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全ては何かに認められたいが故(下)


前回は、そもそも投稿を始めようと思ったきっかけ
を振り返った。
今思えば、ありのままの自分をほめてくれた祖母の
存在と、ラジオが重なった部分があったと
感じている。
「私物化するんじゃない!」と言われれば
それまでだが、そこは何卒大目に見てほしい。

ちなみに、前回の記事というのはこちら。

で、今回は、深夜の投稿を始めたきっかけを
振り返ってみようと思う。


【転勤とラジコプレミアム】


深夜の投稿を始めることになったきっかけを話す
前に、エピソード系のメッセージや、地元のとある
ラジオではかなり話題にさせてもらったが、僕は
仕事の都合で東京に住んでいた時期がある。

当時、東京への転勤が決まり、一番困ったのは
やはりラジオだった。

地元のラジオが聴けなくなるのは困る。
そこで、ふと思い出したのは、ラジコプレミアム
の存在だった。

細かい説明は省くが、ラジコには、以下の2つの
会員がある

・現在いる県内のラジオが聴ける通常(無料)会員
・全国のラジオが聴けるプレミアム(有料)会員

全国にも面白いラジオがあることは知っていた。
だが「わざわざお金をかけてまで…」と思っていた
ため、通常会員で十分だった。

しかし、東京へ異動ともなれば聴けなくなる。
それは非常に困る。

背に腹は変えられぬ。
そう思い、ラジコプレミアムに加入した。

今思えば、これが地元に戻って来てからも深夜の
投稿を続ける要因として大変重要なポイントに
なっていた。

【JUNKに出会ったあの日】


親に荷物の引渡をお願いして、新幹線で東京へ。
会社が秋葉原にあったため、駅前のホテルで
何泊かした後、荷物を引き取ることになった。

いいホテルだったのだが、どうにも眠れなかった。

新生活への期待。
全て自分ひとりでやらなければならない不安。
色んなものが入り混じって、まぶたが自分の意志
に反して閉じない。

月曜、時刻は深夜1時ちょっと過ぎ。
眠れずにいた僕は、ふとラジコをつけた。

そういえば、オールナイトはニッポン放送だっけ。
スマホをタップする。
が、お馴染みのビタースウィートサンバは聞こえず。
代わりに格好いいBGMと共に、聞き覚えのある声
が聞こえてきた。

この人・・・伊集院さんだ。
そう、伊集院光、その人である。

テレビで雑学王と呼ばれ、物知りおじさんという
イメージの伊集院さん。
その伊集院さんが、時折下ネタを挟みながら
軽快なトークをぶちかます。

「なんだよこれ、面白過ぎるぞ」
つい、そんな言葉が口をついて漏れた。

衝撃だった。
こんな面白い人だったとは。
眠気なんかどうでもよくなった。
この人の話をずっと聞いていたい。
メールを読まれてみたい。

この日、深夜の投稿に挑戦するはじめの一歩を
踏み出した。

【JUNKについて】


ご存知の方も多いと思うので、簡単に説明する。

JUNKとは、TBSラジオの深夜1時から3時まで
放送されている人気番組。
アーティスト、芸人、俳優、アイドルなど様々な
ジャンルのパーソナリティを抱えるニッポン放送
のオールナイトニッポンとは一線を画し、平日の
月曜から金曜(過去は土曜日も)、お笑い芸人が
パーソナリティを務めるというもの。

月曜日は伊集院光、火曜日は爆笑問題、水曜日は
山里亮太、木曜日はおぎやばぎ、金曜日はバナナマン
という平均年齢50歳を軽々と超えるおっさん達で
構成されている。

特に、月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力は
1995年10月にJUNKの前身であるUP'sという番組
の月曜枠としてスタート。
初回放送から28年以上も続く名物番組だ。
(ちなみに同級生である)

この番組のネタ投稿コーナーでは、作家さんによる
1stチェックの後、伊集院さんがネタを一つ一つ
チェックするという特殊な体制を取っている。
そのため、毎週何千通ものメールが来るらしい。
それを、仕事や旅行の合間に伊集院さんが目を
通して、ピックアップをしているとのこと。

そんな歴史もあり、全国に猛者もありの馬鹿力。
無謀にも片足を突っ込んでみることにした。

【苦節3ヶ月、そして】


試しで何個か送るも、読まれず。
数を増やしてみるも、これもまた読まれず。

ノーヒットが続く。
猛者が潜む深夜、一筋縄ではいかないことは
分かっていた。
だが、いつになったらヒットが打てるように
なるのだろう、そういう不安は確かにあった。

そして投稿を始めて3ヶ月、その時は来た。

こんな時に限ってリアルタイムで聴かなかったのが
非常に悔やまれるが、とても嬉しかった。

確か、ライザップのCMに挑戦したママタルトの
大鶴肥満が痩せるかと思いきや体重が倍増し
まーごめをしているのを見て、世の中そんなに
上手くいくはずがないよな、と納得する…みたいな
ネタだった気がする。

あのドキドキから2年。
別の曜日のJUNKでも度々拾ってもらい、誠に
勝手ながら最前線(のつもり)で投稿を楽しんでいる。

特に月曜日の馬鹿力については、僕の中で特別な
番組として、最も熱を入れてネタを作っている。
僕にとって月曜日は、楽しさ半分、緊張半分の
曜日に変わった。

一般的に月曜日は憂うつになりがちと言われるが
そういう点では自分の意識が変わったのは深夜投稿
が大きく起因していると思う。

【最後に】


そして、タイトルにもある「何か」。
それは、今も変わっていない。
「何か」に認められたいが故に走り続ける。
誰に何を言われようと、走り出した足は止まらない。

「もういいや」と心から発するその日までは
ラジオを軸に回り続ける生活は終わらない。

理解されないことも多い。
孤独を感じる時もある。
でも、それ以上楽しいと思っている。
だからこそ、続ける。
趣味に走る人間とは、かくあるべきなのだ。

と、ここまで書き連ねてきて思った。
この話、結局どう締めるのかってこと。

結局、こんなものは人それぞれだ!!
以上!!!!
寝る!!!


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