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でも、いきている。

基本的に私は私のことが好きです。
いろんなことに興味関心が向いて、それに取り掛かるまでのスタートダッシュが早くて、基本的には人当たりが良く、筋を通す強さのあるところが好きです。

これを大前提に置いた上で話をします。

死が怖くなる瞬間があります。
寝る前、起きた瞬間、不穏なニュースを見た時、バスや新幹線、飛行機に乗る時。

なんかやだな、怖いな
を超えて「死"に"た"く"な"い"!!!!!!!!」
とおいおい泣きます。異常です。

人はきっとこういった感情を見てみぬふりをして、なんとなく、やんわりとその場をやり過ごして行くのでしょうが、26歳、最近猛烈に怖いのです。

【死ぬのが怖く無くなるメンタル】
というYouTubeでは「寝ることの延長線」だと言っていました。
だとしたら余計に怖いです。

死にたいとは対極にある死にたくない
生きたい!!
と思うこととはまた違う気もしていますが
なぜか死にたくはないのです。

何書いてるのかわからなくなってきました。

今日も寝て、明日も起きるだろうし明後日も起きるだろうとアラームをかけて予定を組むのですが、なぜ明日も起きるとわかってるのでしょうか

生きたいからなのでしょうか。

なぜかわからないけどとりあえず毎日生きています。
死にたくないから生きています。
やりたいこともまだありますし、仕事も大成させたいですし、美味しいもの食べたいし、結婚したいですし、これからできるであろうラブリー彼氏とイチャイチャしたいです。

これが生きたいなのか、これがあるから死にたくないなのか。

よくわからないのですが、でもそれでも生きています。

なんでかよくわからないけど、なんのために生きているのかわからないけど、生きてるから生きます。

明日も美味しくご飯を食べるし眠気と闘いながら仕事をしようと思います。

優しい祖父でした。
一度も怒ったところを見たことのない、温和で何考えてるかいまいちわからなくて、いいちことマロちゃんが大好きな祖父でした。

いつもなんでか私の車の心配をしていて、私が撮った写真を見せると「おぉ」とだけ言って、肉料理が出る時だけ「うまいな」と言う祖父でした。

初めて見た人の骨は、こんなにアニメみたいに残るんだ、と思うばかりの立派な骨でした。

骨壷に詰める時だけ私はなぜか猛烈にお腹が痛くて、火葬場から出た瞬間に痛みが引っ込みました。
祖父と同じ左の脇腹に痣があるので、きっと何かを言いたかったんだと思います。
怒られることはしてないはずです。たぶん。

じー、何か言いたいなら痛覚は勘弁してよ
なんかわかんないけどとりあえず受け取ったよ。

もっと会いに行けばよかったなー、とか
もっと話せばよかったなー、とか

そんなことはもう置いておいて
私はそれでもどうしようもなく生きているので、

明日もご飯を食べようかなと思います。

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