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東京大空襲・戦災資料センターを見学する そして千葉へ ~東京・千葉アートと取材の親子旅④

上の息子(ウエムス)との親子研究旅行2日目の午後は、江東区の東京大空襲・戦災資料センターに向かいました。

新宿の都庁の向かいにある平和祈念展示資料館から住吉駅まで電車で移動し、雨の日だったので駅のロッカーにコロコロを入れて、傘を差しながら徒歩20分ほど。

東京大空襲・戦災資料センター

地図だけ見ているときは、なぜこんな都心じゃない、行きにくいところなのだろうと思っていましたが、このあたりも空襲で一面焼け野原になったところなのですね。

土地勘のない者には東京の広がり具合、離れ具合、発展の具合がピンとこなかったので、当時の様子と被害の様子を比較した展示を見て、被害の範囲の広さと酷さを実感しました。自分で行き方を調べて、移動して、現地に立って体感的にわかってくることというのは必ずあって、それは外国だけではなく日本国内もそうだなあと、今回も思いました。


東京大空襲・戦災資料センターは、1970年代から活動してきた「東京空襲を記録する会」が収集した資料や証言を保存し、語り継ぐ民間の施設です。

東京都が公立の資料館をつくる計画を立てたものの、1999年に凍結されたため、多くの人々の寄付を基に、このセンターがつくられました。

発起人のおひとり、早乙女勝元さんの著作は昔から読んでいて、最近も何冊か参考にしています。

その早乙女さんによる東京大空襲の概要を説明した映像から見学はスタートします。(横を向いている椅子はモニターの方を向いています↓)

私たちが行ったときには、小学生男児らが疎開していた先でお世話になった方に送ったお便りの展示をしていました。

これがたいへん勇ましいというか…あまりにも軍国少年していて、ウエムスはここまでか、それも小学6年生で…と、ショックを受けていたようです。ずいぶん時間をかけて読んでいました。

傷を負ったピアノ

2階にあがると、まずは、防空壕を再現した模型や、防空壕のつくりかたのポスターがありました。


手作り感があって、それがかえってリアルな窮屈さや頼りなさを醸し出す防空壕模型

こちらは防災七つ道具。これで焼夷弾の火を消せるとは思えないですね…

だって、こんなんですもん…

焼夷弾の模型
「案外、消しやすい」 いやいやいやいや…そんなわけないでしょう…


防毒マスク

今回の旅で、とりわけ目に飛び込んできたのは、伝単、降伏を促したり、戦意を喪失させたりするためのチラシです。(平和祈念展示資料館の記事にもあり)


ほかにも、たくさんの現物や文字の資料、写真がありました。ご遺体写真の接写は控えるよう注意書きがありますが、それ以外は基本、撮影可です。

小さな資料館なので、そんなに時間はかからないかなと予想していましたが、こうした展示をそこまで何度も見たことがないウエムスは、かなりじっくり一点一点見ていたので、1時間ほどは費やしました。


外に出ると、雨がさらに激しくなっていました。また20分ほど歩いて駅へ。荷物をとって千葉へ向かいました。

千葉駅に着くと土砂降り。ホテルはちょっと良い目のところが案外お安くとれたのですが、また歩かなくてはいけない。

この雨の中、ホテルに入ったら、きっと二度と外出したくなくなるだろうし、もう晩ごはんとか買ってしまわへん?とウエムス。

そこで、じゃあ翌日も早くから出発するし、千葉土産と晩ごはん、朝ごはんを見繕おうかとコロコロを引きながら探したのですが、お土産街らしきものが見当たりません。どうやら改札内にあった模様。でも、改札出ちゃったし… 明日はたぶん開店前には電車に乗っているし…

もうすぐ閉店する観光案内所に飛び込んで、千葉土産が買えるところを教えてもらって、ようやく何点かピーナッツのお菓子やチーバくんグッズなどを買い、食料を買って、ホテルへ向かいました。

苦労して買ったお弁当や千葉名物ピーナッツお菓子をおいしく食して、次の日に備えて、ゆっくりと休みました。

それにしても、ひどい降りで、片方のコロコロ、愛称「コロコロバッくん」は内部までビッチョビチョに😢 中日は雨になることはわかっていたので、防水はしておいたのですが、全然ダメでした。ただ、大きめのポリ袋に荷物を入れておいたので、荷物は無事でした。

軽くて使いやすくて、これまでいろんなところに一緒に行ってきたコロコロバッくんですが、雨の可能性がある旅にはポリカーボネートなどの水を通さない素材じゃないとダメだなあ。親子旅もまだまだありそうだから、買い足そうかなと心に決めました。


3日目につづく。

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