見出し画像

田邑拓郎、「先生さようなら」で有終の美を飾ってくれてありがとう

シンドラの有終の美を飾った、田邑拓郎という残酷で美しい、薄氷のような男


最初に

日本テレビ系毎週月曜深夜24:59〜25:29に放送されていた、深夜ドラマ。通称「シンドラ」。全作においてひとつのアイドル事務所所属タレントが主演を務めたことが大きな特徴であり、そのために2024年3月末で幕を下ろすこととなった。その有終の美を飾ったのが、SnowManの渡辺翔太が主演を務めた「先生さようなら」である。
原作は小学館から出版されている、八寿子先生による同名漫画であり、渡辺翔太は主人公の美術教師、田邑拓郎を演じた。この作品は「先生に恋する高校生の田邑拓郎」と「生徒に恋される先生の田邑拓郎」というふたつの側面から「学生の恋」が描かれるが、渡辺翔太は高校生時代も教師時代もどちらも演じていた。奇跡の31歳である。ありがたい。そのおかげで前髪サラスト学ラン渡辺翔太と、ふわふわメガネ渡辺翔太が拝めたのだから。
大変な役だったと思う。単独主演は初めてで、しかも主題歌がSnowMan。深夜とは言え、1人で2つの時間軸の役を演じるその重責は凄まじかっただろう。

だが私はそれよりも先に、どうしても語りたいことがある。「シンドラが『先生さようなら』で終了することが決まったのは、ドラマ撮影期間中だったであろうこと」だ。
「シンドラ枠が今期で終わる」。そう報道されたのは、2024年3月10日のことだった。弥生(田邑拓郎に恋する高校生。演:林芽亜里)への気持ちに揺れ動く田邑拓郎が描かれた第8話が放映される、前日だった。
あの報道を見たとき、咄嗟に渡辺くんの心境を慮った。彼はいつこのことを知ったのだろう。昨今の情勢を踏まえれば仕方のないことなのかもしれないけれど、「仕方がない」と溜飲を下げるにはあまりにも唐突で、あまりにもこれまでの歴史は思い出として大切なもので、渡辺翔太にとってもあまりにも大切な作品だった。
そうじゃなくても、この情勢のせいで彼は大きな苦しみを抱える事象が多かった。蔑ろにされたと感じたこともあっただろう。
そんな中で重くのしかかる現実。どうか、願わくば、彼がその現実に自責なんてものをこれっぽっちも感じていませんように。そう願うことしかできず、そんなことしかできない自分が腹立たしかった。
だから同時に誓った。絶対盛り上げてやる。絶対できる限りリアタイしてSNSで呟いてTLを盛り上げ、大団円で終わらせてやる。この役を演じて良かった。渡辺翔太が晴れやかな笑顔でそう感じながらクランクアップを迎えられるよう、この素晴らしい作品を少しでも盛り上げるしかない。力不足のちっぽけなオタクだけれど、渡辺くんが自責の念に駆られることだけは避けたい、絶対に。強く、強くそう思った。
もちろん、彼はプロのアイドルだから、たとえへこむことがあってもそれを前に出すことは無いだろう。それでも彼も人間だ。できることならば、自宅でも小さな悩みひとつなく幸せに穏やかに過ごしてほしい。それが素であってほしい。だから彼の笑顔に嘘がないようにするために、オタクはオタクでできる限りのことを精一杯やる。ただそれだけの“愛”が、そこにはあった。

ザ・テレビジョンという雑誌の、2024年の新春超特大号「各ペアが『僕たちの記念日』を答える」という企画があった。その中で、なべラウ(渡辺翔太とラウールのペア)はこう語っている。

ラウール「僕あるよ。日付は具体的に言えないけど、一緒にやっていた仕事がなくなっちゃったときに、2人ですごい話したんだよね。そのときのことがすごく印象的で。」
渡辺「確かに、あの日2人で結構真面目にしゃべったよね。」
ラウール「僕が想像していた以上に、しょっぴーが結構ダメージを食らってたね。」
渡辺「そういう俺を10個下のラウールがなだめてくれるっていう……。」
ラウール「思ってた以上に熱い思いでいたんだなって思ったよ。」
渡辺「あれは2人の絆を感じた日だったよね。」

人間なんだ。当たり前のことを改めて感じた。彼らも、アイドルも、SnowManも人間なんだ。辛いことがあればダメージを食らうんだ。ショックを受けるんだ。
じゃあファンができることはなにか。ショックを感じさせないために、起こり得る悲しい出来事を上回る嬉しい出来事を作るために、精一杯愛を伝えることじゃあないか?

そう心に決めたはいいものの、他の作品や推しのnoteを立て続けに書いてしまい、執筆に取りかかるのが随分と遅くなってしまった。それでも、「先生さようなら」が終わったあの季節からまたひとつ季節が変わろうとする今でも、田邑拓郎を想って胸を締め付けられるくらいにはあの男のことを愛おしく思っている。録画リストを開いたら出てくるドラマの名前だけで、目の奥がじんと熱くなるのを感じるくらいには、愛着もある。言語化するまでに時間が欲しいと自分の中で温めすぎてしまったくらい、大切にも思っている。

あらすじ

好きなことや夢中になれることもなく、ぼんやりと高校生活を送る城嶋弥生(演:林芽亜里)は、美術教師田邑拓郎(演:渡辺翔太)との出会いで日常が彩られ、美術部に入部する。そんなある日、弥生は顧問の田邑のスケッチブックに1人の女性が描かれているのを見つける。その女性は田邑の高校時代の担任で国語教師・内藤由美子(演:北香那)だった。弥生が3年生に進級すると、田邑が担任として初めて弥生のクラスを受け持つことになり、弥生は叶わない恋と知りながら、自身の恋心を自覚していく。

登場人物

・田邑拓郎(渡辺翔太)

美術教師兼美術部顧問。高校時代教師だった内藤由美子に今でも想いを寄せているが、由美子は既に死亡している。弥生や健太たちのクラスの担任教師でもある。

・城島弥生(林芽亜里)

退屈な高校生活を送る、冴えない高校生。2年生時の卒業式に田邑と出会い、淡い恋心を抱く。夢中になれるものがなかったが、田邑に惹かれて美術部に入部。

・内藤由美子(北香那)

田邑の高校3年生時代の担任教師兼国語教諭。冴えなくて堅物、生徒人気も低い。ひょんなことから田邑との繋がりが生まれ、恋が始まる。

・児玉俊(須賀健太)

田邑の同級生兼友人。高校時代から田邑の恋を見守り、大学や大人になっても交流を持つ。田邑のよき相談相手。

・白石健太(中村嶺亜)

弥生に恋するクラスメイト。弥生の田邑への想いに気付きながらも、一途に想い続けている。

・樋山レイナ(川床明日香)

弥生と健太のクラスメイト。クラスの一軍的存在で、田邑が好き。弥生のライバル。田邑のことを「田邑っち」と呼んでいる。

・堀江美紗子(深尾あむ)

田邑の生徒で、美術部部長。中学時代由美子先生に世話になっており、そのため田邑の過去を知っている。田邑のことを「拓郎さん」と呼ぶ、ミステリアスな生徒。

その他にも菅田琳寧くんや檜山光成くんなど、事務所の後輩くんが生徒役で出演している。

ずるくて残酷な田邑拓郎

・ずるい初恋

いつだって恋させる方は少し残酷だ。
まじでずるいんだよ、教師田邑拓郎。まず第1話の登場がずるい。「なんだかなぁ」と夢中になれることもなく、退屈な高校生活を送る、少し冴えない高校生“弥生”。どの部活にも所属せず、友人も好きな人もいない。2年の終わりになっても進路も決まっていないようで、ぼんやりとどこか眠たげな目で毎日を過ごしているみたいだった。
そんな2年の卒業式、展示された絵を眺めていた弥生に、声がかけられる。「その絵、気に入った? 」美術教師、“田邑拓郎”である。
「絵、好きなの? 」「誰でも上手く描けるようになるよ。」「美術部入る? いつからだっていいと思うけどね。」絵は好きだけど上手くないと卑下する弥生ちゃんに対し、初登場から田邑拓郎は恋心を誘発させるような、甘くてゆるい発音ととろけるような声と表情で弥生ちゃんに語りかけるのだが、その上でとんでもないことを言う。「なんかメモとか、ある? 」
ここで弥生ちゃんもすげぇなと思うのだが、弥生ちゃんはおずおずと「これ、メモです」自分の手の甲を差し出す。「いいの? 」「あ、はい……。」そしてあろうことか、田邑拓郎はその弥生ちゃんの手の甲に、犬の絵を描くのである。

言っておくが、すのちゅーぶなどで渡辺翔太が披露した独特な犬とは違う。可愛らしく喜びに舌を鳴らすような、愛らしい犬の顔である。元気のない生徒の手の甲に絵を描く美術教師。けしからん。けしからんすぎる。私一応教員免許持ってるから、田邑拓郎専門のあざとい警察としてあの高校に先生として就任してやる。

「美術部じゃなくてもいいよ、絵が好きならいつでもおいで。」
弥生ちゃんはこの出来事で程よい高揚を覚え始める。「ドキドキするのは、初めて喋った人だから。」自分に言い聞かせながらも田邑から貰った絵を大切にして微笑む弥生ちゃんの感情は、まだ恋と呼べるような代物ではなかった。

だが第1話。田邑拓郎の残酷性はまだまだ描かれる。
なんと、田邑拓郎は他の生徒にも同じようにするのだ。「ねぇねぇ田邑っち、なんか描いてよ! 」田邑に好意を寄せるレイナが、取り巻きの友人とともに田邑へ手の甲を差し出す。「なんかってなんだよ……」言いながら、田邑はレイナの手を取り、ペンの蓋を取って絵を描こうとする。
それを見た弥生ちゃんはいたたまれなくなり、急いでその場から離れ、一晩大切にしていた手の甲に描かれた絵を、水道水でごしごしと必死に洗い流したのだった。

ぬあ〜〜なんて残酷なんだ田邑拓郎。人の感情の機微に鈍感で、誰にでも優しくする。そうやって誰でも彼でも心臓にハートマーク描きおってこの男はまったくも〜〜〜ゆるせん!!

その後、クラスの男子が自分たち女子で格付けチェックのようなことをしているのを聞き、弥生ちゃんはより一層落ち込む。やっぱり私の高校生活って、なんだかなぁ。大きくため息を吐く弥生ちゃんをあざとく引き止めたのは、田邑拓郎だった。
しかもその後、田邑拓郎はもうオタクびっくりの行動に出る。「ちょっといい? 」弥生ちゃんが放課後予定がないことを確認した上で、美術室にて弥生ちゃんに1体1でデッサンを教えるのだ。
「でも私、本当に下手なんで。」「大丈夫。」そう言って弥生ちゃんに描き方を教え、寄り添った。「正しい方法で学べば、なんだってできるよ。」
更には夢中になれるものがないと言う弥生ちゃんに対し、「もし夢中になれるものが見つからなくたって、それはそれでいいんじゃない? 」「焦らなくていいんだよ。これからなにかが見つかるのを、楽しみに待ってるくらいでいいんじゃないかな。」とまで言ってくれる。こんな真摯に向き合ってくれる教師、稀有だぞ……! 田邑拓郎がこうやって“人と人”として向き合う教師になったのは、他ならぬ由美子先生のおかげなんだけれど。
その後、自身の恋慕を自覚した弥生ちゃんは美術部に入部する。

第2話田邑は弥生ちゃんをモデルに絵を描く。ぶっとび展開だと思った? でも別に、田邑が頼んで弥生ちゃんが承諾したわけではない。部活動を終え、美術室にて疲れて眠った弥生ちゃんの寝顔を見ているうち、田邑の創作意欲が掻き立てられたのである。

私、芸術って本当に克明で残酷だと思うんですよ。その人を描くとか、その人を想って芸術作品を作り上げるって、本当に愛以上の重い想いが顔を出してしまう危ない行為だと思うんです。なのに田邑拓郎は、無邪気に気分が向いたままに、弥生ちゃんの寝顔を描く。そんな、そんな気になっている相手にそんなことされたら、好きになっちゃうじゃないか……! ずるい男!
田邑が弥生ちゃんを描いたのは、ただ単に描きたかったからだろう。教え子の安心しきった寝顔と、春の訪れを知らせるような蝶々のコントラストが美しかったから。少なくとも第2話のあのときは、相手が弥生ちゃんじゃなくたってよかった。
ああ、やっぱり、恋させる方はいつだって残酷で、田邑拓郎は特にそうだ。

・弥生ちゃんの好きを否定しない

第3話。弥生ちゃんはひょんなことから、美術準備室に置かれた田邑のスケッチブックの中身を見てしまう。1ページ目に挟まれたノートの切れ端に描かれていたのは、弥生ちゃんの知らない女の人、由美子先生だった。
「先生の心の中を盗み見ちゃった。」弥生ちゃんは罪悪感に駆られる。と同時に、初めて知る失恋の疎外感にも悩むようになるのだった。「やっぱり、私は先生のこと何も知らないんだ。」

そんな弥生ちゃんにさ、田邑拓郎は言うんだよ。「人と人って、知ることから始まるからね。中身を知っていけばいくほど好きになれるよ。」弥生ちゃんが悩んでいるのは対人関係についてだろう。クラスにも馴染めてきているし、部活でも楽しそうだし、そんなに思い悩まなくていいよ。そんな気持ちで言ったであろうアドバイスは、恋心というフィルターを通して違う意味にろ過される。知りたい、好き。この欲は紙一重なのか。
「私が知りたいのは、先生のことだけです! 」「先生のことよく知らないのに、変かもしれないけど、先生のことが好きなんです! 」
田邑は心の中で、こう呟いていた。「人は相手の心に触れたとき、恋が芽生えるのか。それとも、恋が芽生えたから相手の心に触れたいと思うのか。」こういう、小説のような質感がまたより一層このドラマを好きにさせる一因なのだけれど、田邑は由美子先生の影響からか、割と小説的に物事を分析している節がある。そして真正面から「あなたの心に触れたい」と言われたとき、田邑はぼんやりと目を細めた。きっと彼が見ていたのは弥生ちゃんではなく、過去の自分なのだろう。
「僕はダメだって、好きな人がいるから。……妻が、いるから。」

このときはまだ、自己投影というか、“由美子先生と同じ景色を見る羽目になったから”“過去の自分に似た弥生ちゃん”を見て苦しくなっている、気になっているだけだと思う。そしてそんな自己投影は青く過去を現実へと結び付ける。

「独り占めしたかっただけです、先生の心の中。」
「好きなだけです!好きでいていいですよね?」
第4話、1度恋心を伝えた弥生ちゃんは青い残酷さを帯び始める。付き合えなくていい、好きでいたいだけ。好きでいさせて、独り占めさせて。そう笑顔で言う弥生ちゃんは、愛らしくもどこか恐ろしかった。
「高校生の恋なんて、お前が振り向きさえしなければ大丈夫だよ。」田邑の親友の児玉くん(演:須賀健太)が言う。児玉くんからしたらそれは田邑の憂いを省くための助言だけれど、田邑には主語が違って聞こえてしまう。

そうだよな、俺は由美子“先生”を振り向かせてしまったんだよな。だから人生を壊してしまったんだよな、と。

だからか否定しない。弥生ちゃんから恋を言葉にして贈られても、「好きな人がいるから」「妻がいるから」としか断れない。過去、人と人として向き合って由美子先生と恋に落ちてしまったからこそ、先生であることを免罪符に断ったり、思いっきり拒絶したりできない。
そしてその残酷さを、人は“優しさ”と呼ぶ。

・弥生ちゃんに優しい田邑拓郎

度を超えて優しい人というのは、いる。でも同時に、優しさというものは暴力性にも繋がり得る。田邑拓郎が弥生ちゃんの恋慕を知りながらも優しくできるのは、不誠実だからだろう。

「不思議と泣けないんだよな。葬式で由美子の知り合いはみんな号泣してんのに、俺だけ泣けなくて。」第9話で綴られた、由美子先生を喪った田邑拓郎の言葉である。
田邑拓郎は、由美子先生が亡くなってからずっと宙ぶらりんの感情を抱えている。それはつまり、自分の感情に向き合っていないということであり、だからこそ彼は自分に恋している生徒に優しくできてしまうのだろう。
その“優しさ”が描かれたのは第7話。校外学習で白石(演:中村嶺亜)は田邑に言う。「城島のこと、思わせぶりな態度で傷付けたら許さないから。」喧嘩をふっかけるように生徒に言われようと、体調不良で動けなくなった弥生ちゃんのために奔走したり、肩を貸して休ませたり、田邑の優しさには際限がない。
自分の感情に向き合わないからこその、不誠実で際限のない優しさ。自分に似ているからと学校に馴染めない弥生ちゃんのために心を砕き、絵を描き、傷付いた心を癒される。
でも果たしてその優しさは、どこからが“同一視ゆえのもの”だったのだろうか。

田邑拓郎は、自分でも気付かないうちに弥生ちゃんに惹かれていってしまう。
そして田邑のそんな残酷さは、彼が高校生の頃から自身を柔らかく青色で傷付ける。

青くて残酷な田邑拓郎

・夢中になれるもの

「僕の全ては先生で、夢中になれるものは全て、先生から生まれたものだった。」

高校生田邑拓郎と担任教師由美子先生を最初に繋いだのは、たったひとつの秘密だった。
弥生ちゃんと同じように、夢中になれることもなく、惰性でつけたテレビを眺めるように青春を過ごしていた田邑拓郎は、その日もいつも通りテキトーに授業を受けていた。
「『永訣』とは永遠の別れ、死別を意味します。」第1話、好き勝手に私語を交わす生徒たちに一瞥もくれず、由美子先生は未来を示唆するような授業内容を読み上げる。「はぁ……退屈。」「まぁあれが担任だとやる気も起きないよな。」独り言に返された児玉くんの言葉に「いや、俺は……」一瞬首を傾げながら否定しかけるも、「優等生キャラだから、話しかけてもまじつまんないし。」クラスメイトの女子に同調され、本音を引っ込めた。「だよな」拓郎は首肯する。
そんな聞こえる陰口をよそに、由美子先生は授業後、拓郎に声をかけた。「課題出してないの田邑さんだけです。今日中に出さないと点数つかないですけど、いいですか? 」「……出します、はい。」
由美子先生は、終始嘲笑されている。いわゆるダサい格好をして、ぼそぼそと喋り、生徒からも下に見られている。その描写は田邑拓郎の高校時代のシーンの中で多々描写されているし、実際メガネで前髪なし、ぴっちりとまとめた髪型、そして昭和を彷彿とさせるような無害そうなファッションは、生徒から“舐められる”教師像として的確すぎると思った。
見た目に対する執着がない故だろうし、実際女性教師は服装が難しい。私自身、教育実習時代、パンツスーツでいただけで「体のラインが出ていて男子生徒の教育に良くない」と理不尽に怒られたこともある。無害そうな服装の方が、間違いを呼ぶことはないだろう。そしてそれと“生徒に見下されること”を天秤にかければ、後者を選ぶ。内藤由美子というキャラクターならば、当然の選択でもあった。

放課後、課題を提出しようと拓郎は職員会議が終わるのを待ち、由美子先生にそれを渡した。が、急いでいたからか、由美子先生は私物を会議室の卓上に置いてきてしまう。
「あ、先生……! 」拓郎が呼びかけるも、急いでいた由美子先生の耳には届かなかった。別に由美子先生はのっぴきならない用事で急いでいたわけではなく、ただ単に生徒と距離を取りたかったのだと思う。だがそんな彼女の聖域に、田邑拓郎の残酷な青さが侵食していく。

「そう、私は彼が好きなのだ。振り返る彼は眩しいほどの笑顔で、私は目を閉じようとする自分を必死で制した。」由美子先生が忘れていった私物は、小さな手帳だった。そしてそこには由美子先生が書いた小説の一文が書かれていた。
私も小説書くオタクだからわかるんだけど、思いついたら書いちゃうんだよね。実際由美子先生は、職員会議中に書いちゃっていたんだろう。秘密のノートに、秘密の一文を。
その秘密を見た拓郎は、平凡に見える由美子先生の中の激情に、その言葉に、惹かれ始める。

翌日、拓郎は国語準備室へ行き、手帳を返しに行く。由美子先生は生徒に秘密を見られたと知るや否や、まばたきを何度も繰り返し、右往左往と首を動かし慌て出す。そんな姿を見た拓郎の表情に、愛おしさゆえの笑みが零れた。「見ちゃったのは謝る。」「誰にも言わないで。言ったら許さないから。」その秘密に容赦なく踏み込んできた拓郎は、初めて見る由美子先生の柔らかい表情に、愛しさを覚えたのだろう。

その後も、拓郎は青くまっすぐ由美子先生に向き合いに行く。「先生の小説、読ませたことないのもったいなくない? 上手いとか下手とかはわからないけど、書くの好きなんだろうな、なにかに夢中になれるってカッケェなって思えた。」純粋無垢な語彙で褒める拓郎に、由美子先生も徐々に絆されていく。
「学生の頃、小説家になりたかったんです。でも諦めて教師になった。教師もうまくやれてないですが。……田邑さんは得意なことを活かして、自分の好きな仕事に就いてくださいね。」柔らかく、教師然と言葉を紡ぐ由美子先生に対し、拓郎は気まずそうに目を逸らした。
俺、得意なことなんてないもん。夢中になれるものがない。まぁ適当に生きていくっしょ。」高校生活を気だるげに語る拓郎を、教師である由美子先生は放っておけなかった。もしかしたらこれが、愛おしさを恋にしてしまったきっかけなのかもしれない。「美術は? 得意じゃないですか。」

別に、田邑拓郎にとって美術じゃなくてもよかった。ただ愛おしさを思い始めている由美子先生が、見出してくれたものを形にできるならば、なんだってよかったのだろう。そしてそれを由美子先生が褒めてくれるならば、ただの落書きだったものにすら夢中になれる。
「僕の全ては先生で、夢中になれるものは全て、先生から生まれたものだった。」
まさに高校生田邑拓郎の言葉そのものである。
そこからふたりの距離は縮まっていく。国語準備室で拓郎は「こうすれば上手く描けるよ」と絵を描きながら、由美子先生とのお喋りに花を咲かせる。
「美術も、こうやって描き方を教えてくれればいいのに。」感心した由美子先生は、言葉を漏らす。「ただ描けって言われると、苦手意識がある子はもっと嫌いになっちゃうでしょ? 上手く描ければ、みんな嬉しいし絵も好きになれる。」「学校も教師も、生徒が夢中になれる存在を引き出す存在になりたいと思うんですよね。」由美子先生から溢れた言葉は、教師としての熱いものだった。「映画の受け売りですよ、知りませんか? 」そう言いながらも、確かに由美子先生の中には教師としての矜恃があったのだ。

ちなみに、この辺りは仮にも教員免許を持つ人間として完全同意である。私の専門教科は音楽であり、田邑拓郎が後に専門とし、このとき小さな未来への光を見ている“美術”と少し似ているが、とにかく“方法”の教え方がずさんだと思ってしまう。そりゃあ芸術系科目は、ひとりひとりに方法を教えるには難しい教科だと思うが、そこをすっ飛ばして感性にばかり訴えかけるから、苦手意識のある生徒からしたら、“苦手”な上に“できない”という負の印象が二重になってしまう。
逆に体育などの教科は、方法を教えた上で実力主義にするから“元々苦手意識がなく”、“方法を知ってできるようになった”生徒は前向きに楽しめる。
私は運動神経が悪いから体育は苦手だが、それは“方法を知らなくてできない”からではなく、“実力重視”のせいで“できないことが浮き彫りになる”からだ。芸術科目ほど“感性重視”でも、体育のように“実力重視”でも、どちらも絶対的に良いとは言えないが、『方法を知らない』というのはどちらにしてもスタートラインにすら立てていないと思う。

なんて持論はさて置き。“芸術系科目で方法を教えることが難しい”のは、ひとつの問題があるからだろう。その問題とは、“向き合って教えようとしたら距離が近くなりすぎる”こと。実際第1話でも、国語準備室で絵の描き方を教える拓郎と由美子先生の距離は、吐息がかかるほど近かった。
美術だと鉛筆の持ち方や対象物の見方など、音楽だと身体の使い方や声の出し方など、近距離で教えなければ理解しにくいことが多い。だからと言って色の塗り方や音符の読み方など、細かいことを突き詰めて教えない現状を全肯定はできやしないが、それでも“自分の知らないことを教えてくれる大人”が“近い距離で懇切丁寧に向き合ってくれる”としたら、その憧れが恋心にシフトチェンジしてしまってもおかしくはないだろう。

だからこそ、弥生ちゃんは田邑拓郎に惚れてしまったのだと思うけれど。逆に田邑拓郎が由美子先生を慕うようになったのは、自分の世界を広げてくれたからでもある。
「なんだ、でもちゃんと教師として熱い思いがあるなら、言葉にすればいいじゃん。気使いすぎだって、俺らの顔色なんか気にしないで思ったこと言ったらいいんだよ。」拓郎は笑いながら由美子先生に言うが、その笑顔も由美子先生の言葉で固まる。
「田邑さんには言われたくないかな。」バレていたのだ、空気を読んで、丸く収めるために“田邑拓郎”を演じているだけで、実際は空っぽの人間だと思っていることを。「だって田邑さん、みんなの空気読んで合わせてるじゃないですか。でもまぁ、わかりますよ。思うままに生きるって、楽じゃないんですよね。」

田邑拓郎から由美子先生への恋は、憧れと親近感が入り交じった尊いものだったのだろう。上手く生きられない人間、でも夢中になれるものがある人への憧れ、素直な感情表現への愛おしさ。
由美子先生への恋慕を自覚した田邑は、ただ一筋にその光へと夢中になる。由美子先生が好きだと自覚した途端、好きな人のものも全部好きになり、好きな人を象るものにしか夢中になれなくて、好きな人が示してくれた可能性に真剣に向き合うようになり、でもそのお陰で退屈だった高校生活できらきらと光り出す。それは彼が由美子先生をデッサンすることで、描かれる。
そんな田邑拓郎が弥生ちゃんに言うんだよ。「夢中になれるものが見つからなくたっていいんじゃない? これから何かが見つかるのを、楽しみに待ってるくらいで」。
高校時代、田邑拓郎は“由美子先生しか夢中になれるものがなかった”。その上で過去の自分のように退屈な高校生活を送る弥生ちゃんにこれを言うのは、やっぱり自分の青い残酷さを自覚していたからだと思ってしまう。

「僕は、妻と同じ景色が見たかったから教師になったんです。」
「俺、教師になってみたい。先生の感じていることを、俺も感じてみたい。」

田邑拓郎は、由美子先生との恋を経て教師になる道を選んだ。それは由美子先生の生きた教師としての日常を追体験して同じ景色を見たかったからであり、先生と同じ景色を見て、先生と同じ気持ちになって先生のことを知りたかったから。周りから間違いだったと否定され続けた高校時代の純愛を、その切れ端だけでも肯定されたかったからだと後々判明する。唯一の煌めきだった先生を傷付け、自分も傷付いたけど、その中で気付いて肯定された「絵」という煌めきだけは形にしたかった。なんていじらしく、なんて残酷なのか。

そして容赦なく踏み込んできた先で、燦然たる光で憧れ、由美子先生が築いていた壁をも飛び越え、秘めたる想いを吐露したのである。

「先生が生徒を特別扱いしちゃダメって……無理でしょ、それ。だって、先生にとって俺はもう特別でしょ?第3話の台詞である。

高校生田邑拓郎は、容赦なく恋心をぶつける。「俺、先生のこと好きなんだよね。たぶん。」
由美子先生は後に、拓郎とのことを「あなたと居ると、私は心地よく壊れていく」と表現していたが、確かにこの瞬間の由美子先生の心には、ピキリとヒビが入った。「私は教師なの。あなたは生徒でしょ。」

拓郎は普段、その場を丸く収めるために本音を隠し、自分を偽っている。拓郎はそんな自分を、残酷にも「本当の俺は、先生だけが知ってくれたらそれでいい」なんて言っていた。

「人は相手の心に触れたとき、恋が芽生えるのか。それとも、恋が芽生えたから相手の心に触れたいと思うのか。」
恋心を自覚した田邑は、由美子先生の心に触れたくなり、真剣に由美子先生の授業を受けるようになる。そして同時に、周囲に対しては空気を読んで美大への進路を定めた自分を茶化す。
それを見ていた由美子先生は、拓郎を叱責する。本当の田邑拓郎という素敵な人間を自分だけが知っているなんてもったいない、もっと愛されてほしい、拓郎に強く生きてほしいと願う“愛”故だろう。「あなたは楽な道選ぼうなんてしていないでしょ。」「別にいいんだよ。」だがその愛に気付けない拓郎は、ふてくされる。
「そういうところよくないです、どうして適当なポーズ取るの? 本当の自分を隠す必要なんてないと思います。」「先生だってそうじゃん。」言ってたじゃん、『自分らしく生きるのって楽じゃない』って。

場面は変わり、由美子先生の授業になる。教えていたのは、「山月記」だった。臆病な自尊心と尊大な羞恥心に触れた由美子先生は、意を決して生徒へと向き直る。「私の授業を聞いてもらうために、まず私のことを知ってもらおうと思います。」
「人前に立つことも、ずっと苦手で。でも最近少し変わってきました。ある人が夢を見つけて頑張ろうとしていて、その姿を見ていたら勇気を貰えたんです。その人のために私ができることがあるなら、なんでもしたいと思えるようになって。それが今の私にできることなんじゃないかなと思って。」「つまり、人と人として関わりたい。立場で境界線を引かずに、ちゃんとひとりの人間として思っています。
由美子先生は壁を築くことで心を守り、生徒とも必要最低限しか関わらないようにしてきた。だからこそ生徒からも嫌煙されてきたが、拓郎によって心動かされた由美子先生は一歩踏み出す。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心で恐る恐るお互いの心に触れ合ったふたりは、確実に距離を詰めていった。

そしてそれが由美子先生の答えだったけれど、拓郎は確かな答えが欲しかった。「本当の俺は、先生が知ってる。それでいい。」「俺、教師になってみたい。先生の感じていることを、俺も感じてみたい。」恐ろしい程に盲目で、まっすぐで、眩しい言葉は、由美子先生を本格的に壊していった。だがその崩壊は、彼女にとって心地よかった。


田邑拓郎の残酷さは、鳥肌が立つくらい美しくて恐ろしい。
孤独に慣れながらも朴訥と生きてきた由美子先生や弥生ちゃんが、田邑拓郎の残酷なまでのまっすぐさに侵食されていくの、ある種の破滅ですらあった。
そんな由美子先生も、田邑の青いまっすぐさに当てられ、「先生のことが好き」という感情から逃げられない。恋慕から視線を逸らして逃げようとするのに、逃げられなかった視線の動かし方はどこかか弱く表現される。眩しいほどの明るさは、孤独に慣れた人にとっては痛く愛おしかった。

恋から逃れられなかった由美子先生は、次第に自身の中に芽生える恋にも向き合っていく。田邑のまっすぐさに揺らがされてまっすぐに言葉を返すうち、ふたりは自分たちの「相手の心の触れ方」がひどく似通っていることを知る。そうやって確立されてきてしまった心の触れ方で、お互いに本当の自分に触れ合い、それが悲劇を呼ぶ。

「俺たち見られちゃいけない関係だもんね」
「触れたらなくなってしまいそうで、いつも少し怖かった」
「人生で本当に好きな人って、1度しか出会えない」
どれもこれも残酷なまでにまっすぐな恋慕で、その言葉たちと拓郎のまっすぐなナイフのような鋭さを持った抱擁力みたいな視線は、由美子先生を心地よく壊していった。

だがそんな純愛という崩壊は、平穏な日常にはなってくれなかった。第5話、拓郎の気持ちが昂り、国語準備室でキスしようとしたところを、拓郎に片想いしていたクラスメイトの女子生徒に覗かれてしまう。そしてそれを告げ口されたことから、由美子先生は引責辞任に追い込まれた。

連絡も途絶えた突然の別れは、ふたりが再会することは二度と無いかのように思われた。拓郎は絶望しながらなんとか美大へと進学するも、宙ぶらりんで空っぽな毎日を送るようになる。

そんな哀しい日常が変わっていくのが、第7話。由美子先生も拓郎を忘れられていなかったことから、ふたりの絆はまた繋がってゆく。

一生に一度の恋という呪い

恋に対して残酷な田邑拓郎は、由美子先生を喪ってからは自分の感情に不誠実という意味でも残酷である。
じゃあどうして彼がそこまで不誠実な優しい、それでいて梅雨の匂いが似合う薄氷のような人間になってしまったのか。それはきっと、彼自身が自分にかけた呪いのせいだと思ってしまう。
「人生で本当に好きな人って、1度しか出会えない。」弥生ちゃんも言っていたこの台詞。
あまりにも不健康で尊い愛の概念は、彼を時間に縛りつけ、泥濘の中で氷に傷付け続けられるような日々を過ごす羽目に遭わせてしまった。

・由美子への罪悪感

第5話、キスは未遂だった。「さすがに、学校ではやめましょう……。」由美子先生が、燃え上がった拓郎の恋の炎を鎮め、拒絶したおかげで。すんでのところで“間違い”を犯さずには済んだ。それでも、由美子先生は責任を取らなくてはいけない。いや、彼女自身がその道を選んだ。拓郎を、生徒を守るために。
電話をかけても繋がらず、拓郎は由美子先生に拒絶されたのだと絶望する。そして他の先生に由美子先生のことを訊こうにも、「起きたことは大人の責任。教師と生徒、大人と子ども、同じ立場じゃないんだよ。」「あなたにできることは何もありません。」と、取り付く島もない。

第5話では同時に、現代軸での崩壊も描かれた。
「なんか最近田邑っちウザくない? 誰とでも仲良いし。」田邑に好意を持っていながらもレイナが、八方美人で心を独り占めできない田邑に対してそう言ったことを皮切りに、田邑の同僚であり田邑の人気に嫉妬していた稲毛(演:片桐仁)が、「田邑先生は既婚者。しかも相手は高校時代の担任教師」「今はもうバツイチみたいだけど」とタレコミをする。田邑が独身だと思い込んでいた生徒たちはそれにより、「田邑に嘘をつかれていた」と不信感に駆られるようになる。

でもそれに対し、田邑は生徒たちにはっきりと言った。「妻は亡くなったんだ。だからバツイチじゃない。」「それと、確かに妻は担任教師だったけれど、恥じるようなことはなにも無い。」

田邑拓郎はずっと、由美子先生の人生を壊したと後悔している。だが田邑が教壇に立ってはっきりとそう言えたのは、あのとき由美子先生がキスを拒絶し、全部の責任を背負って辞任したからである。由美子先生は、田邑拓郎の先生としての未来も守ったのだ。
由美子先生は、拓郎のために恋愛感情を否定し、拓郎のためにキスしていたことは誤解だと言い張り、その上で拓郎のために怒った。「生徒を侮辱するのはやめてください!」拓郎は悪くない、そう声を張り上げ、目に涙を溜めて怒り、拓郎が退学しなきゃならないかもしれない事態を必死に避けた。
「事実はありませんし、特別な感情もありませんが、責任は取ります。」事実は無い。感情はある。だからこそ由美子先生は「誤解させてしまったことに対して全責任を負って辞任する」という道を選んだ。たった1日で。
先生の愛か、恋愛感情か、親愛か。どれであろうと、それはたしかに愛だったんだよ。
由美子先生の決断のおかげで、教師になった田邑拓郎は生徒に嘘をつくことがなく、「生徒時代に恥じるようなことはなにも無かった」と言いきれた。教師としての矜恃を守れた。

だがそんな未来があるとは露とも知らない拓郎は、第7話で大学を辞めようとする。めぐり逢いで由美子先生の勤め先がわかったはいいものの、出待ちしていたら彼女に恋人らしき人がいることを知り、「一刻も早く先生に釣り合う大人になる! ちゃんと働いて稼いで、もう1回先生に告白したい! 」と盲目的に突っ走ったためである。
それを知った児玉くんは、拓郎から聞いていた由美子先生の職場へ赴き、拓郎を注意するよう頼む。……できた子だよ、ほんまに。

「絶対にダメ! 」拓郎の大学まで行き、由美子先生は声を荒らげる。その姿はたとえ退任しようとも、ずっと先生でいると言っているようだった。
「私は今、田邑さんのおかげで少しは自分らしく生きられているんです。小説だって、情熱があるって言って貰えて嬉しかった! 教師だった時間も後悔していないし、小説だってあなたのおかげで今も書いてる。」「私を生きやすくしてくれたのはあなただから……。なのになんであなたは全部捨てようとしているんですか?ちゃんと自分の将来のことを考えなさい! 」ひと息で言い切ったその本音は、愛で溢れていた。だけれども早く大人になりたい拓郎には、その先生然とした愛は凝り固まった形でしか届かなかった。
「先生みたいなこと言うじゃん。」「……そうね、もう先生じゃないものね。」由美子先生は立ち去り、拓郎もそのまま去ろうとした。再び絡まったふたりの糸は、またほどけていってしまうかのように思えた。

でも拓郎が由美子先生の手を、愛を振り解けるほど、理性的に自分の感情をコントロールできるはずもなかった。

拓郎は振り返って由美子先生が去って行った方向へと、走った。がむしゃらに走った。脇目も振らずに走った。
「先生、勝手だよ。大人だから教師だからって全部決めちゃってさ……。やっぱり俺らは越えられないの?教師と生徒だから?」追いついた拓郎の目が、由美子先生を映しながら涙でどんどん赤くなっていく。
「別の出会い方だったら上手くいったかもって思ったけど、思ったけど。『もしも』はないし、全部が先生作ってるから全部大事なんだよ。全部含めて今の先生が好きなんだよ! 」
残酷で青かった恋は、純粋なままようやく言葉になった。たとえ由美子先生が自分を生徒としてしか見ていなかったとしても、もう別に好きな人がいたとしても、どうしても好き。伝えずにいられないほど、愛を伝える為ならば自分の人生を後回しにしてもいいと思えるほど、愛おしくてたまらなかった。自罰的なその愛は、由美子先生の人生を壊してしまったという罪悪感もあってこそだろうか。
「私も、私も好きですよ。ずっと前から。」でもその愛に、ようやく愛を返してもらえた。由美子先生も、ようやく答えられた。全部は拓郎の勘違いで、由美子先生もずっとずっと拓郎を想っていたのだ。そのあまりの愛おしさに、拓郎は放心しながら熱い熱い抱擁を交わす。
そしてその腕の中で、微笑みながら由美子先生は言うのだ。「約束してください。私のためになにかを犠牲にしたり、無理したりしないで。」残酷なほどのまっすぐさで自分までもを傷付けていた拓郎は、ようやく報われた。ようやく自分を責めずに愛することができるようになったのだ。「うん……! 」
愛おしさが弾けて、愛を押し付けるように拓郎はキスをした。それはまるで“まっすぐすぎて残酷になってしまった田邑拓郎の愛”を体現しているようで、美しい胸鎖乳突筋を見せつけるようで、あまりにも美しかった。

時間が進み、第8話。拓郎と由美子は、反対されながらも結婚して共に暮らし出し、結婚し、夫婦になった。でも何やら由美子は秘密を背負っているようで、拓郎の罪悪感はむくむくと膨れ上がる。「俺、そんなに頼りない?由美子ひとりに背負わせたくないんだけど。」それでも先生である自分を忘れられない由美子は、「拓郎さんは気にしなくていいから」と優しく微笑む。

田邑拓郎は、事ある毎に自分を“空っぽ”と称する。現在軸、教師になった田邑は稲毛に「教師になった理由」を問われ、こう答えている。「妻が教師だったからです。でも、彼女は僕のせいで色んなものを犠牲にしたので、早く幸せにしてあげたくて。」ロマンティックですね、そう返す稲毛に対し、田邑は薄く笑っただけだった。「そんなんじゃないです、僕自身は今も昔も空っぽな人間ですよ。
なぜ、どうしてそうなってしまったんだろう。
結局由美子は拓郎にしていた秘密事は“誕生日サプライズの計画”であり、由美子は面倒を見ていた中学生美紗子(演:深尾あむ)と一緒にサプライズの準備をしていただけ。
それでも、家族から教師になることを強いられ、教師になったのに不祥事で教師を辞めた由美子が、その元凶である拓郎と結婚したことを快く思われているわけではない。由美子もそれを理解しているから、拓郎の誕生日を祝いながら言う。
「人ってずっと同じところに居られないし、ずっと同じものを持ち続けることも出来ない。大切なものは失いたくないけど、仕方の無い時もある。」それは拓郎を救おうとする、優しい愛の言葉だった。
「失ったものよりも、拓郎さんがくれたものを大切にして生きていきたいの。」家族を失ったけど、家族になってほしい相手と家族になれた。悲しいけど、かけがえのないものを手に入れられた。そう語る由美子は、愛の笑顔に満ち溢れていた。
「あなたは私に、恋をくれた。私と結婚してくれて、ありがとう。出会ってくれて、生まれてきてくれて、ありがとう。」心が溢れたようなその声は、罪悪感にとらわれていた拓郎を“一時的に”救う。そしてその後、呪いになってしまうのだ。
「今日のことは一生忘れない。ありがとう。」だがこのときの拓郎はそれを知らず、日常の幸甚に涙を流し、愛の形をした由美子を強く抱擁した。

・弥生ちゃんに惹かれていく

時間軸は現代、第5話。独身だと思っていたのに既婚者だったということを、本人の預かり知らぬところでバラされた田邑に、唯一弥生ちゃんだけが寄り添ったのだ。
「妻は亡くなったんだ。だからバツイチじゃない。」「それと、確かに妻は担任教師だったけれど、恥じるようなことはなにも無い。」田邑が教壇で真実を語る前、田邑がいない間、クラス内で田邑は噂の的になっていた。その空気に弥生ちゃんだけが反論し、その流れに背中を押されたように、田邑は真実を語ったのである。

だが、田邑は語るつもりがなかった。その心境を悟った弥生ちゃんは田邑がひとり物思いにふける美術準備室へ赴き、謝った。「ごめんなさい。」「なんで城島が謝るの。」「聞かれたくない事なんだってわかっていたのに、なにもできなかったから、ごめんなさい。」
そんな弥生ちゃんに、田邑はまた薄く笑い、無理に教師を演じて虚勢を張った。「大人はそんなに弱くないの。もう何年も前のことだし。」大丈夫だよ。そう自嘲する田邑を、弥生ちゃんが、SnowManがゆるさなかった。

「大丈夫じゃないです! 」言いながら肩に触れた弥生ちゃんに合わせ、主題歌『We'll go together』が流れ出す。「大丈夫じゃないです、大人とか関係ないもん、悲しいことにそういうの関係ない! 」田邑の薄氷のような表情に、ヒビが入った瞬間だった。
「今更でも言葉にすることで、なにか報われることがある。そんなふうに思わせてくれた。」


渡辺翔太が出演した、私の大好きなドラマ「ウソ婚」で、彼が演じた進藤将暉はヒロイン八重にこう語っている。「『寂しい』とかの感情って、過去形にはならないでしょ。だんだんこう、専用の箱みたいなのができて、剥き出しじゃなくなるんだけど、中にはずっと入ってるでしょ。『寂しい』って、初めの形のまま。」
私は第5話のラストで、この台詞を思い出した。寂しさも悲しさもなくならないし、過去にもならない。「あのとき悲しかった」「寂しかったなぁ」はなく、「あのときに起きた出来事」は今でも「悲しく寂しい」。感情が尾を引くことは、間違いじゃあない。

じゃあ、恋愛感情は?

第7話。弥生ちゃんは初めてクラスメイトで友人の斉藤全子(演:倉沢杏菜)に、田邑への恋心を告白する。「どうするの? 」全子ちゃんの言葉に対し、弥生ちゃんは「付き合いたいわけじゃなくて、想ってるだけでいいから、それでいいの」と健気な言葉を零す。心を独り占めしたいけど、由美子先生の傷を知った今、そんなわがままを言えやしない。そんな気持ちがあったのだろう。
「そっか、でもしんどいね、それ。」全子ちゃんの言葉に、弥生ちゃんの健気な恋心がピシリと傷付く音がした。「好きになると、欲張りになるじゃん? 」

それはたしかに、高校生時代田邑拓郎が由美子先生に感じていた“欲”だった。
「わからなかった“先生の思い”が、“先生”になってわかる。」それはきっと、わかりたくなかった思いのことも指していた。先生として生徒の弥生ちゃんと出会ったからこそ、弥生ちゃんは隠しきった「付き合いたい」という独占欲を隠せなかった自分を責め、欲を隠して素直な愛を向けるほど無償の愛を見せる弥生ちゃんに、田邑は惹かれていってしまう。

第8話。「でも、彼女は僕のせいで色んなものを犠牲にしたので、早く幸せにしてあげたくて。」稲毛と田邑を会話を盗み聞いてしまい、教師になりたい動機を聞いちゃう弥生ちゃん。それを聞いていたたまれなくなった弥生ちゃんは、田邑への誕生日プレゼントに渡そうと思っていたものを持ったまま、その場を離れた。
「わかったでしよ。」だがそれをゆるさなかった人がいる。由美子と拓郎の愛を間近で見守ってきた人物、美紗子だ。「拓郎さんは、今も由美子さんのことしか心にないの。だからもうこれ以上困らせないであげて。」「……困らせる……? 」まだわからないの。美紗子が弥生ちゃんに、追い打ちをかける。
「拓郎さんは、優しいから拒絶できなくて困ってるの。」

あるいは、ここで弥生ちゃんがそのまま引き下がったら。でも恋は純情だけで生きられない。欲が生まれてしまう。この人の心を独り占めしたい。たとえそれができなかったとしても、ただ想いを伝えるだけでもしないと終わらせられない。
だからか、弥生ちゃんは田邑のもとへ向かった。誕生日おめでとうとだけでも、お祝いだけでも伝えたかった。できるだけ関わらない方がいいと理解しながらも、思いだけでも伝えたかった。空っぽだと自嘲する田邑拓郎を見捨てられはしなかった。

弥生ちゃんが渡したのは、彼女が描いた田邑拓郎の絵だった。
「下手で恥ずかしいけど……。」照れながら渡す弥生ちゃんに、田邑が問う。「どうして? 」
「先生は空っぽじゃないです。私は、先生と出会えて学校が楽しくなったから。」走ってきたからか、息を切らしながら必死に答える。「先生が、先生でいてくれてありがとうございます。お誕生日おめでとう、生まれてきてくれてありがとうございます……! 」笑顔で言い切った弥生ちゃんの表情は、春の太陽のように晴れやかだった。

「やめてくれ、もうやめてくれ……」対して、田邑の表情は涙で暗く歪む。忘れないと誓った数年前、由美子から贈られた言葉と同じ言葉が、田邑の不誠実な優しい心を深く傷付けたのだ。

自分の残酷さを追体験しつつ、自分とは違う、“相手を壊さない純粋な思慕”が、自分の感情を炙り出す。そしてその感情を目の当たりにした瞬間、彼が必死に押し込んできた「受け入れたくない感情を詰め込んだ部屋」の扉が開いてしまう。
「大切な人の人生を壊してまで恋を成就させた」田邑拓郎が、自分と似た残酷さを持ちながらも「あなたの人生を肯定し、その上で愛しています。私の恋はどうだっていいから」と微笑む弥生ちゃんの純情に、直面してしまったのだ。
そんな田邑の顔を見た弥生ちゃんは、俯きながら謝る。「ごめんなさい、もう先生のこと好きだなんて言いませんから。」
それはきっと、高校生時代の拓郎が由美子先生に言えばよかったと思い続けている言葉だっただろう。
由美子先生への想いとは違い、たしかに田邑は傷付きながら弥生ちゃんに惹かれていた。

自分をゆるし、愛せた田邑拓郎

幸せな結婚を経た田邑拓郎が、なぜ教師になっても残酷に初恋を誘発してしまったか。自分の感情に向き合わずに残酷な優しさを振り回してしまったのか。
「妻は他界したんだ」。この台詞に、全てが詰まっているだろう。

・自分にも残酷だった

第9話。冒頭、田邑と児玉くんのシーンから始まる。由美子を忘れたくない。なのに忘れていく自分が許せない。感情の動きがゆるせない。感情の蓋が開いてしまったせいで身動きが取れなくなった田邑は、教師を辞めようとする。
「教師として、大人として最低だってことはわかってるけど、もう何も考えたくないんだよ。」感情の蓋が開いても、田邑はやっぱり自分の感情に向き合おうとせず、なんとか全部から逃げようとする。そして自分は不誠実でだめな人間だと思い込み、宝物のように大切にしていたスケッチブックの1ページ目、由美子先生への恋心の権化のような初めて彼女を描いた絵を、びりびりに破るのだった。

感情に追いつけなかったとき、田邑は全てを否定した。弥生ちゃんに惹かれている今、由美子に感じていた「人生で本当に好きな人って、1度しか出会えない」と思っていたあの燃え上がるような恋が嘘で身勝手だったことになる。それは認めたくない、だってそのせいで1人の人生を壊してしまったのだから。
でもじゃあ、なんで泣けないんだ? 由美子を亡くしてからずっと泣けないのは、やっぱり由美子への愛は偽物だったからじゃないのか? じゃあ今感じている弥生ちゃんへの想いが本物なのか? でも自分は教師で相手は生徒で、しかも1人の人生を壊した自分が誰かを愛せるはずがない。
度を超えた自己否定が、田邑拓郎を残酷に傷付け続ける。「あの日止まった時間の中から、今も抜け出す勇気が持てないでいる。」スケッチブックの絵を破りながら、田邑は独り言ちた。

幸せな夫婦生活を送っていたある日、突然「おかえり」が返ってこなかった。一緒に出勤し、お互いに「行ってきます」「行ってらっしゃい」を交わしていたのに、当然その日も「ただいま」「おかえり」が言えると思っていたのに。
「幸せに慣れすぎていた。これが人生なんだって、安心しきってた。」拓郎の声と彼が作るカレーの音が乳化するように、違和感なく混じった。
霊安室に眠る由美子を迎えに行ったのは、拓郎と美紗子だった。由美子を見た瞬間泣き崩れて嗚咽を漏らす美紗子に対し、拓郎は涙を流すこともできない。それは紛うことなき、放心だった。由美子は、道路に飛び出した子供を助けようとしてバイクに跳ねられたらしく、それを聞いていた拓郎の顔にはなにも映っていなかった。

拓郎の時間は、その日から止まっている。「不思議と泣けないんだよな。葬式で由美子の知り合いはみんな号泣してんのに、俺だけ泣けなくて。なんでだろう。」児玉くんも、何も言えずにいた。

田邑はこうと決めたら止まらない。そのまっすぐさが残酷さに繋がってしまったのだが、教師を辞める手を止めることもなかった。とりあえず次の先生が決まるまでは残ると決めたらしいが、その後も稲毛先生に生徒の面倒を見てほしいと生徒ひとりひとりの書類を渡す。
「辞めたらなんにもならないですよ。」稲毛は言う。「あなたのように生徒に好かれる教師が間違いかはわかりませんが、生徒を置いて辞めることだけは間違いです。」きっぱりと言い切る稲毛に対しても、田邑は薄く笑い、頭を下げるだけだった。決意は固かった。

そしてその噂は、すぐにクラス中に広まった。弥生ちゃんは急いで田邑に問い詰める。そんな弥生ちゃんに対し、田邑は吹っ切れたような晴れやかな笑顔で言うのだ。「飯、食いに行かね? 」
異性の教師と生徒がふたりきりで食事へ行く。たとえその先が雑踏とした食堂だったとしても、醜聞に繋がりかねないのに、田邑は気にせずにご飯をかき込む。そして弥生ちゃんに声を掛けた理由を話すのだった。
似ていたから。田邑は言う。高校生時代の自分と、城島が似ていたからだよ。
のらりくらりと平凡な毎日を過ごしていた拓郎、なんだかなぁとため息を吐きながら高校生活を送っていた弥生ちゃん。私はこの言葉を聴いたとき、あぁ、やっぱりと思ってしまった。やっぱり、『田邑拓郎は由美子先生に出会い、恋をしたから、弥生ちゃんを好きになれたんだ』と。

食事を終え、夜になった街の端でふたりは並んで座る。「一緒に過ごすって、奇跡みたいなことなんですね。大切にしたいです。」弥生ちゃんの言葉は、田邑との時間と高校生活、どちらもを指していた。「大切なもの、捨てちゃダメですよ。」そして弥生ちゃんは、田邑のスケッチブックを渡す。中には田邑がびりびりに破いた絵をテープで補完されたものが入っており、田邑はそれを見て笑う。「私、その絵が1番好きです。」「下手だろ、この絵。」
「上手いとか下手じゃなくて、すごく思いが伝わります。だから好きです。」弥生ちゃんの言葉に背中を押されるように、田邑の指がスケッチブックを捲っていく。先生だった由美子、恋人になった由美子、家族になった由美子。そのページは突然白紙を迎える。

「今日も明日も、いつでも描けると思ってた。」ぽろぽろと、言葉だけではなく涙も一緒に溢れた。「なんてことないありふれた、当たり前の日常だとしか思っていなかったけど、大切だった。
ようやくだった。田邑はようやく泣けたのだった。そしてそれは、彼の「受け入れたくない感情を詰め込んだ部屋」の扉が、感情の蓋が、完全に開いた合図でもあった。由美子がいない、もう二度と会えない、喪ったのだと理解した田邑拓郎は、溢れさせてはいけない感情も一緒に溢れさせてしまった。
そんな気持ちを知らず、弥生ちゃんは涙を流しながらなおも背中を押す。「大切にしてください。由美子さんをずっとずっと大好きでいてください。私が先生の日常を壊すのは嫌です。今のままの先生でいてください。」弥生ちゃんにとって、恋は叶わないと理解し、納得したものだった。由美子への拓郎の想いは一生に一度の恋だから、自分が立ち入る隙はないと理解していた。だから自分はこのまま失恋して、田邑の世界からいなくなるつもりだった。生徒のまま卒業するように、フェードアウトしていくつもりだった。
でも、生きている人間には感情がある。感情とは揺れ動くものだ。「違う。」田邑が涙ながらに首を横に振る。「僕が、君を好きなんだ」だからもうダメなんだ。

ここの弥生ちゃんの感情の機微が、本当に美しくて。喜び、当惑、悲哀。全部が降り混じった寂しい表情で、その頬に涙がこぼれる。
好きな人に好きって言ってもらえたら、きっと凄く嬉しいんだろうなって思っていました。……なのにどうしてこんなに苦しいんだろう。」「先生のこと困らせて、自分が許せないです。先生のこと好きな自分が嫌いになっちゃいました。
泣きながら、弥生ちゃんは走り去って行った。

SNSでは、「どうして田邑拓郎が弥生ちゃんを好きになったのかわからない」という意見が散見された。たしかに物語で描かれた恋慕の理由のほとんどは田邑拓郎→由美子先生のものであり、それがあまりにも情熱的だったからこそ納得できず、だからこそ理解できないというのもわかる。
でも私は、「拓郎は由美子先生が好きだったからこそ、弥生ちゃんに惹かれたんじゃないか」と思う。最初は自己投影からの親近感で、でも過去の自分とは違って付き合いたいという欲を押し付けない弥生ちゃんに憧れも持って、その優しさが“由美子の死”と向き合う機会すらくれた。押し付けず見守り、愛だけをくれて本質の部分に触れてくれる。どこか由美子先生にも似ていて、でも今度は自分が教師側だから責めるなら自分だけでよくて、それは自罰的な田邑拓郎にとっては都合が良くて、だから本能的に優しくしていたけれど、本質的に好きだということに気付いてしまったらもう後戻りはできなくて。
ただただ、好きになってしまった。背徳的だからとかそういう理由じゃない。立ち直れずに立ち止まっていたあの日の傷に、弥生ちゃんだけが由美子を彷彿とさせるような柔らかい笑顔で寄り添ってくれた。
その恋は「由美子をより一層愛してしまうもの」でもあり、「想いを止められなかった自分を責めるもの」でもあり、「会えてよかった」「会えたから人を愛せた」と思えるようなものだったんだと思う。
立場のせいで、由美子先生との恋で拓郎は自分を嫌いになっただろうけど、弥生ちゃんへの恋で少しは前を向けたんじゃないかなとは思う。
このときはまだ、より一層自己嫌悪に陥ったところだろうけれど。

・「生きていく人と亡くなった人」の埋まらない傷

最終話、田邑は依然として教師を辞めるつもりでいた。そしてそれを“逃げる”のだと解釈した白石とレイナが、ふたりして田邑をけしかける。「城島さん、このまま田邑っちが辞めたら、一生自分のこと責め続けるだろうね。」「なんだよそれ、教師なのに自分の生徒にそんなこと背負わせるのかよ。ふざけんじゃねえ!
ふたりの言うことはもっともだ。現に拓郎は“背負った”。そして今日まで“背負い続けている”。由美子が先生を辞めて拓郎を愛してくれても、それでも“背負い続けた”。もしかしたら、由美子が生き続けていて幸せな未来を日常にし続けてくれていたならば、照れも罪悪感も超えた愛を築くことができれば、その重い荷物を下ろすこともできたかもしれないが、突然の別れはその機会すら奪ってしまった。
でも、いつまでも背負い続けていたら、恋の芽生えを感じている弥生ちゃんにも、生徒である弥生ちゃんにも、同じ荷物を背負わせてしまうのではないか? 田邑の燻った思いは作中でも描かれていた。時間は彼にのしかかる荷物を重くし、罪悪感をむくむくと膨らませ、自分を傷付け続けた。それを弥生ちゃんにも背負わせるのか?

田邑は決断する。
「教師は辞めない。」弥生ちゃんは肩をおろし、ほっと安心したように頬をゆるませた。「妻と同じ景色が見たいと思っていたけど、いつの間にか僕の景色を見ていた。それを捨てたくないって気付けたよ。……なんか、カッコ悪いけど、カッコ悪くても、これからも教師でいたい。
鼻をこすり、照れくさそうに、それでもはっきりと田邑は微笑んで言ったのだ。
「ありがとう城島。出会えてよかった。」……言えたね、田邑拓郎。この瞬間、私の涙腺が決壊したことは言うまでもない。

人と人として向き合いたかった。ずっとそれを望んでいただけなのかもしれない田邑と由美子は、お互いを傷付ける形で触れ合ってしまい、それでも再会して臆病にも真摯に愛し合った。でも運命に引き裂かれ、田邑は教師として生徒を愛しながらも人としてはどこか壁を作っていた。由美子のことを受け止めきれなかったが故に、生徒に既婚者だったことを言えなかったのも、“壁”のひとつだろう。
そんな田邑拓郎が、ようやく恋に向き合えて、生徒に対して「出会えてよかった」と言えたんだ。それは自分の中の感情の肯定であり、教師として生徒に人として向き合えた瞬間でもあったんだろう。

でも、「先生さようなら」はここで終わらない。
田邑は弥生ちゃんへの恋を受け入れた。でも教師と生徒だから、お互いにそこから進展させる気はない。ただ恋があるだけ。そして「出会えてよかった」だけ。
じゃあ、由美子への愛は?
弥生ちゃんへの想いが弾けたことで溢れてしまった“現実”に対し、拓郎はどうやって生きようと決めたのか。

拓郎は由美子と住んでいた部屋でひとり、荷物を整理していた。ようやく遺品整理に取りかかれたのだろう。数年間取りかかれなかった行為は、拓郎の指先に由美子の小説を探し当てさせる。
『私はずっと、彼に会いたがっていたんだ。顔を見た瞬間、そう思った。教師と生徒、永遠に崩れないと思っていた壁を、その人はいとも簡単に超えてきた。』「……俺たちの話……? 」由美子の小説を読みながら、拓郎は由美子との日々を脳裏に蘇らせていた。
『彼といると、私は心地よく壊れていく。』

『独身時代、私は自分のために料理をしたことが一度としてなかった。白状すると、カレーすら作ったことがない。』『だけど、美味しいと食べてくれる人がいると、自然と作りたいと思える。』当時の由美子の笑顔を思い出すと、拓郎の頬には笑みがこぼれた。それは確かに幸せの色をしていた。そしてその色は、拓郎に由美子の幻を見せた。
いや、あれは幻だったのか、本当に由美子が逢いに来てくれたのではないか。そう思えるほど鮮明な“愛”だった。
由美子は話す。「私はね、あなたと結婚して人生が楽になったの。生きやすくしてくれたのはあなただから。」キッチンに立っていた由美子は、驚いた表情の拓郎を見たまま、椅子に座って微笑む。「だけど拓郎さんは想像以上にダメダメね。」
「……え? 」「教師やめようとしたでしょ。」拓郎も、理解できないながらも表情を幸せに寄せていく。理解できない現象も、会いたいという愛からすればどうだっていいのだ。ただ会って話したかった。いきなり奪われた愛を、もう一度抱き締めたかっただけなのだから。「でも俺って、そんな感じじゃん、俺って元々ダメなやつでしょ。」そうね。由美子は柔らかく、教師のように拓郎の自己否定を肯定した。
本当の自分を隠す必要なんてないって言っていたのに。なのに大人ぶって作り笑顔で先生やっちゃって、バカなんだから。」「……なんだよ。俺の事残して死んじゃったくせに、責めるなんてひどいよ。」そう言いながらも、拓郎の表情には笑みがこぼれていた。会いたかった、会いたかった。喜びすぎてしっぽがちぎれる犬のように前のめりに、拓郎は由美子の向かい側の椅子に座る。
「ごめん。」でも紡ぐのは、謝罪の言葉。「俺と出会って、大変なことばっかだったよね。ごめんね。」

拓郎はきっと、ずっとずっと謝りたかったんだ。人生を壊してごめんね、家族を奪ってごめんね、ひとりにしてごめんね、他の人を好きになっちゃってごめんね、俺なんかが好きになっちゃってごめんね。
でもそんな謝罪を、由美子はただまっすぐに微笑み、聖母のように受け入れた。「私はね、すっごく幸せだったよ。」
その言葉に、拓郎は嗚咽するほど泣き出す。「あなたに出会って、あなたに愛されて、私の人生は幸せだった。」拓郎の頬が、紅潮していく。涙が止まらない。
「笑える場所と、泣ける場所見つけたら、そこがあなたの居場所だから。ありのままの自分で生きてね。もう拓郎は、終わりを悟っていた。これは幻で、言わせたいことを言わせているだけかもしれない。でもそうでもしないと自分は前に進めないんだ。身勝手でごめん、でも身勝手でも、由美子ならこう言う。由美子はたしかに、自分の愛を理解してくれていたから。
「絶対に大丈夫。あなたはちゃんと人を愛せる人だから。また大切な誰かを、幸せにできる。」どこまでいっても、由美子は拓郎の先生なんだ。心を救う言葉で微笑みながら、由美子は椅子から立ち上がり、優しく拓郎を抱き締めた。
「先生っぽいこと言うなよ。もう先生じゃないだろ。」そんな由美子の腕に、拓郎はすがりつくようにして泣き続ける。彼がつく悪態もまた、ふたりの時間の始まりが教室であったことを指し示しているようだった。
でも、ふたりが過ごした時間は、愛ある家族でもあった。
「拓郎さん、好きよ。」由美子が拓郎の頬に触れ、愛情をこぼしながら微笑み、拓郎を慈愛の目で見つめる。「なんだよ、そういうの恥ずかしがって自分から言わないタイプだったじゃん。」対して拓郎の声は、涙でぐしゃぐしゃに歪んでいた。
「でももう最後だから。」最後なんてわかってる、わかってるけど、わかりたくない。「嫌だ、」拓郎の表情は、駄々をこねる子どものようだった。「大好き。」「愛してる、由美子。」微笑む由美子に対し、拓郎は涙で表情筋の全てがゆがんでいた。
拓郎の頬に伸ばされた手が、消える。由美子は消え、拓郎はひとり孤独な部屋で号泣するだけだった。最後に映るのは、由美子と暮らしていたときからずっと欠かさなかった花。白い、菊のような花だった。

現実を言ってしまえば、結局拓郎が見た由美子は幻だ。由美子に言ってほしい言葉を言わせたに過ぎない。死者は答えちゃくれないし、笑いかけてすらくれない。だからこそ生きている者と死んだ者の溝は埋まらないし、生きている者は一生死んだ者に勝てない。
それでも、拓郎は生きていかなければならないのだ。教師という道を選んだから、生徒に背負わせてはいけないから、由美子と同じ景色ばかりを追いかけていてはいけない。
多分拓郎は、ずっと「由美子と一緒に死んであげればよかった」とすら思っていたのだろう。むしろ自分の罪悪感を完全に拭い切るには、由美子への贖罪を完遂するには、それしかないとまで思っていたのかもしれない。
でも拓郎の中の由美子は、先生であって妻だった由美子は、それをゆるさない。「絶対に大丈夫。あなたはちゃんと人を愛せる人だから。また大切な誰かを、幸せにできる。」その言葉は幻だったかもしれないけれど、ふたりが過ごした時間は現実だし、その現実があったからこそ愛は育まれたのであって、だからこそ拓郎は由美子という人間を誰よりも愛し、拓郎の中で由美子は生き続けているのだろう。その由美子が、話した言葉なのだろう。
だからきっと、姿形は幻でも、あの言葉たちは幻じゃあない。由美子からの愛の告白だった。

物語は、桜舞う中、卒業した弥生ちゃんと田邑が再会したところで終わった。ふたりの恋心が恋に繋がるのかは、視聴者に委ねられる形で締められた。

最後に

「先生さようなら」。タイトルの通り、このドラマでは何度も“先生”への「さようなら」が織り成される。冒頭は生徒から田邑へ、最後は弥生ちゃんから田邑へ。途中には拓郎から由美子先生へのものもあった。
でもどれも、断絶の挨拶ではなかった。弥生ちゃんと田邑は最後再会したし、拓郎と由美子の別れに「さようなら」はなかった。前者は未来で、後者は過去だという示唆だろう。
「さようなら」という言葉はどこか悲哀を帯びるが、そのイメージすら一新したのは大きい。それでいて、「さようなら」すら言えなかった関係性がどれだけ尾を引くか、その悲しさは、他の追随を許さないほどの大きさであることも描いている。

人と人には必ず、別れがある。でも同じくらい出会いもある。別れが大きすぎて新しい出会いに目を向ける余裕がなくなってしまうことは多々あるが、その出会いが傷を癒してくれることもある。
癒してほしくない。拓郎はきっと、由美子への罪悪感という傷に対してはそう思っていた。受け入れずにい続ければ傷は傷のまま、由美子を愛していられる。でもその愛は健全ではない。そして拓郎はきっと、同時に癒されたかった。
だからこそ空っぽの心は弥生ちゃんという潤いを吸収していったんだろう。いや、空っぽだと思っていたのはきっと拓郎だけ。由美子を愛し愛された拓郎は、たしかに愛で満たされ満たすことを知っている人間だ。ただ喪失感で臆病になってしまっていただけ。自分の感情にも、他人の感情にも。

弥生ちゃんからの恋にも、弥生ちゃんへの恋にも向き合った田邑拓郎は、これからどんな人生を歩んでいくのだろう。何であれ、彼はきっと教師を続けてくれる。そのたびに由美子先生の面影を感じるかもしれないが、きっとそれを追い求めて苦しむことは減ってくれるはずだ。彼はもう、自分を空っぽだと卑下することはない、自分の感情に向き合うことを知った誠実な人間だから。

「先生さようなら」、先生と生徒の恋愛ドラマと見せかけて、「生きていく人と亡くなった人」の埋まらない傷を描くドラマでもあった。忘れられない人も、今大好きで愛したい人も、どちらも大切。でも生きていくにはまず、自分をゆるして愛さなきゃいけない。素敵な質感のドラマでした。ありがとう。

そして渡辺翔太。本当にこの役を演じてくれてありがとう。ひとりでふたつの時間軸を演じ、多くの感情が渦巻いたことだろう。何話の撮影中の段階で「シンドラ」が今作にて終了することを知ったのかはわからないけれど、それでもその苦悩を思えには微塵も出さず、最後まで演じ切って、クランクアップでは笑顔も見せてくれた。

この笑顔にどれだけ救われたか。知らなくていい、ただその笑顔で幕が下ろされたと知ったとき、私はただただ涙した。よかった、大団円だったんだと。

「ウソ婚」もそうだったけれど、原作準拠の2次元ではなく「人としてどう生きるか」の部分を深掘りして形にしてくれるのが、役者渡辺翔太の強みだと思う。キャラクターとして描かれると言うよりも、痛々しいまでに揺れ動く感情に生きる人として生きる。
それは渡辺翔太の魅力でありながら、演じる側は大変な苦労も伴うと思う。それでも渡辺翔太は田邑拓郎として生きてくれた。ありがとう。本当にそれ以外の言葉が浮かばない。このドラマをスタンディングオベーションで終わらせてくれて、有終の美を飾ってくれて、愛されてくれてありがとう。

いつも最後にはそのキャラクターの概念ソングのリンクを貼り付けているのだけれど、今回においてはこの曲以外に語ることはないと思う。渡辺翔太、これからも世界に愛されてくれ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?