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この春のことは

今日は私的な日記。

ここ数日の間に高山の春が一気にピークを迎えている。
東風はまだ冷たくて、まだ首もとを晒すことはできない。が、日中の太陽はドンドンと高くなってきている。
この春の桜は花芽の数も多くて、花見客も全く居ない中、粛々と絢爛に咲き誇っていたように思う。

春の飛騨高山の風物詩である高山祭りも山車(高山ではやたいと呼ばれます)が引き揃える事なく、御神事のみ執り行われたと言う。それはそれで、粛々と荘厳なものだったのだろうと推測する。

暖冬だったこの冬。その反動からか、長く冷たい日が続き、早く咲くだろうと期待した桜も例年の開花時期で、遠く山を見渡せば残雪も思っていたよりずっと残っている。

この世間の騒ぎの中で、粛々と古来より伝わるものは残されている。自然の営みは如何なる環境においてもバランスしているものだと感心してしまう。

コロナ以前とコロナ後、旧時代と新時代と上手く言う友達が居たのだけれど、本当にそう思う。

新時代の創世記の春を命をもって、この眼で確かめながら、綴られて行く時代を体感してる。

とにかく、私は生き抜かねばならぬ。

40と言う歳の始まり。
この命が尽きるとき、この春の風景と心の変化、時代の幕開けであった時を思い出すのかな。

本当にこの春の桜は美しかった。
感涙してしまうほどに。

そろそろ南風が夏を運んでくる。
暑い暑いあの夏を心待ちにしてる。

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