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母のことを話そう

大阪の商売人の家に長女として生まれ、小さな平屋に何人もの住み込みで働く方たちがいるような、常に騒々しくおよそプライベートなどというものはない中で、おそらくたくさん愛されて育った母とのことを話そうと思う。

私は母のことが大切で幸せを願っているが、3日一緒にいると怒りが爆発して傷つけてしまう。それがなんでなのか、どうしたらいいのかわからない。だから、盆や正月に実家に帰るときは喜びと後悔と葛藤がある。その母が今年の夏、生まれ育った大阪を離れ、私のいる(娘家族以外に知り合いの一人もいない)神奈川の田舎町に引っ越してくることになった


母の半生

母は「貧乏人のお嬢さん」と形容される人だった。特にお金持ちの家庭で育ったわけでもないのに、お嬢さん気質で人が良く、お嫁さんになって夫を支える未来を信じていた。こどもだった私からみてもよく笑う人で、彼女がいると場がぱっと明るくなる、そんな人だった。残念ながら、支える予定の夫はアルコール依存症になり、こどもが3人もいるのにしょっちゅう入院しては収入がなくなった。

明るく前向きな彼女は家庭を守ろうともがき続けとうとう鬱になった。その時にお世話になったカウンセラーから「あなたが夫に我慢し続ける母親像を見せることで、娘たちが将来同じ道を歩んでしまうよ」と言われたそうだ。なんてこわい言葉だろう。その言葉で彼女は夫に寄り添い支えるお嫁さんの人生を諦め、三人のこどもを育てることを人生の真ん中においた

母の凄いところ

凄いところ① こどもに貧乏を感じさせなかったこと。
なにせマインドがお嬢様なので、困窮していた時でも雰囲気が豊かなのだ。それにお金がないからという理由で何かを諦めさせられた記憶がない。だから私なんて能天気なもので自分の家にお金がなかったと知ったのはずっと大きくなってからだ。知った時は愕然とした。

凄いところ② こどもに一切父親の悪口を言わなかったこと。
それでも母が父のために苦しんでいるということはなんとなく感じるもので、小学生の私は父が嫌いだった。高校生になる頃には、夫婦関係はどちらかが加害者・被害者とも言えないことや、大人だからといって完璧な人はいないこと、父が弱いがとても優しい人であること、母は本当は今でも父が好きだということが少しずつわかるようになった。

凄いところ③ 子供にも一人の人間として尊敬して関わること。
子供の考えを尊重し褒めたたえ、大人だからと言って決して偉ぶらない。この彼女の資質のおかげで、私は自分の意見を臆せず言うことができる、自己肯定感の高い人間に育ったのだと思う。

自分が親になってはじめて自分の親の凄さがわかるというけどまさにそう。私は上記の①~③のどれひとつ満たせていない。子供に対して「そんなお金はありませ~ん」「美味しくないなら食べなくて結構で~す」とか言っちゃう日々。母から一体何を学んだのか…。

爆発する私

…やばい。文章の終わりが見えない。
本題が始まらないままに、1000文字を越えてしまった!

急いで、本題に戻ろう。
そんな母が終の棲家に私の住む田舎町に越してきたいという。夫と協力し、母が暮らすためにぴったりのマンションを探した。そして引っ越し前に母が現地を見たいとこちらにやってきた。

彼女がやってきて3日目、私はやっぱり爆発した
私はなぜ母に怒ってしまうのだろうか。こんなんじゃこの先思いやられるな、と思い内省している中で、自分が怒ってしまう理由に気づいたのでそれを話したい。どうぞもう少しお付き合い願いたい。

爆発する理由

理由は二つ浮かんだ。

理由① 大好きな母のイメージの変化
かつて貧乏人のお嬢さんだった母は、普通のおばあさんになった。なんて書いたら怒られるだろうか(笑)人生の紆余曲折を経て、たくさん傷つき、孤独を抱え、認知能力も年齢相応に老いた。今も明るく前向きで活発だが、エネルギーがあきらかに枯渇している。特に他人からの愛を感じることが圧倒的に不足している。だから、昔では考えられないが彼女の今のメインの話題は他人への文句と自分の可愛い部分を語る自分語りの二択だ。

さすがにコーチングを生業としている自分としては、これが何を意味しているかはわかる。母は満たされていないんだ。大切な人に「あなたは素敵だね」「それはつらかったね」「あなたの観点はするどいね」「さすがだね」って受けとめ認められることが必要なんだ、、、ってわかるのに、どうしても必要なものをあげることができない。お母さん、あなたはそんな風な人ではないでしょう?もっと清廉で内側から湧き出る愛で周りを満たす人でしょう?って勝手な期待から抜けられないでいる

理由② 他人と自分の境界線のあいまいさ
彼女は他人と自分の責任範囲があいまいだ。他人の責任をかぶったかと思うと、自分の責任を曖昧にする。やってあげてやってもらっておかげさま、そんな世界観

例えば、とっくに成人した息子の保険料をいつまでも払い続けていたかと思うと、今度は自分の分も合わせて息子に払ってもらうという謎の合意をしていたり、こちらの好みも状況も聞かず布団や雑貨や色んなもの買ってきたかと思えば、(自分の)紅茶に砂糖を入れた方がいい?と聞いてくるといった具合。知らんがな、布団は自分で選ばせろ、である。

もしかしたらこれは彼女の愛情表現なのかもしれない。甘え甘えられることで愛情を感じるのかもしれない。他人との境界線があいまいで、溶け合っているそんな関わり方に安心するんだろう。頭ではわかるんだけどなぁ。

母と私

思えば私と母の雰囲気は似ているが性質は全く違う。私は人と甘えあうことが怖い。依存するのもさせるのも嫌だ。
母は人や雑音や光の中に安心を見出す。だから、電気もテレビもつけっぱなしで全く気にせず寝る。
私は自然や無音や暗闇にほっとする。だから、私はすべて消した静寂の中で寝ることを好む。

もしかしたら母は子供の時、遅くまで大人たちが話している声を聞きながら眠りについたのかもしれない。ひとりひとりに文化と歴史がある。私はどうやって育ったんだろう。

家族コーチングのすすめ

ここまで私のプライベートの長い話にお付き合いいただき、ありがとうございます。生身の話過ぎて特にオチはありません(笑)

今回、母との時間を過ごす中で、娘目線ではあるものの母の人生をどこかに残しておきたくなったこと、もしかしたら同じようにお母さんとの間にもやもやを抱える方の参考になるやもという気持ちでこのnoteを書きました。

私は関係性を扱うコーチで、人と関係の専門家などと言っていて、そんな私でも、本当に近い関係を個人でなんとかすることは難しいと実感します。

家族って大事なんだけど、大事なところだからこそ安易に触れたくないって思うし、他人に踏み込んできてほしくなかったり、分かり合えるはずと思っているからこそ分かり合えなかったり、あー、ややこしい。

だからこそ、プロの力にも頼ってほしいんですよね。家族コーチングというサービスを提供しています。まずはご相談から、どうぞお声がけください。
わたしも痛みを抱えるひとりとして、そしてプロとして一緒にあなたの大事な関係に向き合います。

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