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ハイドリヒ暗殺事件関連の場所をめぐる ~チェコ旅行2023夏(17)
チェコ旅行6日目の午後は、1942年に起こったナチ高官ハイドリヒ暗殺犯が立てこもって制圧された教会と、ハイドリヒを襲撃した現場をまわりました。
今は「英雄」として評価されている暗殺実行犯らが立てこもった聖キリルとメトディウス教会は、2019年秋にも訪ねて現場ならではの空気を感じました。そのときの記事はこちら(事件の簡単な説明もあり)
そのときから何か変わったということはありませんが、より鮮明な写真が撮れたので、今回も少しアップしておきます。
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銃撃戦の痕の残る外壁。事件のあった年を表す数字がモザイク敷石で表されています。
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事件を記念する部屋は専用の入口から小さな空間なので、団体さんとかち合うと満杯に。でもわりとみなさんすぐに退出されます。
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関連の品々も展示されています。
![](https://assets.st-note.com/img/1708257232635-zvexYPKYHX.png)
展示室の奥が、立てこもった現場です。厳粛な空気が流れています。
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教会の地下に立てこもった暗殺実行犯は、開口部からホースを突っ込まれて、水攻めにあいます。早乙女勝元さんの著書に、壁を掘って脱出を図った痕が残っているという聞き取りがありましたが(『プラハの子ども像』新日本出版社 2018年)、これではないかと思います。説明版はあったのだったか、なかったのだか…
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暗殺犯らに協力した人々も次々突きとめられて処刑されたり、収容所送りになったりました。教会のすぐそばの建物に、そうした人たちを記念するプレートもあります。
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字が読みづらくなっていましたが、説明もありました↓
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せっかくなので、襲撃の現場も行くことにしました。
トラムでしばらく北上して、Vychovatelna 停留所まで行くと、トラムの通る道に沿った壁に、襲撃事件の絵が!
なんか、昔のスパイ映画のオープニングみたい…
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いよいよ決行 ↓
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実際の襲撃現場は、のちに道路の付け替えがあって、当時のままではないそうです。ほぼこのあたりというところに、記念碑(礎石)と説明パネルがあります。
![](https://assets.st-note.com/img/1708257589529-GpYXMF3wcJ.png?width=800)
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この記念碑の礎石は、2008年5月27日に除幕されました。暗殺計画の記念碑をここに建てるということを示すもので、コンペティションで選ばれたデザインの記念碑が、のちに、このそばに建てられました。それがこちら↓です。
![](https://assets.st-note.com/img/1708257631257-Ud0EhvFAoS.png)
![](https://assets.st-note.com/img/1708257648095-iuHxqMcTzF.png)
碑の下には、説明もあります。これは円形になっていて、ぐるっと回って読みます。
![](https://assets.st-note.com/img/1708257663781-P5erRQqXv8.png?width=800)
暗殺実行犯らは、イギリス亡命政権の命令でこの計画を決行したため、戦後に実権を握った共産党政権の時代には評価されなかったようです。
1989年の民主化後、再評価されだしますが、聖キリルとメトディウス教会の展示室も、しばらくは個人が維持管理されていたようですし(上述の早乙女氏の著書による)、上の記念碑なども要望はずっとあったものの、設置には10年ほどかかっています。
記念碑礎石に関するプラハ8区のプレスリリース
記念するものの建立や経緯を知ると、現場保存に努めてきた人たちの思いや活動もなるほどと理解できます。
が、ハイドリヒ暗殺事件、何度も映画化されるなどしているせいか、関連の場所はなんだかアニメの「聖地巡礼」のようになっているようにも見え、襲撃の日には、このあたりで再現劇もやっているという報道を読むと、うーん、エンタメにしすぎ、観光資源化しすぎじゃないかとも思えてきます。
暗殺事件のドラマティックな面だけでなく、この事件の報復で亡くなったたくさんの人びとのことにも思いを馳せたいものだなあと思います。
というわけで、暗殺事件の報復で亡くなった人たちを追悼する場所の訪問記もご覧ください。
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