちはどうなる?今までやってきたことは無駄だったの?
これまでの頑張りをすべて否定するの?
海外ファンが増えたタイミングでルール撤廃するの?
そう思ってしまう気持ちもわかる。
だからこそ辛いし、苦しい。
「藤井風を応援したい」
その一心でこれまで必死でやってきたはずなのに、それが蔑ろにされてしまったと感じても無理はない。
画像・動画使用のルール以外にも、例えばTwitterで藤井風にメンション(@)をつけて発信しないとか、日本ファンならではの独自ルールがあった。メンションをつけると通知が飛んでしまって、藤井風の迷惑になるからやめようね、というものだ。それが海外ファンは気にせずメンションをしまくっているので、それに対しても一部ファンがモヤモヤしてしまっているという現状もある。
でも、ちょっと考えてみてほしい。
藤井風をデビュー当時から支えてきたのは日本ファンだ。それは紛れもない事実。どんな時でも藤井風を応援して、藤井風を支えて、国内で藤井風を盛り上げてきたのはファンの力があってこそだ。
だから、もっと自分を誇りに思ってもいいんじゃない?
私たち、今まで藤井風を盛り上げてきたよねって。
ファン同士で傷つけ合ったこともあったかもしれない。
だけど、その度に学んで、愛と優しさで助け合ってきた。
みんなで応援してきたよねって。
それが、藤井風に全く伝わってないと思う?
みんなの愛が、藤井風に全く届いてないと思う?
藤井風って、そんな冷たい人だったっけ?
違うよね。それはわかってるはず。
それに、ルール撤廃は、むしろこれまでファンが必死でルールを守ってきたからこそ生まれたものだと思っている。自由化なんて信頼してないと許可できないよ。それってチーム風から信頼されてるってことでしょ。
だから、蔑ろにされたなんてどうか思わないで。
みんなの頑張りは、無駄なんかじゃないよ。
これまでやってきたことは、次は運営側に託すことになったのだ。
違反していることに対して、個人間で指摘し合わなくてもいい。
だからファンはこれまでと変わらずに常識と愛と節度を持って、これからも応援していけばいい。
2 ) 海外ファン贔屓を感じて、傷ついた日本ファン。
みんな、藤井風から「いいね」が欲しいのだ。
だから、誰かが「いいね」をもらっていると心底「羨ましい」と思う。特に「いいね」はわかりやすい表現だから、藤井風が海外ファンにだけ積極的に「いいね」をしていたら、嫉妬してしまう気持ちはすごくわかる。
それに加えて、藤井風が「i love you kazetarians」なんて言ってたら、「え!カゼタリアンだけ?風民のことは?」「海外ファンにだけずるい」って思うのも無理はない。
いくら藤井風が平等に愛を与える人とはいえ、特定の海外ファンへの言及や「いいね」を見せられて、心穏やかにはいられないよね。
だってみんな、そのぐらい藤井風を好きだから。
「海外ファン、いいなあ」って思うし、「日本ファンにも気軽に"いいね"くれたらいいのに」って思うのは普通の反応。
本人が想像している以上に、ファンへの対応ひとつでみんな一喜一憂してしまう。
愛って苦しいよね。
でも、羨ましい気持ちはもちろんあると思うけど、「いいね」だけじゃ愛情は計れない。今回の流れでは、結果として藤井風が海外ファンを贔屓しているように見えてしまったかもしれない。それでも、日本ファンを無視して、「海外ファンだけ大好き」なんて言うような人じゃないよね。
それはファンが一番よく知ってるはず。
「いいね」とかリプとか、わかりやすい形で表現されないかもしれないけど、藤井風は国内も海外も関係なく、愛を与えてくれる人だと信じてる。
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色々と振り返ってみたけど、共通していることは
みんな傷ついているってこと。
藤井風もファンも、みんな傷ついている。
どうすればいいのか色々と考えてみた。
辿り着いた結論は、藤井風ファンが今欲しいのって、厳しいルールでも藤井風のいいね制限でもなく、こんなシンプルなメッセージだと思う。
SNS上の使用ルール、今まで守ってくれてありがとう。
日本ファンも、海外ファンもどちらも大好きです。
どっちが偉いとか、どっちの方が好きだとかありません。
これからも愛を胸に音楽を届けていきます。
いつも応援ありがとう。愛してます。
藤井風もこれと同じ気持ちだと信じたい。
そして、私は大好きな藤井風ファンに対して、敬意と感謝の気持ちを込めて、声を大にしてこれを伝えたい。
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私はここ最近の騒動を受けて、誰も傷つけずに生きていくことなんて無理なんじゃないかとさえ思えてきてしまった。
いや、初めからわかっていた。
人間は生きている以上、誰かを傷つけている。
意図せず傷つける人もいれば、圧倒的な悪意を持って接してくる人もこの世には存在することも知ってる。
あちら立てればこちらが立たぬ。
誰かに優しくすれば、こぼれた誰かが悲しむように、同時にみんなを笑顔にはできない。
今回の騒動でも、それが絶望的なほどに表れている。
極論を言うと、決して傷つけないは、理想論だ。
でも、だからこそ「誰かに優しくしよう」と思うことに意味があり、それこそが「思いやり」だと思っている。
私は正直、もう疲れてしまった。
嫉妬するのも、争うのも、傷つくのも、ぜんぶ疲れた。
そして、もうこれ以上、藤井風やファンが傷つく姿を見たくない。みんな「藤井風が大好き」ってだけなのに、なんでこんなに傷つかなきゃいけないのか。
もう、誰も傷つかなくていい。
藤井風ファンって、温かくて優しくてユーモアがあって、本当に心地よいコミュニティーだったのに。こんな殺伐とした雰囲気は誰も幸せにならない。
誰も傷つけずに生きることはできない。
だからこそ、傷つかない方法を探し続ける。
それが優しさであり、人を思いやるということだ。
そして私は、それを諦めたくない。
大好きな藤井風が、それを教えてくれたから。
HELP EVER HURT NEVER (常に助け、決して傷つけない)
今まさに、これが一人ひとりに問われている気がする。
私が今書いているこの内容だって、誰かを傷つけているかもしれない。それでも、私は書かずにはいられなかった。
これが、私なりの愛だから。
誰がこれを見てくれているかはわからない。
それでも、これが誰かの心に少しでも寄り添っていることを願って、ここに書き記そうと思う。
いつかまた笑い合える日を信じて。