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KaKuKoTo

少なくともわかるのは、自分は広い空間がないと書けないということだ。
あたまの中の”コレ”を全部マキチラし、ドームいっぱいの白い空間を”コレ”を使ってキタナく染め上げ、そのうえで紙に染み込まずにのこった”コレ”を拾いあげ、じゃぐちで洗ってタオルで拭いてる。それが俺にとってのカクコトみたい。
ドームいっぱいの空間。それが俺には必要だ。

紙に押し込まれたスウジのスケジュール、いらない。
キリトラレた空間の額縁、いらない。
昨日のスミでぬかるんだ足元、いらない。
腐ってニオイ始めてる捨てそこなった透明のガラスダマ、いらない。

カクコト。締め切りもテーマも昨日の匂いでいっぱいの紙もファイルも提出しそこなった昨日の日記もぜんぶイラナイ!!

俺にとってカクコトは、あたまに詰まった黒い墨、それをすべて捨てきった場所にある。
それをうまく出来たとき、俺は満足を覚える。
逆に途中で邪魔されたとき、はじめから枠の中で書こうとしたとき、すでに丸めて捨てた紙を拾ってモジを書き足すとき、この”コレ”を捨てる空間が紙がファイルがどこにもないとき、俺はそれを文章のせいにする。出来の悪い文字を憎み二度と顧みず、そしてそれを書いた自分を嫌いになる。

自由に走れる場所が必要だ。檻ではない、鳥籠でもない、ましてや本の余白でもない。ただ考え、ただ書き出し、ただ自分の書いたものを文字として読める場所、捨てたスミを受け止めるカミ。ただそれだけが必要だ。