じいちゃん
じいちゃーーーん!!24年間ありがとう
今日はじいちゃんとのお別れの日
雲ひとつない晴天で、お月様もまんまるでした
いつかこの日が来ると、もう何年も前から分かっていましたが、ずっとその現実を受け入れられないまま、とうとうその日を迎えてしまいました
じいちゃんがいつも私のことを応援してくれていたように、私もじいちゃんの闘病生活をもっと応援してあげればよかった、それだけが後悔です
じいちゃんは私に心配をかけまいと、いつも手術や入院のことを内緒にしていました
そんなじいちゃんの尊厳を守ろうと、私もじいちゃんに病気の話を持ちかけることはほとんどありませんでした
じいちゃんにそんな気遣いをさせてしまった自分への情けなさと、じいちゃんの優しさで胸がいっぱいです
この9年間、抗がん剤治療や、度重なる入院や手術に苦しむじいちゃんを見ていると、とても複雑な気持ちでした
あんなに元気で、冗談が好きで、よく笑っていたじいちゃんですが、ここ数年はあまり笑わなくなり、以前よりもばあちゃんにキツく当たるようになりました
いつも空気が悪く、せっかく会いに行ったのに、、、でも誰も悪くないから、辛かったです
今年も迎えられたじいちゃんのお誕生日会は、いつもより笑顔が多かったように覚えています
私と兄の幼い頃の思い出話を、嬉しそうに母に話していました
実家を出てからは「そんな帰ってこんでええよ」と言われたこともありましたが、この日は「またおいで」といつも通りのじいちゃんでした
それが元気なじいちゃんとの最後の日でした
私が素直になるのが下手くそなところは、じいちゃん譲りなんだなと思います
1ヶ月前に発熱で入院をした時、久しぶりに電話をかけてきて、泣きながら、少しの弱音と、「がんばりよ」といつもの言葉をかけてくれました
そんな時でも私は、じいちゃんを元気にしてあげられる言葉を何一つかけてあげられませんでした
じいちゃん、またすぐ会いに行くから、待っててねと、ただそれだけのことが言えませんでした
じいちゃんならまた元気に復活してくれるだろうと、心のどこかで思ってしまいました
今日が山場かもしれないと聞き、仕事を抜けて急いで会いに行きました
そこには、痩せ細った姿のじいちゃんが、苦しそうに呼吸をしていました
ばあちゃんと必死に呼びかけると、眉毛をピクリ、顎をコクリと動かしてくれました
意識があるうちになんとか間に合って、本当に良かったと思います
それからじいちゃんは、一晩どころか、二晩も頑張ってくれました
最後はじいちゃんの希望通り、自宅で、誰一人欠けることなく家族みんなに見守られる中、穏やかに眠っていきました
ちゃんと全員が揃うまで待っててくれましま
最後の最後の一呼吸まで、頑張ってくれました
兄弟のなかで、いちばんの長生きだったそうです
息を引き取ってからお葬式まで、少し日にちが開きました
じいちゃんが、最後にみんなでゆっくり過ごす時間を作ってくれたんだと思います
最後の最後まで、じいちゃんらしいです
この数日間、じいちゃんの訃報に悲しむ人をたくさん目にして、どれだけじいちゃんが周りの人を思いやって生きてきたのか、よくわかりました
じいちゃんは相当真面目な方でした
だから真面目な私のことをいつも応援してくれていました
それが嬉しくもあり、たまに窮屈でもありました
じいちゃんの優しさを受け止められない日もあったこと、情けなく思います
じいちゃんが私のことを自慢の孫だと言ってくれて嬉しかったです
大切に大切に愛情を注いでくれたじいちゃんはもういないので、その分これからは自分で自分を大切にしようと思います
じいちゃん、私はじいちゃんの孫で幸せです
ありがとう
ゆっくり、ゆっくり休んでください
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