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ゴジラに会いに歴博へ @国立歴史民俗博物館 ~東京・千葉アートと取材の親子旅⑥

上息子(ウエムス)との親子研究旅行、3日目の午後は、千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館の送迎バスに乗って、国立歴史民俗博物館へ。note では広告なしで読んでいただけます。

同志社大学の「負の遺産」と政治と題した科目で、よく輪読する『ミュージアムと負の記憶: 戦争・公害・疾病・災害:人類の負の記憶をどう展示するか』という本の第1章(安田常雄「歴博「現代展示」と戦争認識」)が、この国立歴史民俗博物館の「現代」展示についてなので、いつか行かなくちゃなあと思いながら、何期か経ってしまっていました。

なにしろ、ここもまた、なかなかアクセスしづらいというか。なんでここなんだろうと思っていたのです。

でも、ちゃんと調べて、そのとおりに動いたら、問題なくスムーズに到着~

国立歴史民俗博物館

お目当ては現代展示の部屋なので、古い時代はサーっと飛ばし見するでえ~~と宣言していたのですが、そこはさすがに国立。

展示物の量も多いし、予想よりも気合の入った演出というか、面白く見れる工夫がされていて、うっかりデジカメでバチバチ撮りながら回ってしまいました。いやあ、もっと古色蒼然としているのかと思ってました。

歴博の常設展示のイントロ部分

矢じりとか石斧とか壺の破片とか興味ないねんなどと口悪く言うこともあるのですが、なんかちょっと笑える展示も多くて、石器時代も楽しめる。


まあ古い時代はわりとレプリカが多いし、ここの大きな方針は「生活史」なので、芸術性の高いものがたくさん並んでいるわけではなく、ほおお~~♡と感動するというのはありません。

また、人々の生活をテーマ別に見ていくという切り口なため、えっ、いつのまに○○時代になったの??と思うようなところもありました。そのため、小さい人や外国からの人にはわかりにくいようにも思います。

でも、為政者の移り変わり中心の大文字的な歴史ではなく、いろんな地方の、いろんな生活をたくさん再現しようとしているところは面白いと思いました。

我が滋賀県も何ヵ所かで登場していました。 (∩´∀`)∩

東海道と中山道の合流地点を示す草津宿の道標


実物大の宿の模型(というのか?) 楽しい~
めちゃリアルな河童!! いや空想上の生物だからリアルというのもおかしいのだが

ものすごくたくさんの部屋と展示物があるので、なかなか現代展示に行き着きません(笑)

写真も膨大に撮ってしまいましたが、キリがないのでバサッと省略して、とくに印象的だったものだけ。

東日本大震災に遭った東北の民家を再現 靴を脱いで上がれます


なんか既視感あるわと思ったら、やっぱり滋賀県の農村


近代部門が一時閉鎖中だったのが残念でしたが、しかし、開いていたら現代展示までたどり着かずに閉館していたかも? (;´∀`)

ようやくたどり着いた現代展示室。

ここは、上記の本で展示の構成や意図を読んで知ったうえで見ましたが、やはり文字で読むのとは、だいぶ違いました。

なにより、この歴博が現代展示をつくるにあたって戦争についてどう展示するかを検討したさいに、地域の資料を活用し、地域との繋がりを意識して千葉の連隊にフォーカスを当てたとあって、それはまあわかるけど国立なんだから一連隊に特化しなくても? とうっすら思っていたのが、現地に来てみて、なるほどそういうことだったのかとストンと腑に落ちました。

バスの窓から、こんもりとした小さな山の上に博物館が建っているのを見て、そして、その小さな山に入っていくところの看板を見て、あああ、「千葉の連隊があった」というのは、イメージしていたよりももっともっとピンポイントでの意味だったのね、とわかったのです。

歴博が建っている場所というのは、もとはお城があった場所で、そこに連隊の兵営地が置かれていたのですね。大阪城に陸軍の施設が建てられたのと同じようなことなのですね。なるほど、そりゃ取り上げなあかんわね、まさに現場やったんやから。

軍隊の施設が置かれていた場所とは思わず、下調べが不十分で、遺構や記念碑を見て回る時間はとれず、残念でした。大抜かりでした。

こういうのが、この場所にあったということなんですね。↓

以下、ごくごく一部ですが、とりわけ印象的だったものをいくつか。

今回の旅で目に飛び込んできた、「伝単」(戦時に対戦国に向けて撒かれたビラ)がここにもありました。

日本軍が中国で撒いた伝単


米軍がフィリピンで撒いた伝単


大政翼賛会と全日本厨芥利用協会のポスター「厨芥を生かせ! 御台所の廃物から生まれる一億円」。そりゃすごい。食品ロスをなくしてエコな生活(皮肉です)

戦後のコーナーも面白い。

地域社会の民主化を啓蒙するポスター 直截的やなあ~


闇市と人々の生活

ちょっと飛ばして、公害列島日本のコーナーには、上記の本にも載っていた、水俣病に関する展示を確認できました。

水俣には未だ行けてません。でも近いうちに必ず行きます。とりあえず、大阪のみんぱく(国立民族学博物館)で企画展示をしているので行く予定です。

そして、高度成長期の団地の実物大模型は、あまりに「知ってる」ものだらけ。「これ、ウチの実家から持って来たんちゃうか、あったでおんなじもん」「私が幼児期に住んでた団地の部屋そのまんまみたいや」などと、ウエムスにキャイキャイ(ささやき声ですが)言いまくってしまいました。

ふきんかけには、「日東紡の新しいふきん」! これ実家で使っていたので、私も結婚以来、ずっと買い足して使っています(笑)

これー! まったく同じ(かそっくり)なやつ、あったーーー! 「状差し」と呼びたいね、このタイプは。

いやいや、私も歴史になった(?)感。

この旅行のあと、家族で三重の歴史博物館に行ったときにも、やはりこのような団地を再現したところがあって、そちらはさらに既視感満載でした。また後日、別途、記録します!

戦後民主主義を象徴する多種多様な雑誌コーナーも印象的でした。最近、雑誌の売り上げが落ちて、休刊廃刊が相次いでいるので、また一段階、変わっていくなあ、なんて思いながら。

そして、現代展示の最後の最後、つまり、この博物館の常設展示の大トリ、ゴジラ! 

この日は、大学は春休みでしたが平日だったので、お客さんもかなり少なく、ゴジラとの記念写真も貸し切りのような状態で撮れました。

このゴジラは、2メートル50センチあるそうです。ゴジラの第一作は、1954年11月に封切りされたのですが、その年の3月1日に起こった、ビキニ環礁での水爆実験で被曝した第五福竜丸の事件に大きく影響を受けています。

その後、ゴジラはかわいらしくなっていきますが、80年代に原点回帰して、怖いゴジラに変わります。歴博に立っているゴジラは、その80年代のゴジラをベースに平成ゴジラのイメージを合わせて作りかえてもらったものだそうです。

上記の本によると、現代展示のなかで原発の問題をどう入れ込んでいくかを考えていくなかで、核があるかぎり日本にやってくるゴジラを据えられることになったのだそうです。

最後に、企画展「歴博 色尽くし」を急いで鑑賞。常設展示は地味で茶色っぽいもんが多かったけど、企画展は色味のあるものがあったな、くらいな感じしか覚えていませんが(すみません)、この螺鈿は、とても綺麗でした!


帰りの新幹線は決めていないとはいうものの、なにしろ長い旅路なので、ほどほどで切り上げねばなりません。

でも、ミュージアムグッズは買わねば。

はにわのぬいぐるみやハニワスキー(歴博ミュージアムショップのコンシェルジュらしい)のはんこをゲット。こういうハンコは提出物に「見ました」印として使うので、いくつあってもいいのです。しかし、ハニワスキーって、スラブ系の人みたい(笑)

はにわぬいぐるみは、みんなが集うダイニングの窓際の棚に直立して、旅の思い出を呼び起こしてくれています。

ときどきヒト型が馬に乗っかっていたりする

こうして、ウエムスとの親子研究旅行東京・千葉編2泊3日も、実り多い濃いものとなりました。

帰りは東京駅で食料を買い込んで、車内でたっぷり食べました。ああ、楽しかった。

得たものは授業で披露していこうと思います。

東京・千葉アートと取材の親子旅シリーズはこちらからまとめて読んでいただけます。


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